2003年2月25日、盧武鉉大統領就任式の日、就任辞で東北アジア中心国家論を聞いて、呆然としていたが涙が出てきた。 ちょうどある報道機関で就任辞を聞いた所感を訊かれて 「率直に言って涙が出てきた」と言ったところ 「そんなに感動的だったか」と言った。 私が「その反対だ。内容も多者主義的では全くないし、提起形式も事前共同協議のない突出型であり、気分を害したようだ。きっと中・日などからのヤジや批判が激しくなり、修正せざるをえないだろう。そう思ったからだった」と話した。 その報道機関では別にインタビューを求めたが、就任する大統領に冷水を浴びせたくないからと遠慮した。 代わりに、安重根の‘東洋平和論’を再評価する論文を書き、それが盧大統領の東北アジア中心国家論と比較してはるかに立派だと明らかにした。 当時はまだ安重根の東洋平和論が格別な注目を浴びずにいる時であった。
韓・中・日 共同平和軍創設
共同貨幣発行・産業開発推進…
安重根、具体的協力方案 提示
韓国の東北アジア平和協力構想の礎石として安重根の東洋平和論は依然として注目されている。 東洋平和論の特徴は、一方では民族国家の独立思想、他方では東洋平和思想という共存型ではなく両者の統合型だということだ。 すなわちこれまで韓国や米国で主に行っている両当事国どうしの2者同盟型ではなく、多くの国が共にする多者同盟型であり独立国家間の国家連合のようなカント型ではなく、独立国家の多者同盟の上に超国家的統合体を作るというジャン・モネ(ヨーロッパ統合の父と呼ばれるフランスの経済学者であり外交官)型だ。 したがって、個別国家の事業を相互に助ける協力型ではなく、同盟体が共に立案推進する共同事業型だ。 安重根の韓・中・日 共同平和軍創設、共同銀行設立、共同貨幣発行、共同産業開発推進などはヨーロッパ経済統合以後の課題だ。 そしてこのような共同事業が第一段階で、次の段階ではある地域から他の地域に広がっていく新機能主義型だ。 ヨーロッパ統合体が外には当時ソ連の挑戦に共同対応して、内にはドイツを共同体の枠組み内に縛っておいたように、東洋平和論は外には西洋あるいは外部帝国主義の挑戦に共同対応し、内には日本の侵略主義を自身の枠組み内に縛っておこうという構想だ。
安重根が各国政府代表ではなく、各国各地域の人民あるいは市民代表で東洋平和会議を構成し、人民の会費で経費を調達しようとする発想もヨーロッパ議会を連想させるが、東洋平和会議を旅順に置こうという構想も驚くべきだ。 当時、清国の東北地方要衝地であった旅順はロシアに帰属していたものを露日戦争の結果、日本が強占することになったが、本来は高句麗の故郷であり、今でも高句麗の城がそのまま残っている。 言ってみれば当時、東北アジア4ヶ国の紛争の核だった。 ところが、そちらを中国にひとまず帰属させ、そこに東洋平和会議の本部を置こうということは、あたかもヨーロッパ紛争の核である鉄鋼と石炭の主産地ルール・ザール地方にヨーロッパ鉄鋼石炭同盟を設置することによって平和が実現したことを連想させる。 私たちは安重根の旅順構想を "紛争の種を平和と協力の核にするモデル" と規定したが、昨春 日本の市民・知識人2000人余りの声明で今紛争中の独島(ドクト)と尖閣諸島(中国名 釣魚島)を韓国と中国に帰属させなければならないことを示唆しながら "紛争の種を協力の核に換えなくてはならない" と明らかにした。 安重根の旅順モデルが生きて作用している事例だ。
今日、東北アジアでは2者関係、非同盟関係、敵対関係などを越えた多者関係の枠組みが切実に要求されている状況だ。 6者会談の枠組みもあるかないか分からないほどだ。 南北関係の改善が東北アジア多者関係を実現する前提条件になるが、逆に東北アジア多者関係の枠組みとして南北関係を作る両面戦略が重要だ。 フランスの小説家ロマン・ロランは人類の新しい行進の先頭にベートーベンを前面に出そうと言ったが、私たちは東北アジア多者協力時代の一番先頭に安重根を前面に出そうと言いたい。 事実、彼の東洋平和論はヨ・ウニョンの東洋平和論に継承され、中国の国父と呼ばれる孫文に伝えられて孫文の大アジア主義につながって、鳩山由紀夫 前日本総理の東アジア共同体論にも現れる。 今度はそれを継承発展させる韓国の構想が出てこなければならない時だ。 日本のアジア主義論はどうしても‘アジアの日本化’の影がきわめて濃厚だ。 中国の論理には‘アジアの中国化’という臭いがあまりに濃厚だ。 安重根は初めて‘アジアのアジア化’ビジョンを打ち立て、命を投じて壮厳に実践することによって "天が初めて開かれ、どこからか鶏の鳴く声" になった。
私自身も安重根逝去100周年論文執筆を終えた瞬間、彼の魂の命令でも受けたかのように日本の人々に電話して韓-日強制併合100年の年に東アジア平和のために強制併合条約源泉無効知識人声明を出そうと訴え、結局2010年に両国の知識人1000人余りの共同声明が実現した。 その総括論集<韓国・日本の歴史問題の核心をどのように解くべきか>がちょうど両国で同時出版された。 私たちはこれを "21世紀東北アジアの安重根クーデター" と呼んでいる。
"紛争の種を協力の核に"
独島・尖閣に平和本部設置の声
‘旅順モデル’21世紀にもよみがえる
