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韓国の高校生「シベリア抑留ハラボジ(おじいさん)に会って責任を感じた」

登録:2014-08-06 00:51 修正:2014-08-06 01:13
左からソン・インソ、チョン・ピルリプ、キム・ソヒョン、チュ・ウンヒ生徒

ソウル三角山(サムカクサン)高校 サークル‘テスプ(竹やぶ)’
1年間かけて被害者たちに会い資料収集
‘風が吹いてくる所’出版し
「政府、日本・ロシアに賠償を要求しなければ」

 高校生がシベリア抑留被害者とインタビューした報告書を<風が吹いてくる所>という本にして出版した。 ソウル江北区(カンブック)の三角山(サムカクサン)高校3年のキム・ソヒョン(18)さんは、2年前の1学年末に‘韓国史’授業で日帝強制占領期間の徴用を主題に動画を作る課題に取り組んだ。 彼女は日本軍慰安婦被害者のような主題に比べシベリア抑留被害者に関する資料は大変に少ないと感じた。 キムさんは2学年になって本格的にチュ・ウンヒ(18)さん、チョン・ピルリプ(18)君、ソン・インソ(17)さんと共に‘テスプ(竹やぶ)’という名前のサークルを作り、シベリア抑留被害者問題を‘1人1プロジェクト’の主題として研究し始めた。 すべての生徒が主題を決めて調査したり体験した活動を整理して小論文として発表する校内‘1人1プロジェクト’大会に出すためだった。

 生徒たちはキム・ヒョスン元<ハンギョレ>論説委員がシベリア抑留被害者について書いた<私は日本軍、人民軍、国軍だった>(2009)を読み、キム記者に会って話を聞いた。 キム記者の紹介で生徒たちは被害者の集いである‘シベリア北風会’のイ・ジェソプ(当時88才)会長にも会った。 イ会長は18才だった1945年8月1日、日本軍に徴集されて満州関東軍に配属され、同月15日に日帝が崩壊するとソ連軍に捕虜として捕まった。 彼はシベリアの収容所で3年5ヶ月にわたり強制労働をさせられたが、そのようにして抑留された関東軍のうち朝鮮人は3500人に達した。 この内の1200人は寒さと劣悪な環境の中で死亡し、2300人は48年12月に北朝鮮に送還された。

 以後、被害者たちは再び韓国に下ってくる過程で韓国軍の銃撃を受けて死んだり、警察にスパイの疑いをかけられて暴行されもした。 90年にイ氏ら54人の被害者は‘シベリア北風会’を作り、韓国と日本政府を対象に賠償を要求したが受け入れられなかった。 イ氏は生徒たちに会った時「今までに日本の学生たちがたくさん訪ねてきたが、ようやく韓国の高校生が訪ねて来てくれて本当にうれしい」と話した。

 シベリア抑留被害者報告書を本にして残すことにした生徒たちは‘TUMBLBUG’というソーシャル ファンディング サイトで94万ウォンの後援支援金を集め、グラフィック デザイナー キム・ミンスク、ラ・ヨン氏の才能寄付も受け、去る5月に78ページの<風が吹いてくる所> 200冊を印刷することができた。 2013年の1人1プロジェクト大会で2等を得た生徒たちは、2014年には報告書のおかげで1等を獲得した。 残念なことにイ・ジェソプ氏は本が出る前の去る3月4日に持病により亡くなった。

 キムさんは「被害者ハラボジに直接会って証言を聞いた以上、記録を残して広く伝えなければならない責任を感じました。 日本とロシアに補償を要求しようとしない韓国政府は無責任だと思います。政府が傍観していたために起きた被害という点で、セウォル号事故と同じです」と話した。 キムさんは読者たちに自身のEメール(dglow21@daum.net)で要請すれば、パンフレットをPDFファイルで送ると約束した。

キム・ジフン記者 watchdog@hani.co.kr 写真 三角山高校サークル‘テスプ’

https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/649934.html 韓国語原文入力:2014/08/05 22:18
訳J.S(1624字)

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