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諦めたハルモニ(おばあさん)の愚痴 "子供が七人いてもここへ来るのに…"

登録:2013-04-23 01:38 修正:2013-04-23 07:45
老人療養院 体験ルポ(中)ここが私たち皆の未来だ
4日昼、京畿道(キョンギド)のある中小都市の老人療養院でハラボジ(おじいさん)が床にマットレスを敷いて寝ている。 転倒事故が心配される老人たちは床で生活したりもする。 イ・ジョングク記者 jglee@hani.co.kr

子供の家を転々、半強制的に入ってきて
"未婚の男だって将来はこういうところに来るだろう"

 老人療養院の週末は静かな平日とは違い面会に来る子供たちで騒々しい。 日曜日の去る14日、記者がボランティアをした京畿道(キョンギド)の中小都市にある療養院にも家族たち数十名が訪ねて来ていた。 だが、キム・クンニョ(仮名・89)ハルモニは一人で時間を過ごしていた。 向い側のベッドにいる痴呆老人の家族がミカンを一つくれただけだ。 この部屋には老齢のために入ってきたキム ハルモニを除いて全員が痴呆患者だ。

 ハルモニはビニールが張られた窓から外を眺めていた。 療養院は隙間風がひどいという理由で、窓を半透明のビニールで塞いでいる。 それがなければ窓の外に青い澄んだ空を見ることができるだろうに、外側はすでに汚れて灰色だ。

 ハルモニが療養院に入ってきたのは2年ほど前だ。 ソウル市内のある地下鉄駅の駅長を務めていた夫と死別した後、子供たちの家を転々としたハルモニは結局半強制的にここに連れられてきた。

 ハルモニはハラボジ自慢をたくさんした。 「背がすらりとしていた。 町内でキム駅長と言えば知らない人はいなかった。」 ハルモニの目は白内障でぼやけてしまったが、同じ部屋の痴呆老人たちとは違い、常に居場所をきちんと整頓して髪もきれいに梳かしていた。 「昔は何をしていましたか?」と尋ねると、ハルモニは「反物屋を永くやっていたね」と答えた。

 ハルモニは子供たちの職業を正確に知っていた。 ‘一番上はどこ、二番目はどこ’など七番目の娘まで正確に話した。 彼らがどこに暮らしているかはもちろん、電話番号まで覚えていた。 しかし、ハルモニは携帯電話を持っていなかった。 痴呆症状の激しい老人たちの中でも一部は携帯電話を持っているのに、頭がしっかりしているハルモニが携帯電話を持っていない理由は何か?

 "嫁が奪っていった。" いつも笑っているハルモニが眉間をしかめた。 ハラボジが生きている頃、ハルモニは次男と一緒に暮らしていた。 3年前にハラボジが胃癌で世を去って、家を次男に譲ると他の息子の家を転々とした。 1年後、暮らしなれた本来の家に戻った日、嫁は「お母さん、もう電話機必要ないでしょ?」と言って電話機を持っていった。 九十を控えた老人が電話が何に必要かと思ってそのまま渡した。

 何日も過ぎずにハルモニはこの療養院に移された。 「気楽でいいさ、世話にならなくて済むし…。 息子たちが公務員したり大企業に通っているので忙しいのに荷物にはなりたくなくて。」キム ハルモニは子供たちの肩を持とうとした。 しかし、すぐにさびしさを吐露した。 「薄情だろう? 私がどんなにして育てたか…。」一度、話し出すと療養院に対する不満も手加減なくこぼし始めた。「私は人と話がしたいのに、ここは皆痴呆患者で、夜になればもっと退屈だが、それでも療養保護士がよく入ってくることもなくて。」

 ミカンをむいて渡す記者に向かってハルモニが言った。 「私みたいに子供が七人もいても、こういうところに入って来るんだから。 (記者を指して)未婚の男たちは子供もいないから誰が世話するよ? 結局こういうところに来るようになるんだね。 将来こういうところに来ることになったら、黙って諦めるのがいい。そうすれば楽になるから。」

 療養院で出会った老人たちの晩年は‘他人事’ではなかった。 そのことを悟ったキム・クンニョ ハルモニは特別な老人性疾患を病んではいなかった。 単に‘老齢’という理由だけで療養院に入ってきた。 ハルモニはボランティアメンバーとして仕事をする記者を見るたびに、自身の記憶力を自慢するように家族史を延々と語った。 「私は子供が七人産んだ。 息子五人に娘を二人。」 記者は初めは痴呆患者ではないかと疑った。 周期的に子供の数と家庭事情を確認したが、彼女の返事は終始一貫していた。 「痴呆はないでしょう?」という質問にハルモニは「痴呆だって?、精神は30代さ」と言って笑った。

"保護者…119…酸素呼吸器"
病院から帰ってくるや部屋が変わった
回復の見込みがない老人たちの111号室

子供が多くても、精神がしっかりしていても
老齢という理由で療養院に追い出され

 初めの内「施設に満足している」と言っていたハルモニは、時間が経つほど内心を打ち明けるようになった。 療養院の誠意のない世話過程に対する不満が最も強かった。 男性療養保護士が服を着せ替え、おむつを換える過程も嫌だと話した。 キム ハルモニのように一般家庭で子供たちと暮らせるほどしっかりした老人たちが療養院には多くいた。 キム・チャングク(仮名・96)ハラボジも自分の部屋で毎日書道をするほどに精神がしっかりしていた。 そのような老人たちにとって療養院は‘現代版姨捨山’も同然だった。

