登録 : 2013.01.09 21:29 修正 : 2013.01.10 01:06

ウォン・ギョンソン プルム院農場院長 逝去
孤児・無宿者の面倒を見た‘有機農の父’…生命尊重の生涯

 食品企業プルム院の母胎となったプルム院農場を設立した‘韓国有機農業の父’ウォン・ギョンソン院長が8日午前1時49分、京畿道(キョンギド)富川(プチョン)の順天郷(スンチョンヒャン)大病院で老衰のため死亡した。 享年99

 国内初の有機農夫であるウォン院長は生涯を共同体運動に捧げ、生命尊重と隣人愛を実践した。 故人の人生の経歴は小・中学校教科書に載りもした。 1914年平安南道(ピョンアンナムド)中和郡(チュンファグン)で貧しい農夫の息子に生まれた故人は16才で父親を失い農軍の道に入った。 日帝強制占領期間には成功した青年農場主であり、解放後には建設事業で大金を儲けもした。

 彼が隣人と共に生きる新しい生き方を選んだのは韓国戦争中に何度も生死の淵をさまよい長男を病気で失ってからだ。 不惑を越した1955年に京畿道(キョンギド)富川(プチョン)の荒れ地3万3000余㎡(1万坪)を開墾してプルム院農場を作り、行き場のない人々のための共同体運営を始めた。 鉄が鍛冶屋でふいごを通じて鉄器具に生まれ変わるように、農場家族を世の中の役に立つ人にするという意で農場の名前を‘プルム(ふいご)院’と名づけた。

荒れ地を開墾して農場作り
行き場の無い人々と共同体暮らし
国内で初めて有機農法をはじめ

 草創期には農場構成員の半分が孤児と無宿者、浮浪者らだった。 ウォン院長は午前には聖書と教養教育をして、午後には営農技術や養鶏法を教えた。 膝下の7人兄弟姉妹も農場家族たちと同じ部屋で寝て同じ釜の飯を食べるようにし、農作業や雑用も同じようにさせた。

 化学肥料と農薬を使って栽培することに懐疑を感じたウォン院長は日本キリスト農民会である‘愛農会’の発刊する雑誌で有機農に関する文を読んで日本有機農の先駆者である小谷純一に会い、再び人生の転換点をむかえることになる。 化学肥料と農薬で生命を破壊する農作業をしないと決心したウォン院長は、1976年京畿道(キョンギド)楊州(ヤンジュ)にプルム院農場を移し有機農を始めた。 国内最初の有機農団体である‘正農会’を作ったのもこの時だ。

居昌(コチャン)高 運営‘正しい教育’に情熱
国連環境賞・国民勲章など受ける

 教育者としても名を知られ‘人間常緑樹’というニックネームを得た。 彼は1961年から2006年まで開かれた教育で有名な慶南(キョンナム)居昌(コチャン)高の理事長を務めた。 居昌高は朴正熙・全斗煥・盧泰愚政権の時それぞれ一回ずつ教育当局と摩擦を醸し出し3度も廃校の危機に陥ったが、その度にウォン院長は「妥協するよりはいっそ学校を閉めることが人格的に正しい教育をすること」として持ちこたえた。

 共同体運動から出発して生涯にわたって生命尊重を実践した彼の人生は国際救護活動と環境運動に外縁を広げていった。 1990年国内初の国際救護活動団体である国際飢餓対策機構韓国支部を設立して、国外の飢える人々にまで助けの手を差し出した。 1992年には78才の年齢にも関わらずブラジルのリオデジャネイロで開かれた国連世界環境会議に韓国代表として参加して有機農実践運動を紹介した。 また、経実連傘下の機構として始めた環境開発センター(環境正義の前身)の初代理事長を務め、環境と生命を尊重する人生を直接実行し教えることに力を注いだ。 こういう功労で1995年‘グローバル500国連開発計画環境賞’、1997年国民勲章 椿章、1998年仁村賞などを受けた。 2004年からは忠北(チュンブク)槐山郡(クェサングン)青川面(チョンチョンミョン)に新たに起こしたプルム院農場に住みかを移して農場近隣に平和院という共同体をつくり、生命尊重と隣人愛を実践することに残った一生を捧げた。

 年間売上 1兆5000億ウォンを超える中堅食品企業に成長したプルム院はウォン院長の長男であるウォン・ヘヨン議員(民主統合党)が1981年ソウル狎鴎亭洞(アックジョンドン)に開店した‘プルム院農場無公害農産物直販場’という小さな八百屋から出発した。 当時、維新反対闘争で服役した後、生計の目処ガ立たなかったウォン議員はこの店で父親が栽培した有機農産物を売り、もやしと豆腐に品目を拡大しながら3年後に(株)プルム院食品を設立した。 現在、プルム院の経営はナム・スンウ プルム院ホールディングス総括社長が受け持っている。 ナム社長はウォン議員の友人で、同業をして1987年ウォン議員の政治入門を機に経営権を譲り受けた。 プルム院の創業者であるウォン議員は1996年自身の会社持分を全て寄付して奨学財団を設立した。 プルム院は忠北(チュンブク)槐山(クェサン)の研修院ロハス アカデミーに記念館を設立して故人の意を引き継いでいくことにした。

プルム院農場の設立者ウォン・ギョンソン院長の葬儀室が用意されたソウル江南区(カンナムグ)逸院洞(イルォンドン)の三星(サムスン)ソウル病院葬儀場で8日午後、弔問客が頭を下げて故人を追慕している。 シン・ソヨン記者 viator@hani.co.kr

 遺族には長男ヘヨン、次男へソク(美術家),婿 ハ・ジュンジョ(KT&Cエンジニアリング代表),ソン・ヨングァン(前 祥明高教師),キム・チャンヒョク(会社員),キム・ジュングォン(正農会 会長),ユ・ジンクォン(前 中央日報記者),嫁 アン・ジョンスク(前 映画振興委員長)氏などがいる。 葬儀室は三星ソウル病院葬儀場15号、埋葬地は仁川市江華郡(カンファグン)のパラダイス追慕院だ。 葬儀はプルム院ホールディングス会社葬として行われ告別式は10日午前9時三星ソウル病院葬儀場で開かれる。 (02)3410-6915.

キム・スホン記者 minerva@hani.co.kr

韓国語原文入力:2013/01/08 22:14
http://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/568721.html 訳J.S(2573字)

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