日帝に対抗して武装闘争を行い、逮捕された義兵長と無名の抗日闘士が残酷に虐殺された記録が発見され、この内、義兵長41人の叙勲申請がなされた。
慶南(キョンナム)河東(ハドン)地域の抗日闘士らの資料を集めてきたチョン・ジェサン(48)河東文化院郷土史研究委員長は、旧韓末の乙巳保護条約(1905年)以後1907~1909年に国内で50~400人の義兵隊を組織し多くの武装闘争を行って捕まった抗日義兵長41人と無名の抗日闘士218人など計259人の虐殺が記録された文書を発見したと27日明らかにした。
彼は国家記録院と土地住宅博物館で、日帝が作成した<陣中日誌>、<暴徒に関する方策>、<朝鮮暴徒討伐誌>等、文書3件を発見した。 全て日本軍歩兵らが日帝に抵抗した義兵を暴徒と規定し弾圧した資料だ。この文書には全北出身の義兵長5人が含まれていた。 全北鎮安を中心に義兵100人余りを指揮して、警察署と郵便局を襲撃した後に逮捕され首を切られて殺害されたキム・ジンミョン、義兵100人余りを糾合して徳裕山(トギュサン)・智異山(チリサン)を行き来しながら戦い、刃物に刺されて死んだパク・ジェグン、日本軍と数回にわたり激戦を行ったイ・ネグ、智異山一帯で戦ったマ・チュンギル、日本軍に決死抗戦したアン・ネソンらだ。 チョン委員長は「国家報勲処に無名抗日闘士を除き義兵長の叙勲を申請した」と話した。
パク・イムグン記者 pik007@hani.co.kr