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“言論弾圧”の傷痕…<PD手帳>の苦々しい第1000回

登録:2014-07-08 10:30 修正:2014-07-09 07:00
<PD手帳>の放送シーン キャプチャー

“時代の目撃者”を自任し24年
聖域を打ち破り、“PDジャーナリズム”を開拓
MB政権になり、度を越えた弾圧
制作陣は追い出され逮捕され
防御幕だった“局長責任制”も崩れ
幹部級によるアイテム検閲で軟性化
<PD手帳>の“本来の姿”を取り戻すには
社長選任時の政権介入を遮断せねば

 <文化放送>(MBC)の看板時事番組<PD手帳>がこの1日、第1000回を放映した。年数にすれば24年だ。お祝いを受けて当然だが、MBC内外ではこれといった反応はない。“時代の正直な目撃者”を自任して、政治・資本・宗教・メディアなど力を持つ集団の恥部を正面から告発してきたが、最近では「権力が嫌がるようなものは扱わない」という評価まで出ている。<PD手帳>が韓国社会の民主主義の浮沈、政権の言論掌握の試みと運命を共にしてきたためだ。

■ 調査報道の開拓者

<PD手帳>が1990年の初放送以来、放送ジャーナリズムを質的に引き上げる牽引車だったという点に多くの言論学者が同意している。それ以前は放送の報道は大統領の近況をお届けすることに注力して“テン・チョン・ニュース”(訳注:9時の時報がテンと鳴るや、決まって「チョン・ドゥファン大統領閣下におかれては…」と始まるのでそう呼ばれた)“ツーツーツーニュース”(訳注:これも、時報の3秒前から始まって同様に大統領閣下の動向を伝える記事がすぐに続くもの)などと嘲弄された。

<PD手帳>はまた、国内言論におけるPDジャーナリズム領域の開拓者と評価されている。“PDジャーナリズム”とはディレクター(PD)が中心となって特定事案を深層取材するもので、一般の記者たちが作るニュースに比べて報道の深さが異なった。1980年代後半まで一般の記者たちは、権力機関の詰め所の論理に“手なずけ”られていたり、せいぜい形式的客観主義にとどまることが多かったため、当時のメディア状況で新しい領域を開拓したのだ。<韓国放送>(KBS)の<追跡60分>、SBSの<それが知りたい>も軌を同じくする。

特には、1987年のMBC労働組合設立と放送民主化運動の産物だった。1989年に、光州(クァンジュ)民主化運動当時に高校生だった犠牲者の母親を通して、5・18の時代的意味を問うドキュメンタリーを制作して大きな反響を生んだキム・ユンヨンPDが、<PD手帳>の初代チーム長を務めた。

第1回放送から多国籍企業の賃金未払い問題を扱った<PD手帳>は、権力の過ちを主として“社会的弱者”の観点から取り上げてきた。イ・ゴンヒ三星(サムスン)会長の変則的相続問題(2000年)、ソン・ドゥユル教授事件にまつわる国家保安法問題(2004年)、ファン・ウソク博士のES細胞論文捏造事件(2005年)、米国産牛肉の狂牛病危険性(2008年)、検察をめぐる供応・性接待問題(2010年)、国務総理室の民間人査察(2010年)、“4大河川再生事業”の名で偽装された大運河事業問題(2011年)などを告発し、社会的公論化に寄与した。

■ “言論弾圧”の傷痕

権力の恥部をあばき出せば出すほど、それに比例して権力の攻撃は激しくなった。実際、<PD手帳>は放送初年度から権力による攻撃の対象だった。MBCの社長は1990年、ウルグァイ・ラウンドの妥結を控えた農村の現実を盛り込んだ「それでも農村を放棄することはできない」篇について、「史上初の南北総理会談が開かれるのに、北側に南の農村の困難さを示す否定的な内容を放送するわけにはいかない」という理由で放送しないよう指示した。放送中止事態に抗議する労組委員長と事務局長が解雇され、MBC労組は解雇者の復職と公正放送を要求するストライキに入った。このときソン・ソッキ当時MBCアナウンサーをはじめ組合員たちが拘束・連行されたが、結局は解雇者の復職はもちろん、公正放送のための基盤を構築するきっかけとして締めくくられた。