私は昨春、北京で著名な映画監督 張芸謀(チャン・イーモウ)に会う機会があった。 私は張監督の映像芸術および北京オリンピック開幕式などの水準はスピルバーグを連想させるが 「スピルバーグは人類の運命を代弁する映画を作るが、張監督はなぜ中国、いや中華主義を代弁する映画を作るのか」と面と向かって話した。 彼は大家らしく私の話を傾聴した。 「中国が中華主義天下主義で出てくれば、韓国は米国に頼るほかはない。 日本・フィリピン・ベトナムなど皆そうではないか。 すると中国が最も損を見るのでは無いか。 今後はアジアを抱きしめる映画を作れ。」彼は他の約束も取り消して訊いてきた。 「アジアを抱きしめる映画を作るにはどのようにすれば良いだろうか?」私ははばからずに話した。 「安重根の映画を作ってください。」 そして安重根が伊藤博文の処刑を‘東洋平和儀典’と規定し、最後に残す話をしろと言われて 「朝鮮独立のために努めろと言わず、東洋平和のために努めよ」と言い、死刑場で東洋平和万歳を叫ばせてくれと言ったということを紹介し 「彼は殉国以上に殉東した最初の事例」と話した。 (中国5・4運動の時、演劇活動で周恩来 元総理、鄧穎超 女史が安重根役をかわるがわる演じて結婚した話や、胡錦濤 元主席が訪韓した時に 「安重根は韓国民の英雄だが、中国人民としても忘れることのできない恩人だ」と言った話もした。) 書芸が好きな張芸謀は安義士の書芸図録を注意深く見て 「文字に人柄が見える」として子供のように喜んだ。 2時間半にわたり会って別れる時、私は力説した。 「張監督が安重根映画を作れば、安重根はアジア時代のドアを開けた英雄に浮上して、アジア人民3000万人以上が見ることで、アジアの雰囲気が少しは変わるだろうし、日本も精神を少しは整えるでしょう。」 彼の顔は安重根を発見した喜びで輝いていた。 その後、彼は私が送った安重根の資料を3回以上見たと言った。 私は張監督が安重根の映画を作ることと堅く信じる。
中国と日本の間、韓国は中間緩衝地としての役割が重要
'シビル アジア’先導モデルを見せるべき
安重根の東洋平和論で韓国の位置に対する議論が抜けており苦しんでいる間に、丹齋(タンジェ)申采浩(シン・チェホ)先生の‘朝鮮独立および東洋平和’(<天鼓>創刊号1921)を再発見できた。 丹齋は大陸勢力中国と海洋勢力日本の衝突をその中間に位置した韓国が防ぎ、平和を保存した功労が大きいとみて、それが韓国の天職だと指摘した。 そして丹齋はロシア革命の南下に対して日本の軍事力を育てて防ごうとする列強の戦略は、軍閥と資本家に対する民衆の反感を育てて、かえってソ連に対する期待を育てるものであり、また日本の大陸侵攻という背信の苦杯をなめるだろうと予想した。 したがって東洋平和の上策は‘朝鮮独立’で中間緩衝の役割を尽くすようにすることだと強調した。 丹齋のこの指摘を現情勢に単純代入しても、米国が二大強国(G2)である中国を日本の軍事力を育てて牽制しようとすれば、軍産複合体に対する東アジア市民社会の反感を育てて、軍事強国日本から途方もない離反の苦杯をなめることになるため、中間緩衝国たる韓国を支援するほうが良いという論理になりそうだ。 しかも韓国は今の乱調にもかかわらず、アジアで民主市民社会が最も発達した国であり、4強から植民地化と分断化の被害を最も多く受けた歴史債権国家ではないか? オバマ政府のアジア リバランシング(re-balancing)(再均衡)政策のもう一つの主役である米国のリベラル勢力との民主的価値共有で‘シビル アジア’の先導モデルになることができる。
安重根の東洋平和論と申采浩の東洋平和における韓国の役割論を統合して、現在の情勢の中に創造的に適用する時、韓国の東北アジア建築学概論の序論は成立するだろう。 私はそれを東北アジア凧揚げモデル(Kite-Flying Model)として試みている。
2012年10月ハンギョレ新聞が主催したアジア未来フォーラム第3回大会に参加したキム・ファンシク当時総理は、私と昼食を共にしながら当時の李明博政権末期の苛酷な世評に苦しんでいた。 私は話した。 「現政権が韓・中・日 協力事務局をソウルに誘致したことを非常に高く評価します。 ソウルが東北アジアのブリュッセルになる道を開いたのです。」 ヨーロッパ強大国間のベルギーモデルより、4強間の緩衝-調整-協力促進-和解の役割がさらに難しく、より大きいかもしれない。 そうした点で東北アジア90余の地方自治体連合常設事務局を私たちが多くの辛酸と苦難の末に慶北(キョンブク)浦項(ポハン)に誘致したが、我が国ではその途方もない宝を持ったことも分からずにそのまま腐らせている。 ヨーロッパでは地域が集まってヨーロッパ(Europe of Locals)になるという。 国々が集まってヨーロッパになるのではないという話だ。アジアも地域が集まってアジアになることの重要性を考えれば、この事務局の意味を再発見できるだろう。 安重根・申采浩の旅順・朝鮮モデルの門の一部はすでに私たちの前に開かれているが、聖書の言葉のように "開かれた門に入る者がいない" ということなのか。 <終>キム・ヨンホ ハーバード大招へい教授・韓国社会責任投資フォーラム理事長