‘有線放送会社職員 募集’ テレビ画面の下に字幕が流れた。 働き口を探していた。 これと言った経歴もなかった。 ぽつりぽつりと履歴書を書いた。 会社側が「すぐに出勤できるか」と尋ねた。 その日以後、ケーブル アフターサービス(AS)技師として生きてきた。 「手先が器用だ」という話をしばしば聞いた。 適性にも合っていた。 今はベテランと呼ばれる。 毎日映らないテレビや不通電話機のケーブルを直す仕事をする。 一日平均15ヶ所を歩き回る。 一度コースを間違えば一日の移動距離が200kmを越えたりもする。
ケーブル技師アン・トファン(48)氏とカン・キュソク(38)氏の人生はここまで全く同じだった。 アン氏はケーブル放送会社であるC&Mの正規職で、カン氏はC&Mの協力会社であるタコスの職員という点だけが違う。 身分の差は二人の人生を分ける。
3年前までアン氏とカン氏は二人ともC&Mの職員だった。 だが、C&Mは2008年からケーブルテレビ アフターサービス業務を段階的に外注化した。 2010年に行なわれた最後の外注化対象はC&M京畿(キョンギ)広州(クァンジュ)・驪州(ヨジュ)・楊坪(ヤンピョン)ケーブルだった。 会社側からは 「本社にA/S職員をこれ以上置かないことにした。 残ろうと思うなら資材管理など他の業務を遂行しなければならない」と言われた。 楊坪(ヤンピョン)と驪州(ヨジュ)の技師10人余りは会社の提案を拒否した。 C&Mにちょうど労働組合が作られた時期であった。 だが、カン氏が仕事をしたC&M広州(クァンジュ)ケーブルは本社の要求を受け入れた。 今は広州地域でC&Mのケーブルを直す人はC&Mの職員ではない。 ‘C&M指定パートナー社’と書かれたユニホームを着る。 2008年にC&M所属技師は600人余りに達したが、今は楊坪(ヤンピョン)・驪州(ヨジュ)に17人だけが残った。 残りの技師は24のそれぞれ違う協力業者所属でC&Mのケーブルに手入れをしている。
2000年に河南(ハナム)有線放送に入社して仕事を始めたカン氏は、アフターサービス技師として13年を過した。 会社が吸収合併されC&Mの職員になったのが2009年だ。 C&Mは当時首都圏最大のケーブル放送会社であった。 カン氏は第2の人生を夢見た。 「家に借金がありました。 10年以上返してきました。 200万ウォン程度の月給で140万ウォンが元金と利子に抜け出て行きました。 見るのも嫌になるほどラーメンばかり食べました。 借金を全て返したのが2008年です。 そして1年後にC&Mの職員になりましたよ。 希望が大きかったんですよ。」希望は1年後には砕け散った。
外注業者に変わると、すぐにすべてのことが変わった。 C&M協力業者ぼ正規職は事実上C&Mの非正規職だった。 「協力業者の正規職は意味が殆どありません。 C&Mを出て、それを悟りました。 本社に対する行動から変わりましたよ。 業務協力が必要なことがありました。 本社に書類を出さなければならないといいましたよ。 急だったのであらまし書いて渡したところ、すぐにチーム長に連絡がきて、ひどい目にあいました。 ‘本社から抗議が来た。 公文くらいきちんと書け’と言われました。」 本社にいる時は電話一本で終わることだった。 カン氏は自身がC&Mでない会社に通っていることを悟った。
処遇は全く同じという約束も少しずつ崩れた。 出勤時間は30分早まり、退勤時間は30分遅くなった。 休日と夜勤手当てもまともに受け取れなかった。 2800万ウォン余りの年俸は維持されているものの、賃金引き上げ率は本社には及ばない。 ケーブルテレビ加入者を募集する営業業務もこなさなければならなかった。 営業実績が良くなければ始末書を書く。 営業実績のために苦しんだ同僚は‘自爆’した。 自分名義で見もしないケーブルテレビに加入して実績を上げるのだ。 そのようにして五口加入した同僚もいる。
C&Mの‘AS外注化’方針
驪州(ヨジュ)は拒否、広州(クァンジュ)は受け入れた
A/S技師 アン氏は本社に残り
カン氏は協力業者に去った
所属が変わるや稼ぎに差ができ
営業圧迫にも苦しめられた
今年は完全に非正規職になる危機
一旦は持ちこたえたが将来が恐ろしい
仕事を続けられるかも心配だ。 今年初め、会社側は1年契約書を差し出した。 カン氏は当然‘年俸契約書’と理解した。 だが、その書類は‘勤労契約書’であった。 完全な非正規職になるという話だ。 同僚たちと共に会社に強く抗議し、契約書の作成を拒否した。 「今は本社職員を見ればうらやましいです。」カン氏は自身の過去を羨んでいる。
カン氏の羨望を買うアン氏は、C&M驪州(ヨジュ)ケーブルで仕事をしている。 1988年、城南(ソンナム)有線に入社したアン氏は、有線放送業者のいろいろな所で仕事をした。 1998年から2002年まではCJハロービジョンのソウル陽川(ヤンチョン)ケーブルで仕事をした。 だが、2001年に京畿道龍仁(ヨンイン)に住む母親が病気で倒れると両親の家に近いところへ引越した。 3時間以上かかる出退勤時間に耐えられず龍仁に近いC&M驪州(ヨジュ)ケーブルに転職した。 経歴25年で年俸は3700万ウォン内外だ。 同じ業界の処遇と経歴を確かめてみれば少ない。 小学校4年の息子と幼稚園に通う娘を育てるのにギリギリだ。 だが、本社に残ったことだけでも幸いだと考える。 「今考えれば本当に危なかった。 事実、驪州(ヨジュ)も間髪の差で外注化されなかったんです。」 アン氏は2010年、広州(クァンジュ)ケーブルで3ヶ月ほど派遣勤務をしていた。 その時にカン氏とも少し一緒だった。 アン氏が驪州(ヨジュ)に戻った後、すぐにC&M広州(クァンジュ)ケーブルが外注化されて二人の運命が分かれた。 アン氏は‘生き残った者’になり、カン氏は‘去った者’になった。 アン氏はあちこちで‘去った者’たちの叫びを聞く。 「初めは会社側が出て行けばもっと良くしてくれると言いました。 営業活動もしてケーブル加入者を募集すれば金もたくさんくれると言いました。 でも、それが簡単なことですか。」‘去った者’たちは会社を去っている。 民主労総希望連帯労組C&M支部キム・シグォン事務局長は「外注化以後、3年間でC&Mでアフターサービス技師として仕事をしていた職員の80~90%が会社を辞めたと把握している。 本社職員である時より状況が劣悪だから、完全に会社を去るのだ」と話した。
アン氏とカン氏の運命は3年前に分かれたが心配は一つだ。 「仕事を続けられるかが一番心配でしょう。」 二人は口をそろえた。 17人しか残っていない本社技師もいつ協力業者職員に変わるやもしれない。C&Mの売上は2011年434億ウォンから2012年505億ウォンへ70億ウォン近く増えた。 同じ期間に営業利益も4億6000万ウォンから5億8000万ウォンに増加した。
チョン・ファンボン記者 bonge@hani.co.kr