<PD手帳>の試練は、李明博(イ・ミョンバク)政府時代に極に達した。李明博政府は「狂牛病篇」がロウソク集会の背後勢力だったという論理を展開し、執拗な弾圧に乗り出した。政府高位公職者が制作陣に対する捜査を依頼するや、検察は制作陣を逮捕し起訴した。会社側はPDや作家たちの追い出し、アイテム検閲と放送不可指示に乗り出した。

 李明博政府は“局長責任制”という重要な制度的装置も破壊した。1990年から施行された局長責任制は、局長がプログラムの企画・取材・放送について最終権限を持ち責任を負う制度だ。経営陣が番組の内容に簡単には関与できないよう、局長に“外圧に対する盾”の役割を任せる制度だ。2012年のMBC労組のストタイキ過程でこれが崩れた。<PD手帳>の制作事情に通じているMBCの次長級PDは<PD手帳>との通話で「“局長責任制”が“本部長責任制”に後退した後、制作陣内部の自主検閲や幹部クラスによるアイテム検閲が激しくなった。4大河川の場合だけ見ても、かつて<PD手帳>が告発した内容を監査院が追認したにも拘らず、提案が拒否されたと聞いている。本部長は局長よりは経営陣に近いので、どうしてもジャーナリズム的側面よりも経営側の立場を考慮しがちだ」と述べた。

そうする内に市民の関心と期待も衰えてしまった。時事週刊誌<時事IN>が毎年行なってきたマスコミ信頼度調査で、<PD手帳>は2010年の“最も信頼する番組”2位(11.8%)から、2012年には2.3%、2013年には2%へと急落してしまった。

■「公営放送の支配構造改善」だけが根本解答

「李明博政権の時から放送を奴隷のように使おうとしてきた。そのような政権とそれに同調する経営陣がいる限り、<PD手帳>が政権に批判的な番組を作ることはできないだろう。」 <PD手帳>の名誉回復を切に願うチェ・スンホPDの診断だ。 李明博政府の時、<PD手帳>を制作していたチェPDは、 MBCから解職された後、現在は調査報道専門の代案言論である<ニュース打破>で活躍している。

 マスコミ専門家たちは、<PD手帳>が“本来の姿”を取り戻すには、公営放送の支配構造改善など、政権の言論掌握の試みを遮断する制度作りが急務だという。キム・ソンヘ大邱(テグ)大教授(新聞放送学)は「前の政府から最近まで、言論統制を越えてジャーナリズムの役割自体を無力化しようとする試みが続けられている。政治・経済権力などの外圧から脱し、独立的で自律的な放送制作を保証するためには、政府・与党が社長の選任に大きな影響力を行使する公営放送の支配構造を改善することが急がれる」と述べた。カン・ヒョンチョル淑明女子大学教授(メディア学部)も「編集権という名目で幹部が現場の制作者たちを統制する仕組みが続く限り、国民が必ず知らなければならないイシューは制作陣が避けざるを得ない。構造そのものを変えなければならない」と述べた。

 <PD手帳>の現制作陣もまた、以前の名声を取り戻す意志を見せているという話も出ている。<PD手帳>制作チーム所属のあるPDは、<ハンギョレ>との通話で「本部長が制作全般に責任を負うことになるのでアイテムに関与はするが、2012年のスト直前当時よりは内部疎通がスムーズで、大きな不協和音が起きたりはしていない」として「取材条件がよくないのは事実だが、どんな事案でも核心を貫く放送をしようという制作陣の意志は変わっていない」と話した。

キム・ヒョシル記者 trans@hani.co.kr

https://www.hani.co.kr/arti/society/media/645360.html 韓国語原文入力:2014/07/03 20:38
訳A.K(3239字)

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