韓国政府と朴大統領に対し抑制した表現
断絶宣言はせずに事態を“見守る”余地
北が提示した代案に南は硬直した姿勢
今後の南北関係は楽観視できない
北朝鮮が15日に行われた南北軍事当局者接触の顛末を公開したことで、南北関係は新たな分岐点に至った。ようやく準備された第2回南北高位級接触が再び危機を迎えるものと見られるが、過去の事例と比較すると、南北対話の状況が完全に壊れることにはならないと考えられる。
北側が南側との会談内容を公開し、南側がこれに反論して論争する事態は過去にも何度かあった。 最も代表的なのが2011年6月の北側による「北京南北秘密接触」の公開だ。 当時、北側は『朝鮮中央通信』の報道を通じて、首脳会談成功のための南北間秘密接触が5月9日からあったと主張し、その経緯と内容を具体的に公開した。天安(チョナン)艦や延坪島(ヨンピョンド)事件の謝罪を巡ってやりとりした対話はもちろん、南側が秘密維持を求めて金が入った封筒を差し出したという事実まで暴露した。
南北接触が失敗に終わった後に北側が接触の顛末を公開したという点で、今回の軍事接触の公開と似ていた。しかし、差異点もある。 当時は李明博(イ・ミョンバク)政権4年目で、首脳会談の水面下接触を2009年から2年続けてきた時期だった。長期間接触しても立場の違いが縮まらず、北側は任期末になった李政権への期待を捨てた。実際、北側は秘密接触を公開する二日前に国防委員会声明を出し、李前大統領を“逆賊輩党”と呼び、「これ以上、共存はしない」と主張した。射撃訓練場で金日成・金正日父子を標的に使ったことに対する反発であり、李政権との対話終了を宣言したのだ。
今回の軍事接触公開で北側は、朴槿恵(パク・クネ)大統領を“南朝鮮実権者”、南側政府を“南朝鮮当局”と呼ぶなど非常に抑制された表現を使った。政府による30日の第2回南北高位級接触の提案も完全に拒否することはしなかった。「第2回高位級接触の前途が危うくなった」と威嚇しているが、接触しないという宣言は出していない。むしろ「南朝鮮当局の今後の動きを注目する」と余地を残した。
今回の軍事接触公開が南北関係自体を否定しないという点で、昨年7月の開城(ケソン)工業団地再稼働のための実務会談の時と似ている。 当時北側は、第6回実務会談直後に北側団長が異例にも南側記者のもとを訪ね、南北間会談の内容を詳細に公開した。これに関連して多くの専門家たちは「開城工業団地の正常化が事実上水泡に帰した」という展望を出した。大統領府も「重大な決心をするほかはない」と発表したし、北側は「(韓国は)すべての後日の禍の責任から抜け出すことはできない」と非難した。
しかし、南北は約1か月後の8月中旬に開城工業団地の正常化に合意した。北側の一方的暴露が必ずしも南北関係破綻を意味しないことを知らしめた事例だった。今回の北朝鮮の暴露は前後の脈絡、駆使した用語の選択や内容などに照らし、2011年の北京事例より昨年の開城工業団地の事例に近いと思える。
だが、相変らず南北関係は楽観視できないという観測が多い。 特に、政府が今回の接触過程で過度に“原則”に執着する態度を見せたことは、今後の南北関係の展望を暗くする。
政府は今回の軍事接触の発端になった7日の西海上交戦に関連して、緊張を緩和できる対策を議論しようという北側の提案に対し、「北方限界線(NLL)さえ順守すれば何の問題もない。 今後、適切な機会に議論しよう」と否定的な態度を見せた。その後、北側が「すでに合意した高位級接触に対して考え直すことになる」と第2回高位級接触の霧散の可能性を流すと、すぐに態度を変え北側の接触提案に応じた。政府当局者は「北朝鮮の第2回高位級接触霧散の威嚇に屈したのではない」と釈明したが、政府は南北間の実質的な対話より第2回高位級接触の成功という“うわべ”だけに気を遣っているではないかと指摘されている。
北側は15日の軍事会談でも、△互いに西海上の鋭敏な水域と線を越さないこと△故意的な敵対行為でない“先砲火”の禁止△敵対的交戦遵守規則の緩和など、具体的な提案を出した。しかし、政府はこれを北方限界線の無力化の試みと受け入れ、できるだけ対応しないものと見られる。
政府の姿勢が硬直しているとの指摘もある。 キム・ドンヨプ慶南大学極東問題研究所研究教授は「7日の西海交戦状況は北朝鮮の立場ではそのまま見過ごせないものであった。だから再発防止のための代案を持って出てきたと思われる」として、「これに対し韓国政府は消極的な姿勢で、議論を回避することにだけ汲々としていたようだ」と話した。
韓国語原文入力:2014.10.17 22:39