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真に偏向的な広場[ハンギョレ21 2009.06.05第763号]

[表紙の話-怒りの記憶]
追悼行事許さない発端はソウル広場条例…2004年イ・ミョンバク ソウル市長時期に作られた

■チョン・チョンフィ

警察バス車壁がソウル広場を傲慢に取り囲み踏ん張っていられる背景の一つはまさにソウル市だ。盧武鉉前大統領逝去直後、警察はソウル広場をバス車壁で塞いでおきソウル市の広場使用承認が出なかったということをその理由の一つに挙げた。民主党側から使用承認申請をするとソウル市は「広場は市民の余暇善用と文化活動を支援するための空間であり追慕祭を開くには適合しない」と頑張った。ソウル市公務員が個人的に所有するものでもない空間で前職大統領追慕行事が不許可になる根拠は何か?

←2008年6月5日ソウル広場の青い芝の上に特殊任務遂行者会が挿した戦死者位牌と太極旗が並んでいる。ソウル広場で何らか行事を行うことが出来るか否かは純粋にソウル市心にかかっている。写真ハンギョレ キム・ジンス記者

同様な光化門広場条例も恐怖

発端はソウル市条例だ。‘ソウル特別市ソウル広場の使用および管理に関する条例’ は条例制定の目的を「市民の健全な余暇善用と文化活動などのためのソウル広場」の使用と管理に必要な事項を規定するためのものだと明らかにしている。すなわち、市民が個人的にきて休んだり文化行事を行うのがソウル広場の造成趣旨だというものだ。もちろんこの条例に弔問行事や政治的目的の集会を禁止するという条項はない。常にその趣旨が悪用されるだけだ。

この条例は2004年5月イ・ミョンバク ソウル市長時期に市議会を通過して作られたものだ。当時多くの人々が出入りする広場に芝を敷くのが適切かという論議がおきもした。その後、実際にソウル市は芝保護と交換を理由に数多くソウル広場使用承認を許さず陰口をたたかれた。はなはだしきは保守団体には使用を許可し進歩団体行事は許さないという不公正是非にまきこまれることもあった。ろうそく集会が真っ最中だった昨年6月5日には、戦役軍人らの集いである ‘特殊任務遂行者会’ 会員たちがソウル広場の芝の上に戦死者の位牌と大型太極旗を数千ヶ設置して行事を行ったこともある。LPGガスボンベをねじ込んで過激デモを行い処罰を受けたこともある前職軍人らはここで慰霊祭を開けても、前職大統領の葬儀に際する弔問行事は開くことができないほどわい曲された空間がソウル広場だ。

折りよくソウル市議会は5月28日‘光化門広場使用および管理に関する条例’ を公布した。光化門広場はソウル,光化門の直ぐ前から光化門交差点まで既存道路の幅を狭め空間を確保した新しい都心公園だ。7月初めに開場する計画だ。今月初めに市議会を通過しこの日公布された条例の内容はソウル広場のものとほとんど同様だ。余暇善用と文化活動が主目的だ。いち早くデモ隊が掌握することを憂慮した警察側の反対に造成計画自体が揺れもした。政府庁舎と米大使館などに隣接しているために光化門広場は今後、制度政治から疎外され議論の道を確保することが出来ない‘小さな声’が溢れでる空間に位置するに違いない。憶測するのは構わないが、市は再び条例を基盤にして使用承認を下ろさず警察はバス車壁を巡らせて塞ぐことが火を見るより明らかだ。ソウル広場と光化門広場の使用および管理権限をソウル施設公団に渡すことにしたが、公団がソウル市の影響を抜け出すことにはなりえない。

具体的な市民の暮らしを規律する条例

ハンナラ党所属のソウル市長が2回連続執権し現役ソウル市議員102人中の96人がハンナラ党所属だ。中央政府に比べ報道機関と市民社会の監視は緩い。その隙間を広げ市民を裏切る条例は継続再生産される。条例は法律よりさらに具体的に市民の暮らしの様式を規律する。

あるソウル市幹部の話が胸を打つ。「よく見なさい。市民たちは市会議員たちが何をしているのか分かろうとしない。そうしておいて彼らを再び選んであげる。以前はマッコリでも一杯飲んで選んであげたが、この頃はそれもないのが違うといえば違うだけ」

チョン・チョンフィ記者symbio@hani.co.kr

原文:http://h21.hani.co.kr/arti/cover/cover_general/25078.html 訳J.S