“内乱陰謀”などの容疑で拘束起訴されたイ・ソッキ統合進歩党議員は3日、水原地裁刑事12部(裁判長キム・ジョンウン)審理で開かれた結審公判での最終陳述を通して「法務部の進歩党解散審判請求を見れば、この事件は私と進歩党全体を狙ったもの」として、「現役国会議員が選挙で選ばれたその年に暴力的方法で政府を転覆させようとしたというのは、いったい話になろうか」と反問した。
イ議員は続いて、「検察は、従北レッテル貼りや理念論争を動員して進歩勢力の連帯を破壊し、進歩政党が政権をうかがうことができないようにしているが、陰謀があったとすれば内乱陰謀ではなく、朴槿恵(パク・クネ)政府の永久執権の陰謀があったろう」と主張した。彼はまた、「聞いたこともないROの総責任者と名指しされたが、それこそウサギに角を求めるようなもので、ないものをないと言っているのに、それを証明せよとはあきれてものが言えない」 「米国が北を攻撃すれば大きな災いがもたらされる可能性があり、これを防ぐための準備の話をしただけであって、内乱を謀議したり扇動したりしたことはない」と明らかにした。
以下は、イ議員の最終陳述の全文である。
先ず、この5ヵ月間、今回の裁判を進行された裁判部に感謝の言葉を申し上げたいと思います。私自身非常に驚いた“内乱陰謀”というものものしい容疑がかけられた今回の裁判が偏ることなく進められたところには、裁判部の努力が少なくなかったと推測します。 事件の被告人として、また韓国社会の構成員の一人としても、感謝申し上げます。
振り返ってみると、2012年に初めて政界に足を踏み出す時から、私は非常に論争的な位置に立っていました。その年の春の総選挙で、私は保守系マスコミからいわゆる「従北」の代表格と呼ばれました。 続いて襲った党内の比例代表選挙問題は私に「不正」のレッテルを貼り付け、それからまもなく公安検察は私に対し、国庫を詐取した疑いをかぶせました。しかし、うそで真実を隠すことはできないと信じたからこそ、誠実に議会活動を行なっていけば、いつか全ては元の位置にもどるだろうと信じていました。
けれども、昨年8月末の“内乱陰謀”事件はまさに想像できない事でした。大韓民国の現役議員が、選挙によって選出され、就任初年度を迎え、国民の過半数の支持を受けている現政権を暴力的な方法で転覆させようとしたというのが、果たして話になりますか? しかし私はすでに“従北”フレームに閉じ込められた状態でした。さらには愛国歌を否定する勢力という烙印まで捺されていました。 事件が勃発するや、国家情報院提供のありとあらゆる“伝聞式”小説を大々的に書きたてたマスコミの世論裁判(魔女狩り)は、私を結局、議事堂から引きずり出してこの場に立たせました。
私個人のいかなる無念さも我慢出来ますし、いかなる不名誉も甘受できます。しかし、私を巡る一連の事件は単に私一人を狙ったものではなく、進歩陣営の中心とも言うべき統合進歩党を狙ったものでした。今回の事件の裁判の開始後、待ってましたとばかりに法務部は進歩党が違憲政党であるとして、憲法裁判所に解散審判を請求しました。
本事件の実体的真実がまだ明らかにされもしないうちに、数十年間、民衆のために献身してきた韓国社会の進歩運動家たちの血と汗の滲む進歩党の運命まで左右することになったことについて、重い憂慮の念を抱かざるを得ません。それで、この法廷で許された最終陳述を通して、裁判部に衷心より訴えたいと思います。
