原文入力:2009-04-17午前08:44:06
5万ウォン券紙幣人物の申師任堂肖像画に対する論難が止まずにいる。筆者は韓国画家の一人として問題を提起してみようと思う。
最も重要なことは解放60年が過ぎた韓国社会が日本式肖像画の影響から抜け出し私たちの伝統の肖像画がのせられた紙幣を持つ時になったという考えだ。日帝強制支配期に伝統美術が大きな打撃を受けたが、その影響が現在の紙幣中の人物にも及んでいる。美術史家の故オ・ジュソク先生が<韓国の美特講>で ‘今私たちの紙幣の中の世宗大王と李滉・李珥先生などの肖像はすべて日本風の絵’ と批判したのがこういう現象を端的に言っている。この肖像画らは全て以堂・金殷鎬系譜の画家たちが描いたものだが、以堂は1937年朝鮮女性たちが金の簪を集め朝鮮総督に献納する姿などを描いた画家だ。日本風の絵をこの土地に大きく広めた画家でもある。こういう理由のために以堂が描いた申師任堂標準影幀を排除したのに、どういう訳かその弟子に肖像画製作を任せたのだ。イ・ジョンサン画伯は‘以堂の肖像画から顔の部分だけ取ってきたもので、頭と服飾は考証を受け再度作業したもの’と語った。だがその土台は以堂の絵であるので結果的に以堂が描いた! 影幀がよみがえるという矛盾が発生した。
日本の人物画は装飾性が強く感覚的美感を土台にしている。そのために人物の内面世界を読みだすのが難しい。顔は硬直しており表情がなく、感情はベールの中にさえぎられたように分からない。濃い化粧で隠すことが日本の美感であるためだ。朝鮮式肖像画はありのままの容貌を細かく見せ、その内面世界までを描写するという特徴がある。イチェ肖像に見られるように、シミまで描いて現代の医者たちが病名まで知ることが出来てるように、チェ・チェゴンの肖像が若干斜視になっている目までをそのままに表現するように、極写実主義の伝統が流れている。そこに人物の内面世界まで表現し人物が生きているという感じがする。ユン・ドゥソの自画像を見ればきれいで淡々とした色彩が鑑賞者を深く陥れるようにしながらも、ある瞬間に後に退くようにする気勢を感じることができる。細かい外形と精神世界が同時に描かかれているためだ。
朝鮮時代の多くの画家たちが20代から肖像画に頭角を現わしたのは、肖像画が視力と直結した問題ということを語ってくれる。朝鮮は肖像画に関する限り世界最高水準だった。図画署画員は中人出身でも国王肖像画の作品性が認められば県監の職位まで上がることができる特典を与えられた。肖像画士は名声が高く肖像画注文も相次いだことはもちろんだ。朝鮮の肖像画士は優れた実力を持った若い画家がたくさん選ばれた。国民皆が使う紙幣の人物を描く画家の選定は朝鮮時代の肖像画士選定より透明で客観的な過程を経なければならない。こういう手続きが省略されたといううわさが多い。韓国銀行は今からでも責任ある姿勢を見せなければならない。
ウ・スンウ/韓国画家
原文: https://www.hani.co.kr/arti/specialsection/newspickup_section/350158.html 訳J.S