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慰安婦-基地村 ハルモニ ‘同病相憐 初の出会い’

原文入力:2009-05-09午前01:30:22
現代史の痛み 大切に保管したまま父母の日に会って
“隠れずに頑張られるように” “私より大変なこと体験して”

パク・スジン記者

←父母の日をむかえた8日午前、京畿道,平沢市の日差し社会福祉会事務室で、基地村の女性たちと日本軍慰安婦女性たちが共に平沢,南山子供の家の子供たちの踊りと歌公演を見て喜んでいる。

“産みの苦しみみな忘れ~”8日午前、京畿,平沢市,アンジョン里の日差し社会福祉会事務室で50人余りが参加した小さな父母の日祭りが開かれた。参席者らが‘母の心’を歌うとこれを見守っていたおばあさんたちがハンカチで涙を拭いた。

今回の行事は日本軍慰安婦ハルモニ3人と米軍基地村ハルモニ25人のために用意された。みな青春を奪われ平凡な家庭を作ることができずきちんとした父母の日祝宴を受けられなかった人々だ。特にこれらの人々が我が国現代史の痛みを各々象徴しているが、公式的に席を共にしたのはこの日が初めてだ。

13才で日本軍に連行されて行き6年間慰安婦生活をしなければならなかったキル・ウォンオク(83)氏は60~70代の基地村ハルモニたちに先に慰めの言葉をかけた。「私も日本軍にやられたことが自分の誤りであるように思って最近まで隠して生きてきた。ところが、それは私たちの誤りではなく国家の誤りだったことを知ることになった。皆さんも同じだから隠れずに頑張られるように。」

行事の中間に、平沢市,南山子供の家から来た20人余りの幼稚園生たちがハルモニたちに「健康をお祈りします」とカーネーションを付けて差し上げ、楽しい歌と踊りをお披露目した。

ハルモニたちはあらかじめ準備した贈り物を相互にやりとりした。慰安婦ハルモニたちは「健康で」という話と共に漢方薬を基地村ハルモニたちにプレゼントした。基地村ハルモニたちは僅かづつ集めたお金で用意した靴下を慰安婦ハルモニたちに渡した。

東豆川・平沢など米軍基地近隣で米軍相手に仕事をしたチョン・某(73)氏は「私も大変だったが、あの方たちは私よりさらに苦しいことを体験しておられ、とても心が痛い」と言ってずっと涙をふいた。日本軍慰安婦生活をしたパク・スンヒ(87)氏は「私たちは互いに同じ痛みを体験した者なので見るだけでも痛ましい」として「はやく関連法が作られあの方々は暮らす部屋の一間でも用意しなければならない」と話した。

慰安婦女性たちは関連法が制定され生活安定支援対象として生活費・住居費などの支援を受けている反面、基地村女性たちは国家賠償の対象ではない。現在、基地村女性老人の大部分は貸間などで一人で暮らしている。

この日の出会いは‘基地村女性たちと共にする女性連帯’(以下 女性連帯)が主軸になり準備された。女性連帯には韓国挺身隊問題対策協議会,日差し社会福祉会,結い部屋などの女性団体と研究者などが参加している。ウ・スンドク日差し社会福祉会代表は「慰安婦ハルモニたちの力をもらって、平沢基地村ハルモニたちも堂々と頑張って生きてゆかれればうれしい」と話した。イ・ナヨン中央大教授(社会学)は「慰安婦女性はこの間日帝収奪の象徴として照明を受けた反面、基地村女性は非難ばかりを受けてきた」として「今回の出会いは当事者たちが社会的偏見を破って自ら立ち上がった歴史の一場面」と話した。

平沢/文・写真パク・スジン記者jin21@hani.co.kr

原文: https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/353980.html 訳J.S