裁判で明らかになったように、私は北といかなる連携を結んだこともなく、暴力で政権を転覆させようとしたこともありません。私は韓国社会の民主主義と進歩は、ひとえに韓国民衆の力でのみ可能であると信じてきましたし、今もそう信じています。 30年の進歩運動の過程で、私は北にしろソ連にしろ、他人に期待をかけるのでなく、我が民族を信じ、民衆の力に基づいて民衆のための進歩の新しい道を開拓しようと努力してきました。また、1997年の平和的政権交代を目撃して、これからはどんな勢力も、選挙を通さずしては政権を取ることは不可能だと判断し、選挙を通じて進歩勢力の執権が可能だと確信しました。2003年の出所以後、この10年間、そのためにあらゆる努力を尽くしてきました。
検察は私のことを、聞いたこともない、いわゆるROの総責任者であると主張しています。これはそれこそ、ウサギに角を求めるようなものです。 ないものをないと言っているのに、それを証明せよというのですから、私の方こそもどかしい話です。
私が昨年5月を戦争の時機と規定し、それに合わせて暴動を起こそうとしたというのも同じです。私は2013年の春を非常に厳重な情勢と判断しましたが、決して戦争の時機とは見ませんでした。私が講演中に引用した根拠(プレーブックなど)が、これを明確に立証しています。さらに、マリスタで講演した5月初めは、危機が峠を越して韓半島が緊張緩和に向かっている時期でした。
このような状況で私が暴動を扇動して内乱を図ったというのがどうして可能なのか、私は今でも理解できずにいます。 私が講演で明らかにしようとしたのは、韓半島が大きな転換的状況に置かれているという“時代認識”でした。 当面の情勢に対する実践的方法論より、韓半島の危機を増幅させる根本問題、揺らぐ分断構造に対する正しい観点を確立しようということでした。
我が民族が南北に分かれて反目し対立していることは、ただただ害があるだけであって利益といえるものは何もありません。 私は我が民族が和解と統一に進むのは必然だけれども、その過程は決して平坦な道ではないだろうということを述べたのです。さらに、長い間韓半島に決定的影響を与えてきた米国が北に対して軍事的攻撃を敢行するならば、それは我が民族にとって大きな災いとなってしまうという憂慮を示したわけです。
私が提示した「物質的技術的準備」というのは、検察が言うように施設の破壊だの騒擾だのといったものではありません。 正反対のものです。 戦争を準備しようというのではなく、民族共倒れを防ぐための「反戰を準備しよう」という命題を提示したのです。 さらに、分断の危機ならば統一の機会にして、民衆の躍動的かつ創造的な力と知恵により、平和と和解、統一の道を切り開いていこうという主張でした。
検察は自主・民主・統一を主張していることについても、それが北に同調するものだと主張して、まるで維新時代の公安検察の論理を連想させます。 しかし、自主・民主・統一は、私たちの憲法の精神でもあります。 6月抗争を通じて血をもって勝ち取った私たちの憲法は、反外勢の3.1運動の自主精神と反独裁の4.19民主革命の精神を継承しています。 また平和的統一を使命としています。 自主・民主・統一は、北の主張とはなり得ず、唯一韓国社会を生きる韓国民衆の綱領であるのみです。 自主・民主・統一が北に同調するものであれば、北に同調することを避けるために我々が隷属と独裁と分断の道をあゆまねばならないということになりますが、こんなことがいったい話になると思われますか?
