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日本人たちはなぜ旭日旗を打ち振るのか

登録:2013-08-15 15:31 修正:2013-08-15 23:22
問題ある旗を通じて見た韓-日関係
去る6月4日、日本埼玉県で開かれた2014年ブラジル ワールドカップ予選オーストラリアとの競技に先立ち、日本応援団がかつての日本軍国主義の象徴であり現在は陸上・海上自衛隊の旗である旭日期を掲げている。 ロイターニュース1

 15日で我が国が日本から解放されて68周年をむかえることになるが、韓-日関係はともすれば荒波に巻きこまれたりしている。 最近、韓-日間に浮上した新しいイシューはいわゆる‘旭日旗論争’だ。 韓国では旭日旗を‘戦犯旗’と規定して、日本に使用の自制を要求しているが、日本では国旗である日章旗と違うところのない自国の象徴として、絶対に応じられないという立場を明らかにしている。

 旭日旗が両国間に敏感な懸案として浮上したのはきわめて最近のことだ。 昨年8月ロンドン オリンピック男子サッカー銅メダル決定戦で、パク・ジョンウ選手が日本を破った後 「独島(トクト)は我が領土」と書かれた紙を持ってセレモニーをしたことが契機であった。 これに対して国際オリンピック委員会(IOC)がパク選手の行動を‘競技場では許されない政治的行為’と指摘して懲戒方針を明らかにし、韓国ネチズンたちが日本体操選手たちのユニフォームに旭日期の図柄が使われていることを問題にして反撃に出た。

 以後、旭日旗論争はサッカー 韓-日戦のたびに再演されている。 ロンドンオリンピック直後の昨年8月、日本東京で20才以下韓-日女子サッカー代表チーム競技が行なわれた時も再び大きな論議が起き、先月28日にソウルで開催された東アジア サッカー大会時には両国政界までが乗り出して下品な言葉をやりとりする事態にまで発展してしまった。

グラウンドで火がついた帝国主義論争
韓国では "戦犯旗使用自制" 要求
日本側 "自国を象徴する旗に過ぎない" 対抗
悪化した韓-日関係 更に凍りつく

 旭日旗論争が独島(トクト)、慰安婦、個人請求権など韓-日間の既存懸案と区別される点は、大衆に対する引火性と伝播力が強い‘スポーツ民族主義’を土台にしている点だ。 そうでなくても安倍日本総理の相次ぐ妄言と日本閣僚の靖国神社参拝などで悪化した韓-日関係の火に旭日旗が油を注いでいる局面だ。 日本政府が「旭日旗使用には問題がない」という側に政府意見を定めたという報道(<産経新聞> 6日付)が出てきたが、この問題を放置すればサッカー 韓-日戦の度に韓-日関係が梗塞する状況が繰り返されかねないという憂慮が高まっている。

 しかし日本の大方の世論は、旭日旗は日章旗と同じく日本を象徴する伝統的な旗なのに、韓国があまりに過敏に反応しているということだ。 戦争が終わった後、60年余り何の問題もなく使ってきた旗を今になって問題にするとは理解できないという反応も出ている。 私たちはこの旭日旗をどのように見なければならないだろうか?

去る7月28日、ソウル松坡区(ソンパグ)蚕室(チャムシル)運動場で開かれた東アジアカップ サッカー選手権大会の日本との競技で、'赤い悪魔'応援団が競技開始と同時に李舜臣将軍と安重根義士の大きな肖像を広げている。 ニュース1

 旭日旗が持つ意味を正確に把握するためには、日本が近代国家の姿を備え始めた‘明治維新’時に視線を移してみなければならない。 1868年、明治維新を通じて近代国家に向かって第一歩を踏み出した日本にとって、最大の問題は各藩(地域)別に分散していた領主の軍隊を一つにまとめ‘天皇の軍隊’を作ることだった。 そのために1879年、天皇のために亡くなった人々を称えるための靖国神社が作られた。 靖国神社を通じて、各地域の大名に忠誠を誓っていた軍人は今度は天皇のために喜んで命を捧げる皇軍になった。 これを通じて日本は "死んで靖国で会おう" という信仰を作り、数多くの兵士たちを戦場に送りだすことができた。

 それとともに天皇の軍隊を支える多くの行政措置が後に伴った。 具体的には、新しく作った軍隊の兵制はどのようにするか、軍服の形は何でどのように統一するのか、将校と士兵の階級をどのように区分して何と呼ぶのか、軍旗はどんな形にするかなどの問題であった。

 このような歴史的背景の中で、日本政府は1870年5月15日、太政官布告355号を通じて旭日旗を日本陸軍の正式旗である‘陸軍御国旗’として採用する。 それとともに具体的な形も決まる。 これによれば、旭日旗は横4尺4寸(134.2㎝),縦5尺(152.5㎝)の四角形に太陽を象徴する真っ赤な円である‘日の丸’を中心に据え、周辺に16本の光線を放つ形として規格化される。 日の丸から発散される光線の数がなぜ16個になったかは正確に分からないが、天皇家の紋章である菊の花弁が16個であるところから、その理由を類推できる。 以前から日本の民間で祝福を祈る意味で使われていた旭日旗の模様に天皇の威勢が四方に広がるという意味が結びついたわけだ。 以後、旭日旗は1899年勅令第111号を通じて陸軍だけでなく海軍旗である軍艦旗としても採用されることになる。 形は陸軍旗と概して同じだが、日の丸が若干左に偏っているのが特徴だ。

