原文入力:2009-05-26午後08:22:15
ナム・ジョンヨン記者
←ナム・ジョンヨン社会政策チーム記者
「あのーそちら○○警察署でしょう? 私、市民ですがろうそく集会どこでやっていますか? …何ですか? 徳寿宮,大漢門の前ですって? 清渓広場からもうそこに行きましたか?」昨年の今時分だったと思う。ある企業の労組幹部たちと酒を飲んでいたが、そのうちひとりがろうそく集会に行くと言って警察署に電話をかけた。おもしろいことに警察はデモ隊がどこへ行ったのか教えてくれた。彼はこの前もこのようにしてろうそく集会に参加したと言って「市民が集会に行くと言って警察が関連情報を知らせるのが嘆願サービスではないだろうか」と言って笑った。警察に電話をかける彼の逆発想のために楽しかったし、彼の逆発想を受け入れる警察ののどかさもほほえましかった。その日私たちは愉快だった。
そして数日後だったと思う。釜山の妻の実家を訪ねて行き、盧武鉉前大統領を見に行こうと言って金海のボンハ村へ向かった。その時は盧前大統領の人気が絶頂の頃で村の入り口から交通停滞が起きて人々は車から降りて歩き始めた。‘盧武鉉大統領を歓迎する’ という金海カラオケ協会の垂れ幕をすぎて、‘ノガンジ(大統領を退任した盧武鉉を指す隠語)’がタバコを買ったというスーパーマーケットで飲み物を買い彼の生家に立ち寄るという順に ‘聖地巡礼’ を続けた。村の広場には大統領が観光客の前に現れる ‘出演時刻表’ が記されていた。出演時刻表に合わせてついに彼が家からとぼとぼ歩いて出てきて数百人が「わー!」と叫び声を上げた。
「私は今サーカスに出てくる動物の身の上ですからね。平日は三,四度で良いのに、週末にはこのように多く来られて六,七度は出てこなくてはなりません。」
観光客のひとりが「大統領様! 写真を撮りますね」と大声を張り上げ両手を上げて頭に当てハート形を作った。盧前大統領も彼にならってハートを描いた。パシャッパシャッ。携帯電話カメラがあちこちで鳴った。彼が話を繋いだ。
「大統領している時には悪口を言われたけど、遊んでいると良いといわれますね。」
人々はただ大統領を間近に見るのが珍しかったし、大統領も喜ぶ人々を見るのがほほえましそうに見えた。人々は本当に衆口難防(人の口に戸は立てられない)話をかけ大統領はいちいち答えた。もちろん取るに足らない質問と内容が薄い返事の連続ではあった。ハートを5,6度作ってしまうと大統領は家に入ることができた。翌日彼のホームページには進行要員たちが撮った観光客の写真が上がってきていた。大統領を眺めて笑っている私たちの家族写真も眼についた。本当にのどかな人々だなと思った。その時でさえみみずく岩がそんなに高いとは知らなかったが。
盧前大統領の死の前で人々が衝撃を受ける理由はただテレビに出てきた人が消えたためだけではないだろう。それはもしかしたら適者生存のジャングルでついに生き残った同類の非主流政治家が終局には破滅を選択したことを見て感じた正体不明の挫折感のためかもしれない。
昨年の春は彼にとって一番幸せな時間だっただろう。とても強大で,逆説的に大変な権力の座から降りたので、どれほど気楽だっただろうか。その時だけは私たちは冗談を言い合うことができた。だが余裕は徐々に失われていった。経済危機をむかえ、欲望は赤裸々に疾走し、相手方に対する寛容と反省的思惟は片隅に追いやられた。いつからか政府はろうそく集会を恐れ始めた。何かを言おうとすれば警察バスが駆け付け車壁を築いた。盧前大統領が慌しく逝かれた今、ソウル市庁前を見下ろせば広場は警察バスに塞がれてガランと空き焼香客たちは片隅に蟻のように集まっている。奇怪な風景だ。残念なことに一年の間に変わった私たちの自画像だ。
ナム・ジョンヨン社会政策チーム記者fandg@hani.co.kr
原文: https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/357095.html 訳J.S