尊敬する裁判長
私はこの事件が国家情報院により操作捏造された政治工作であると規定しました。 今回の裁判過程で明らかになったように、実際のところ国家情報院は、当初は5.12の講演を“内乱陰謀事件”とは見ていませんでした。進歩党員を装ってこの3年間、国家情報院の秘密諜報員、いわゆる“協力者”だったというイ某さえも、8.28の押収捜索まで“内乱事件”だとは知らなかったと法廷で証言しています。 さらには、検察側証人として出席したガス・通信・電力会社の主要役職員たちまでが、5.12の講演以後4ヶ月間、国家情報院から何の連絡も受けておらず、9月初めに、この事件のマスコミ報道以後に知ることになったと、この法廷で証言しています。なお、国家情報院の最後の通信制限措置7.28文書名でも、国家保安法事件と摘示しており、国家情報院が内乱陰謀事件とは規定していなかったことが分かります。
尊敬する裁判長
去る8月の政治状況は、この事件の実際的真実を理解する上で密接な関連があると私は考えます。 国家情報院の大統領選介入に対する国民的な憤りは国家情報院の解体を要求していましたし、怒れる民心はその責任を大統領府に向けていました。しかし突然、内乱陰謀事件が起きて、ブラックホールのようにすべての争点を飲み込んでしまいました。
国家情報院の国家紊乱事件も、大統領府の責任論とNLL攻防も、南北首脳会談議事録の論難も。 そして検察総長は狙い撃ちされ辞任に追い込まれ、政界は凍りつき、政権に対する批判は「従北」として攻撃されました。いわゆる理念論争-従北レッテル貼りは政治的反対者を排除する古びた手口ですが、最近世論戦を前面に出しながら、非常に精巧かつ狡猾になってきました。このように理念論争で進歩党を攻撃し、これを通じて野党を分裂させて野党勢力の連帯を破壊するやり方が、2012年から現在まで続けられてきました。
検察はこの裁判を通して「従北」のレッテル貼りと理念論争に対する司法的確認を取り付けることにより、野党勢力の連帯を破壊し、野党が政権をねらうことが出来ないようにしようとしています。政権勢力の永久執権に堅固な土台を設けようとしています。 その狂気の祭壇に、私と進歩党を生贄として上げたのではありませんか。もし陰謀があったとすれば、私の内乱陰謀があったのではなく、朴槿恵政府の永久執権の陰謀があったと見るのが事実に合致するでしょう。
維新時代ならば、軍事独裁時代ならば、このような永久執権陰謀は成功したかもしれません。しかし、今は違います。軍事独裁を退けた韓国民衆が、決して座視しないでしょう。維新が復活するならば、6月抗争も復活するでしょう。それで私は、今回の裁判は、韓国の民主主義がどこまで来ているのかを示す試金石になると信じています。
この場を借りて、私の釈放を嘆願して下さった方々にお礼を申し上げたいと思います。 遠くからノーム・チョムスキー教授とラムゼイ・クラーク元米国法務部長官が、また、カン・ウイル主教が、パク・チェドン画伯が、同僚議員たちが、嘆願してくれました。そうして103,797人の市民たちが私の釈放嘆願書に署名してくださいました。現在のような社会の雰囲気ではイ・ソッキの釈放を嘆願することに相当な勇気が必要であることを知っています。それでなおさら、ありがたく思います。おそらく私個人の釈放よりは、私たちの社会がこのように進んで行ってはならないという召命として署名して下さったものと推測します。だからこそ一層感謝しています。
裁判の間ずっと声援を送り続けて下さった党員同志たちにも挨拶を送ります。 法廷で、また拘置所を行き来しながら党員たちの姿を見るたびに、深い愛情と信頼を感じました。前例のない政治攻勢の中でも屈することなく真実を追求してきた党員同志たちこそ、この世の何ものとも換えることのできない韓国民主主義の守護者だと思います。 党員たちが今回の裁判の結果について多くの期待と憂慮を持っていることを知っています。 また、今回の裁判の結果が政党解散審判に及ぼす影響も考えていることでしょう。
しかし、どんな状況になろうとも、進歩政治は決して挫折することはないでしょう。進歩政治は、わが社会の民衆の願いと希望を代弁してきたからです。我が民族がなくならない限り、韓国社会がなくならない限り、進歩政治は常に生きているのです。その希望の証拠が、まさに我が党の党員同志だったことを私ははっきり見ました。
尊敬する裁判長
今回の事件の裁判を公平に導いて下さったことに対し、再度感謝申し上げます。 個人的には、この5ヶ月の収監生活と公判を通して、第3者的立場で自分を顧みることができた貴重な時間でした。この裁判が、韓国社会がどこまで来ており、またどこに向かっていくべきなのかを示す意味ある里程標となることを願っています。裁判部の、冬の共和国ではなく民主共和国としての春の序曲を告げる賢明な判決を祈りつつ、これをもって最終陳述を終ります。
長時間にわたって聞いて下さり、ありがとうございました。