日本はこの旭日旗を前面に出して露-日戦争(1905年)で勝利し、その勢いに乗って韓半島を併呑(1910年)し、満州事変(1931年)を挑発し、中-日戦争(1937年)と太平洋戦争(1941年)に戦線を拡大していく。 それで日本人たちの心の中の旭日旗は日本人の意気が世界に向かって伸び行くという意味であり、同時に韓国や中国などアジア周辺国にとっては‘日本侵略の象徴’として記憶されている。

 しかし、真の問題は日本が敗戦した以後の‘戦後処理’であった。 日本陸・海軍は日本の無条件降伏と共に解体された。 しかし旭日旗の模様は依然として日本の陸上・海上自衛隊の旗として生き残った。 この中で陸上自衛隊旗の光線の数は8本で、当初16本であった旧陸軍時期とは少し変わったが、海上自衛隊の旗は日本海軍時期のものをそのまま受け継いで使われている。

 その間にどんなことが起きたのであろうか。 2002年8月14日に放映された日本の公営放送であるNHKの‘ドキュメンタリースペシャル’がそれに対する答を提供している。 日本の海上自衛隊はソ連封鎖のために日本の海軍力を再建する必要があるという米国政府の判断により旧海軍の人々が再び集まって作った組織だということだ。

 この番組によれば、日本海軍を再建するための旧海軍幹部の秘密研究は、日本の敗戦直後である1948年1月から始まった。 この研究を主導した主人公は海軍軍令部(韓国の合同参謀本部に相当)と海軍省(韓国の海軍)等で要職をあまねく経た吉田英三海軍大佐(韓国の大領に相当)であった。 しかし吉田らがいくら完ぺきな研究結果を出したとしても日本を占領していた戦勝国米国が承認しなければ海軍の再建は不可能なことだった。 おりしも勃発した韓国戦争がすべての状況を変えてしまった。

 以後、日本は米国の全面的な協力と支援を受けて1952年4月、現在の海上自衛隊の前身である海上警備隊を創設する。 陸上自衛隊が旧日本陸軍との関係を断絶するために陸軍出身要人を受け入れなかった反面、新たに作られた海上警備隊の幹部はほとんどが旧海軍出身者で補充された。 結局、反共と冷戦の土壌の上で過去の誤りを全く清算できないままに、過去の歴史と伝統、旗までもそのままに受け継いだ新しい組織が誕生したわけだ。

陸・海上自衛隊旗として残った旭日旗
周辺国には戦争を反省しない象徴物として
日本では‘旭日旗を否定’する韓国に反感のみ
一画では "両国共に冷静なアプローチを" 注文

 日本の海上自衛隊が旧日本海軍の旗だけでなく組織と伝統をそっくり継承し、多くの日本人たちがこれに特別な問題意識を感じられずにいるという点は最近の旭日旗論争の本質をよく示している。 旭日旗の裏面には‘清算されえなかった戦争責任’とそれに対して‘悩まない日本’という戦後日本の重要な特徴が溶けているわけだ。

 このような過程を通じて旭日旗は戦前の侵略の象徴から戦後の‘平和日本’を支える両軸である陸上・海上自衛隊の旗として‘洗濯’されえた。 日本の自衛隊もこの点が気になったのか、ホームページに「(海上自衛隊旗の形を新たに定めるために)3度にわたり公募をしたが、現在の図案より良いものがなく、すでに海外でも旭日旗が日本を象徴する旗として受け入れられていたために過去の旗を継承した」という釈明を付けてある。

 このように70年近い時間が経過し旭日期は日本人たちの暮らしの中に拒否感なく受け入れられるものになった。 日本版‘ウィキペディア’の説明を見れば、旭日旗は現在、日本のサッカー代表チーム、赤色を象徴色として使う日本プロサッカーチーム‘浦和レッズ’等の応援旗として使われている。 その他に日本の代表的な進歩新聞である<朝日新聞>の社旗も旭日旗の姿をまねたものだ。 このように長い歴史と広範な活用、戦後の清算失敗によって日本の旭日旗をナチのハーケンクロイツ(鉄十字)と同じと見る見解は、現在の日本人たちには受け入れにくいという意見もある。

 さらに日本右翼を代弁する<産経新聞>は「国旗とほとんど違わない旗を敵対視する外国政府(韓国)や軍(韓国軍)と忠実な協力が可能なはずがない」として、互いに協力して生きなければならない韓国との関係を根本的に再検討することを要求したりもしている。 旭日旗を否定する韓国とは共存できないという態度であるわけだ。

 日本のこのような保守的態度は韓国でも強硬論と原則論を呼んでいる。 キム・ミンチョル民族問題研究所責任研究員は「旭日旗が最近になって韓日間の重要争点になった背景には、去る10年余りの間 右傾化の道を進んだ日本社会の変化があったため」としつつ「その旗の下で2000万人を越えるアジア民衆が亡くなったのに、この旗に何の問題もないということは常識的に受け入れ難い」と語った。

 そのために韓-日両国共にこのような問題をもう少し落ち着いて扱わなければならないという声が出ている。 ソウルに駐在するある日本言論特派員は「旭日旗を一切使うなという要求は日本人としては受け入れ難い。 しかし今回のように韓国を刺激するために旭日旗を持って出てきた日本応援団の行動は恥ずかしいこと」と話した。 同時に彼はまた「韓国は歴史問題で日本を批判できると考えているが、韓国人がもう少し日本人の立場を理解して欲しい」と話した。

キル・ユンヒョン記者 charisma@hani.co.kr

https://www.hani.co.kr/arti/politics/diplomacy/599600.html 韓国語原文入力:2013/08/14 22:26
訳J.S(4505字)

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