老人長期療養者認定推移 *1〜3の評価合計(人)

■ やさしさと謙虚さが失踪した‘ケア’

 「男の人が本当に優しくよく食べさせてくれるよ。」 9日午前、メン・イムセン(仮名・86)ハルモニの‘食事の世話’をしていた記者にキム・クンニョ ハルモニが投げかけた最初の言葉だった。 称賛するには理由があった。 メン ハルモニは重症の痴呆患者だ。 噛む力も弱く、ナイフで刻んだおかずをかろうじて飲み込むほどだ。 療養保護士がメン ハルモニの食事の世話を記者に任せた理由も、食べる速度が一番遅く時間が長くかかるためだということが分かったのはボランティアを始めて1週間程過ぎてからだった。

 メン ハルモニは療養保護士の間でも‘労働力’が多くかかることで噂になっていた。 たいてい午前11時30分から一時間が与えられる昼食で、メン ハルモニの食事には30分以上かかった。 薬を飲ませるなどの後始末まで終えるには一時間がギリギリだった。 12時30分から30分間余りの休憩時間が与えられる療養保護士にとってメン ハルモニは忌避対象1号であった。 それでボランティアメンバーのように労働力を減らせる人材が来れば、メン ハルモニを一番最初に任せるのがここの慣行だった。

 人生の黄昏をゆっくり楽しみたい老人たちは、速い食事を強要された。 療養保護士たちが老人たちに一般人より速い速度でご飯を食べさせる光景がしばしば目についた。ある痴呆老人は本人が食事速度も調節できないのに、療養保護士がずっとパクパクとご飯を口に押しこんだ。 そうして数分で食事の世話を終わらせてこそ療養保護士は休み時間を増やすことができる。 療養保護士を恨む問題ではない。 劣悪な療養保護労働環境が産んだ結果だ。

 キム・クンニョ ハルモニが記者を誉めてくれたのもそのためだ。 たいていは仕事としてご飯を食べさせる過程で、やさしさと謙虚さが失踪するが、駆け出しのボランティアメンバーである記者はそうではなかったためだ。 「他の方々はこのように食べさせないのですか?」記者が尋ねるとキム ハルモニは僅かに開いていた部屋のドアをさっと見た。 記者が感づいてドアを閉めるとキム ハルモニはすぐに「ここでこんなにやさしくご飯食べさせるのを初めて見たよ」と言って記者を見つめた。 誠意のない療養保護システムの現実をハルモニはしっかりと目撃していた。

■ 119がきても‘右往左往’

 4日の昼休みに応急状況が起きた。 イ・ボンネ(仮名・84)ハルモニは痰による呼吸困難がしばしば起きて、いつも注意を必要とした。 常勤している看護師が「吸引、吸引」(気道に詰まった異質物を吸い込む治療)と叫んで飛び回り始めた。 ご飯を食べたイ ハルモニの気道が突然詰まったのだ。 すぐに呼吸不安定状態に陥ったハルモニをめぐって職員は右往左往した。 「保護者に連絡して、いや119に先に連絡して、いや先に酸素呼吸器持ってきて。」焦っていた看護師は前後見境なくむやみに注文した。 ハルモニにすぐ酸素呼吸器が装着されたが呼吸は正常に戻らなかった。

 もっとあきれたのは119隊員が到着した後だった。 隊員たちが入ってきて、大騒ぎになっている部屋に入るまで療養院の誰も案内をしなかった。 「部屋をきちんと知らせてくれなければ困りますね。」 救急要員が腹を立てるやその時になって初めて職員がイ ハルモニの部屋に案内した。 いつも急病患者が発生する可能性がある療養院なのに、応急状況対処は相当に未熟に見えた。

 結局、イ ハルモニは応急室に運ばれていった後に蘇生の見込みがないとして再び療養院に運ばれて来た。 ハルモニは臨終直前の患者が臨時で収容される111号室に移された。 記者が仕事をした半月間に2人のハルモニがこの部屋で息をひきとった。

 9日午前、パク・ヨンヒ(仮名・99)ハルモニの呼吸も苦しくなった。 看護士が来て血圧を測った。 やせこけて枯れ枝のような前腕のために度々誤作動が生じた。 「111号室に移して下さい。」事務局長が指示した。 ボランティアで来ていた高校生と記者はパク ハルモニを111号室に移した。 看護師が今度はふとんを巻き上げた。 パク ハルモニの足首は力が抜けたまま‘八の字’形に曲がっていた。 「足首の様子ではまもなく亡くなるだろうね。」 看護師が言った。 すぐに119救急車が到着し、その日以後パク ハルモニの姿は見られなかった。

 療養院で出会った老人たちの中で子供がなかったり基礎生活受給者だったりという特別な境遇の老人は多くなかった。 私たちの周辺でよく見かける平凡な老人たちが劣悪な環境で人権侵害と危険要素に露出して余生を消費していた。 この悲しい風景が私たち皆の遠くない未来かもしれないという恐怖が日一日と増していった。

イ・ジョングク記者 jglee@hani.co.kr

https://www.hani.co.kr/arti/society/labor/584045.html 韓国語原文入力:2013/04/22 22:45
訳J.S(4265字)

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