本文に移動

ハワイ徴用捕虜の哀歓を込めた情報誌 再び発見

登録:2013-12-03 00:55 修正:2013-12-03 07:22
週刊発行‘自由韓人報’ 3号 複写本
捕虜名簿 含む… "慰安婦がいるかも"
週刊発行‘自由韓人報’ 3号 複写本

 2次世界大戦時、日帝によって強制徴用され連合軍に捕まりハワイ収容所に捕えられていた韓国人たちが発行した<自由韓人報> 3号(1945年11月15日発行)が2日に発見された。 この<自由韓人報>はハワイ収容所で生活したこれらの人々が週刊で発行した情報誌形態の雑誌だ。 1~7号まで発行されたが、今までは7号(最後の停刊号・1945年12月12日発行)だけが1987年に発見された。 今回発見された<自由韓人報> 3号は複写本で、忠北(チュンブク)清州(チョンジュ)の<忠清(チュンチョン)日報>資料室で見つかった。 キム・ドヒョン独立記念館研究委員は「7号は終刊号なので、それまでの<自由韓人報>とは異なる形態だが、3号は原形と見られ史料的価値が非常に高い。 捕虜の反日感情が所々ににじみ出ている」と話した。

 チョ・ムジュ<忠清日報>論説室長は 「創刊70年史を書くために資料室を整理する過程で発見し、表紙に1991年4月4日と書かれていることから類推して、この時に収集したものと推定される。 だが、誰がどんな経路でなぜ収集し保管してきたのかは分からない」と話した。

 当時ハワイ収容所には韓国人強制徴用者2,780人余り(推定)が戦争捕虜として収容されていて、学徒兵出身のパク・スンドン、イ・ジョンシル、パク・ヒョンムらが<自由韓人報>の編集・発行・記事作成などを主導したことが分かった。 表紙(写真)を含めて60ページ程度をハングル・漢字混用体で発行し、写真・図が収められている。 当時捕虜たちは労役賃金などを出し合って<自由韓人報>を出し、毎週300~500部程度を発行したと伝えられている。

 内容がおもしろい。 ‘世界放送局’というコラムには‘朝鮮公務会長であるキム・ヨンジュン氏が日帝に賠償金を要求しなければならない’という主張をしたとある。 ‘高談’コーナーでは‘超越した愛’(ヒャン・チョン作)という随筆がのせられ、‘運動とチームワーク’というコラムではマラソンランナー ソン・ギジョン選手を‘我が国運動界の宝、マラソン王ソン・ギジョン’と紹介した。 スポーツ コーナーでは‘イタリアとサッカー戦で5対3で惜敗した。 負けはしたが、一つも醜いことをせずきれいに戦って思い残すことはない’という内容がのせられた。 ‘考えてみよう’コーナーには‘鯨は魚ですか? 獣ですか?’等の簡単なクイズも載っている。

 <忠清日報>は<自由韓人報> 3号とともに捕虜名簿も同時に発見した。 この名簿は<自由韓人報> 7号の付録格で、当時の捕虜たちが作成した後に各自が分け合った。 チェ・ヨンホ ハワイ大名誉教授(歴史学科)等、ハワイ韓人会は来年捕虜収容所跡に彼らの名前が刻まれた記念塔を建てる計画だ。

 キム研究委員は「名簿には捕虜の氏名・住所などが記載されているが、女性たちの名前も一緒に出てくる。 彼女たちの中には看護婦だった人もいるだろうが、日帝時に軍隊とともに慰安婦が付いて回った事実があるためこれらの名簿の中に慰安婦がいる可能性もある」と話した。

オ・ユンジュ記者 sting@hani.co.kr、写真 忠清日報提供

https://www.hani.co.kr/arti/society/area/613706.html 韓国語原文入力:2013/12/02 21:48
訳J.S(1482字)

関連記事