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‘ロウソクのあかり’ “自律的主体の蜂起” “中間階級の ‘欲望政治’”

原文入力:2009-05-13午前09:07:10
チョ・ジョンファン-イ・テククァン オンライン論争
チョ代表 “進行中の勝利” イ教授 “失敗した行動”
著書 ‘ミネルバのロウソクのあかり’ 契機にブログで4回攻防

イ・セヨン記者

←イ・テククァン慶煕大教授(左側)とチョ・ジョンファンカルムリ代表(右側).

「ロウソクのあかりというファンタジーの向こう側の実在を直視しなさい。」 「ロウソクのあかりがファンタジーというあなたの考えがファンタジーだ。」‘2008年ロウソクのあかり’ を巡る論争がオンラインを熱している。イ・テククァン慶煕大教授と図書出版カルムリのチョ・ジョンファン代表の2人が論争の当事者だ。ロウソクのあかりの性格を各々 ‘欲望の政治’(イテク狂)と ‘自律的蜂起’(チョ・ジョンファン)と規定するこれらの見解はロウソクのあかりを巡って形成された進歩的談論地形の両極端に位置する。それだけに理解と共感の接点を探すのは容易ではない。

表向き、戦いを‘挑発’したのはイ教授だ。彼は去る5日、自身のブログ(http://wallflower.egloo.com)に文を載せ、チョ代表の本<ミネルバのロウソクのあかり>に対して「精巧な分析というよりは(自律主義政治理念の優越性を強弁する)政治パンフレットの感じ」が漂うと皮肉った。すると二日後の7日、チョ代表が自分のブログ(http://blog.daum.net/nalsee)でイ教授の批判を「ロウソクのあかりを幽霊や狂気と見る朝鮮日報の見解と変わらない」と反論し、これを契機に批判と反批判が相次ぎ、一週間に四回の鋭い攻防が二人のブログを行き来して繰り広げられた。

12日現在、論争の焦点はイ教授がドイツ文芸批評家ワルターベニャミンの都市景観分析を引用しロウソクのあかり分析に活用した‘幻灯像’(phantasmagoria・ファンタジー)概念が本来の現実批判的含意を含んでいるのかどうかに当たっている。要するにベニャミンが近代都市の風景を‘幻灯像’と描写する時 ‘虚像’ という意味とともにより良い世界に向かう同時代人の ‘ユートピア的熱望’ までを包括する意味で使っているのに、イ教授は単に ‘虚像’ と ‘幻想’ という意味でのみ使っているのではないかとのことがチョ代表の考えだ。

だが対立の地点はこれ以外にも多い。何より二人はロウソクのあかり参加者を眺める視点自体が違う。チョ代表はロウソクのあかり市民を ‘内的な差を維持し積極的疎通を追求する自律的主導者’ と規定する。大衆の能力に対して無限の信頼を見せているのだ。反面、イ教授はこれらから怪談と類似科学に振り回されかねない “一定の反知性主義的傾向” を見る。こういう彼の視線に捉えられたロウソクのあかりの主役は、イ・ミョンバク政府に向かって ‘私たちもブルジョアが享受する快楽に参加できるようにしてくれ’ と要求する “中間階級とこれらの子女” だ。

ロウソクのあかりの ‘結果’ に対する解釈も違う。「新しい政治的代案をたて革命的主体を作り出した事件と見るのは難しい」という陳述にあらわれるようにイ教授にとってロウソクのあかりは事実上失敗した “中間階級の行動” だ。しかし、チョ代表が見る時こういうイ教授の観点は目の前の成果物があるかないかで成否を問い詰める ‘軍事主義的誤り’ に陥っている。彼にとってロウソクのあかりは参加者が ‘人生を育てて更新するように’ したという点で ‘進行中の勝利’ だ。

各自が依拠する理論的背景にも差がある。大衆の自律性と自己解放能力を信頼するチョ代表の議論がネグリの多重論と集団知性論に基づいているとすれば、すべての政治・社会的実践を貫く人間の欲望とそれが作り出す ‘欲望の政治’ に注目するイ教授はラカンに対する依存度が高い。

論争はチョ代表が「暇ができ次第、争点主題を連載形式で扱い最終的にそれらを一つの文で括り再叙述する」と明らかにし、イ教授もやはり「必要な時ごとにチョ先生の批判に返事を上げる」という立場なので当分継続するものと見られる。観戦するブロガーたちもやはり二人の掲示文に質問や訓手性コメントをして善戦を促している。

この論争に対してチン・テウォン高麗大研究教授は「ロウソクのあかりに対する談論が現象技術の次元を越え、理論的分析と効果的抵抗戦略を模索する段階に発展しているという点で肯定的」と評価した。しかしシン・ジンウク中央大教授は「ロウソクのあかりが置かれていた政治・社会的脈絡や内部に存在する異質で矛盾的な傾向に対する考慮なしでロウソクのあかりを一つの同質的な現象に追い込もうとする画一性が伺える」と指摘した。 イ・セヨン記者monad@hani.co.kr
--------------------------------------------------------------------------------チョ・ジョンファン(53)カルムリ代表は大衆の革命的潜在力を肯定する急進的自律主義者だ。反面イ・テククァン(41)慶煕大教授はすべての権力から批判的距離を維持しようとする犬儒主義(冷笑主義)的批評家だ。

チョ代表は1989年、韓国社会主義労働者同盟結成と機関紙格である<労働解放文学>創刊に参加し、民族文学論に対抗する労働解放文学論の代表走者として名をはせた。1990年、国家保安法違反疑惑で指名手配された後、1999年末までイ・ウォンヨンというペンネームで潜伏し10冊余りの翻訳書を出した。手配解除の後にはネグリ/ハートの自律主義を現実に適用することにまい進し、ウェプジャーナル<自律評論>等で活動している。ネグリの<多重>を翻訳し<アウトノミア>などの本を書いた。

イ教授は英国ウォーリック大大学院で哲学を勉強し、シェフィールド大で英文学博士学位を受けた文化評論家だ。専攻は文化研究と文化理論. 帰国後、光云大を経て慶煕大で教えている。<韓国文化の淫らなファンタジー> <ドゥルーズの劇場でそれを見る> <民族,韓国文化の崇高対象>などの本を書き、昨年5月から<メディア今日>に連載した‘イ・テククァンの文化読み取り’を通じて映画・ドラマ・音楽に政治・社会問題を合わせる全方向批評で注目されている。 イ・セヨン記者

原文: https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/354646.html 訳J.S