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怖くて恐ろしかったと…性暴行 傷付いた心を表わすことから治癒が始まった

登録:2013-10-30 20:21 修正:2013-10-31 07:44
【社会ズーム・イン】 「性暴行生存者が語る大会」10周年
2004年12月に開かれた第2回性暴行生存者が語る大会の垂れ幕

9回の大会の間に被害者50人余り参加
隠してきた痛み 公開の場で話し
「私の苦痛が認められる唯一の場」

被害者たち“自助の集い”も設け出会い
相談所側「受動的な被害者を越えて
生きる意志を取り戻した生存者に生まれ変わる」

「その人は背後から襲って来ました」

この一言を口にするのに15年かかった。 「ほんとうに怖くて恐ろしい記憶だった・・・一つ一つ、思いだし始めました。 私にとってあまりにも重要な“パズル合わせ”でした。」 ハンセ(仮名・女・40代半ば)氏の声はかすかに震えていた。 不惑を前にした2007年、彼女は胸の底深く沈んでいた、20代に体験した性暴行被害を他の人たちの前に引っぱり出した。

 第5回「性暴行生存者が語る大会」を控えて準備された事前の集まりでのことだった。 心理劇を演じながらハンセ氏は隠していた記憶を水面上に引き上げた。「私が苦しくて続けられなくなると、進行者が私の席に他の人を横たわらせて、『自分に言ってあげたいことがあれば言って下さい』と言いました。」 その時、彼女は「よく耐えた」と自らに繰り返し繰り返し言いかけた。 ハンセ氏は「自分に一度も言ってあげたことのない言葉だったが、とても言ってあげたい言葉だったようだ」と、淡々と語った。

 ハンセ氏は、第3回「性暴行生存者が語る大会」を見守りながら、自ら“語ること”を決心した。 性暴行被害を話す“語る参加者”と、それに耳を傾けることを約束した“聴く参加者”のうち、ハンセ氏はまず聴く参加者になった。 「屋上に上がって甕を抱きしめて泣いた」というある生存者の話に心が動いた。 「親族から性暴行被害に遭った方が自分の話をするんですが、いつも屋上に上がったそうです。 加害者と顔を合わせず一人でいられる唯一の場所だったわけですが、手で甕を抱く真似をして見せました。 『甕はものが言えないから私の話を他人に話したりしないし、私を批判したりもしないし、それに、丸くてふところにそっくり抱けるんです』と言って・・・。 何の批判もせずに甕のように抱いてくれる人、そのような慰めが私にも必要だったという気がしました。」

 ハンセ氏は意を決して2年目に“語る参加者”として参加した。 大会の後3週間経って、彼女は中学1年生だった息子にも被害経験を打ち明けた。 “知っている人”に話した最初の経験だった。 驚いた息子がハンセ氏に問い返した。

「なんで僕に話してくれるの?」

「あんたのお母さんに起きたことだから。 そしてあんたが男だから。」

 ハンセ氏は「息子がまだ小さいので話してもかまわないだろうかと悩んだけれども、息子は批判も非難もせずに、思ったよりきちんと受け止めてくれた。 『これからお母さんに対してどうしたらいいの?』と尋ねるので『今までと同じようにすればいいんだよ』と教えてやった」と話した。 それ以後、ハンセ氏は息子と一緒に毎年「性暴行生存者が語る大会」に“聴く人”として参加している。 「辛さとか怒りの感情を外に表わして、私の経験を認めてもらえる唯一の安全な場所です。 泣きもするけれども、一緒に楽しんで笑いながら肯定的な力もたくさんもらって来ます。」

 ハンセ氏だけではない。 多くの性暴行被害者が公開の場で語ることを通じて、治癒の礎を置いた。 第7回の参加者であるパダ(仮名・30・女)氏は「語ることを通じて、私が私の事をきちんと覗き込んで、考えて、助けを得ることが始まった。 以前が“結局負ける戦い”だったとすれば、話すことを通じて他の出口を見出した感じだった。 被害者が別の人生を望むならば、語ることを是非薦めたい」と強調した。

 第10回「性暴行生存者の語る大会」が25日、ソウル三成洞(サムソンドン)のベアホールで開かれる。 2003年の第1回大会以来2012年まで、全部で50人余りの性暴行被害者が被害経験を語った。 相談所側は、ここに参加した人々が、受けた傷に圧倒される受動的な“被害者”であることを乗り越えて、自分の経験を積極的に包み込む “生存者”として生まれ変わったと見る。

2010年11月、ソウル銅雀区(トンジャクク)大方洞(テバンドン)のソウル女性プラザで開かれた第7回「踊るオルムキル(上り坂)」の舞台で‘コーラス’参加者が合唱公演を披露している。 この大会では“語る”“聴く”の参加以外に性暴行被害生存者を支持する女性たちを‘コーラス’という合唱団員として別途募集した。 性暴行相談所提供

 性暴行被害者を「生存者」と呼ぼうという提案は、トラウマ研究者と女性運動家たちから出てきた。 性暴行被害者は、あたかも戦争や災難の被害者のように、安全だと信じていた世界そのものが崩れ落ちるという大きな衝撃を受けた後、生きる意志を取り戻そうと孤軍奮闘するという点で、生存者として尊重されねばならないという意味だ。 女性学者クォン・キム・ヒョニョン氏は「性暴行生存者が語る大会は、あたかも法廷でのように被害の事実関係を証明し訴えることに焦点を置くのではなく、被害経験以後も人生を継続していく生存者として尊重し、彼らの話を受容・共感することに重点を置く」と話した。

 生存者は、メディアに映し出される“被害者らしい被害者”に対する各種の偏見が消えて、より多くの被害者が息をつけるようになることを願う。 第6回参加者ソウン(仮名・37・女)氏は「性暴行が常に逸脱的な“事件”として出てくるので、被害者像が固定されるようだ。 しかし全て日常の問題だ。 聞く人が被害者の人生の脈絡をもっと考慮するならば、語りやすくなるだろう」と話した。

 生存者はまた、公開の場で語ることを通じて自分自身だけでなく社会も共に治癒されることを希望する。 職場内セクハラ予防教育講師の仕事をしているハンセ氏は、警察・司法機関・教育庁などの公共機関で講演する時は「危険を覚悟して」被害経験を一定部分公開する。「私の経験を他の人に一生懸命に分けて、より良い社会を作ることが私の夢です。」

キム・ヒョシル記者 trans@hani.co.kr

https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/608332.html 韓国語原文入力:2013/10/24 11:57
訳A.K(2741字)

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