電気を作って使う人間、皆が“外部の人々”だ。 電力消費先である都市のための送電塔工事で、誰かの生活の基盤は無惨に踏みにじられている。 慶南(キョンナム)密陽(ミリャン)で高圧送電塔工事に抗議して昨年1月16日焼身自殺したイ・チウ(当時74才)氏の弟イ・サンウ(73)氏を一番虚しくさせる点も、密陽の事態について“外部勢力”云々する“外部”の視線だった。
「外部勢力とは何だ。他からの人たちがいなかったら私たちがどうやって阻止できよう。第4工区(金谷ヘリ着陸地)の近くに私たちの村とコラン村の人たち合わせたって出て来られる人が30人にもならない。 年寄りが30人で警察と工事の人たちをどうやって阻めるか。 都市に電気が必要ならば都市に鉄塔をたてて電気を使うなり何なりすべきだ。 一体全体、なぜ田舎に鉄塔を建てようとするのか。 愚かな田舎の人々を捕まえて殺そうとしてるんだ」
密陽一帯の送電塔工事予定地が決定されたのは2007年11月だった。 イ・チウ、サンウ兄弟は密陽市山外面(サンウェミョン)ポラ村で生まれ育った。 兄は村で“小学校”まで通い、弟は学校に行けなかった。 一生、土地を耕してきた兄弟には、ようやくのことで手に入れた9200余㎡(2800坪余り)の土地が人生そのものだった。
苦労して自分のものにした9200余㎡の土地
市価6億を越えるのに補償金は8700万ウォン
弟サンウ氏「鉄塔建てる所だけ買い取るとは、
どんなに悔しいか、周辺の土地は使えないだろうに」
兄の焼身後、周りの人たち抵抗激烈
送電塔反対対策委ができ
70~80代の住民たち“闘士”になる
その田んぼの真ん中に765kVの高圧送電塔(102番)が建つと聞いた時、初めは「まさか」と思った。 だが、イ氏兄弟が2010年に田を担保に農協に融資を申し込むと、「765kV送電線が通る土地だから、融資申請は受付できない」という返事が返ってきた。 2012年1月初めには「補償金に対する供託金を受取るように」という密陽地裁の郵便物が届いた。 イ氏兄弟の田は当時、市価で6億9000万ウォンだったが、韓国電力公社(韓電)は補償金8700万ウォンを提示した。 送電塔敷地500余㎡(150坪)と線下地(送電線が通過する土地) 1300余㎡(400坪)だけが補償対象だった。 イ・サンウ氏は「土地全体を買い取るということでもなく、鉄塔が建つ所だけを買い取ると言うのだから、どれほど悔しいか、周辺はみな使えない土地になるのに」と語った。
イ氏兄弟だけの問題ではなかった。 この村の多くの家が102番送電塔現場から1km以内の距離にある。 イ・チウ氏は地裁からの郵便物を村の人々に見せると、住民たちは直ちに交替で毎日明け方に村の入り口の見張りを始めた。 それから10日ほど経って、この村の人々が「死んでも忘れられない2012年1月16日」が訪れた。
その日の明け方、50人余りの下請会社の職員と韓電職員が掘削機を先頭に村に乗り込んできた。 下請け会社の職員が投入されたのは初めてだった。 老人が大部分である住民は、素手で対抗した。 イ・チウ氏は掘削機を燃やしてしまうと言ってガソリンを持って現れた。 村の人たちは、彼から何回もガソリン缶を取り上げて止め、最後にはガソリンを地面にぶちまけてしまい、ようやく止めた。 その日の夕方、イ氏は自分のからだにガソリンをかけ、村の入口のポラ橋前で火をつけた。 「うちの田で工事をするというので兄は腹が立ったんです。 駄目なことはあくまで駄目だと言う人だから、我慢できなかったんでしょう。」
ポラ橋前にはまだ黒っぽい跡が残っていた。 村の住民は、この橋を渡るたびにイ氏のことを思い出すと言った。 彼の妻ヒョン・ジョンスク(74)氏は夫に関する質問を極力避けようとした。 「毎日ご飯も一人だし、一緒に話をする人もいないし。 食欲もない。これでは気力も出なくて死んでしまうと思って少し食べて・・・」 ヒョン氏がゴマの葉を取りに畑に行く途中、ポラ橋の焼身現場を通る。 彼女はその場をしばし振り返って「アイゴー、おろかな人だ。 いったい何をしようとして・・・」と言い、喉を詰まらせた。
イ・チウ氏は密陽を“環境運動の最前線”に変貌させた。 イ・ホンソク<エネルギー正義行動>代表は「当時日本で開かれた“脱核大会”に参加して帰ってきた日、イ・チウ氏の焼身の知らせを聞いた。 それまで密陽問題を知ってはいたけれども、ほとんど連帯できなかった。 それでお年寄りを死に追い込んだようで悔やまれる」と語った。 現在<密陽765kV送電塔反対対策委員会>が作られたのもイ・チウ氏の焼身以後だ。
今イ氏兄弟の田のまん中の送電塔予定地には高さ140m余りのアドバルーンが設置されている。 送電塔と同じ高さに‘765kV送電塔反対’と書かれた横断幕がひるがえっている。 密陽でもポラ村の住民の抵抗はとりわけ激烈だ。 隣人を先に送ったという惨めな思い、申し訳なさ、生活の基盤を守らねばならない切迫さの中で、70~80代の住民たちはすでに“闘士”になっていた。
密陽/ソン・ホギュン、イ・ジェウク記者 uknow@hani.co.kr