召還を前に‘サムスニお父さん’メン・ポンハク氏
‘社会参加’火がついて“イ大統領が私を変えた”
ホ・ジェヒョン記者
←16日<ソウル独立映画祭>舞台行事で会ったメン・ポンハク氏、彼は「ろうそく集会参加して少しも後悔していない」と語った。写真.ホ・ジェヒョン
‘サムスニお父さん’と呼ばれる演劇俳優兼タレントのメン・ポンハク氏が世論の注目をあびている。15日彼はポータルサイトの検索語順位1位に上がり、彼の静かなファンクラブ(‘サムスニ メン・ポンハク’ )にも数日間訪問者が急激に増えた。イ・スンファン,キム・ジャンフン,ユン・トヒョンなどろうそく集会に参加して‘概念芸能人’と呼ばれた彼らより少し遅れて世論の集中的な関心を集めているのだ。
発端は8日メン氏の家に到着した警察召還通知であった。疑惑はろうそく集会に参加して道路交通を妨害したということだ。しかしメン氏をはじめとするネチズンたちは「ロウソクのあかりが静かになったので集会に参加した芸能人まで一歩遅れで弾圧しようとしている」として警察の召還調査を批判している。16日警察の召還調査を控えているメン氏に会い彼の心境を聞いてみた。
“卑怯な”小市民が‘ロウソクのあかり’になった理由
分厚いジャンパーを肩にかけていた。芸能人というよりはどこにでもいる隣りのおじさんのようだった。メン氏は警察の召還調査に対して無罪を楽観していた。
“私の性格自体が本来優しいのです。運転していて誰かが割り込みをしても、ただため息をついてしまう性格でしょう。だから私が何か暴力を助長したりそうしたこともないのです。別に何でもないと考えます。”
彼に会ったところは‘ソウル独立映画祭’舞台行事が開かれていた明洞のとある酒場だった。彼は同僚映画関係者らの挨拶を受けるのに忙しかった。同僚らは彼の安否を心配していた。だが彼は淡々とした表情だった。始終一貫「大丈夫だ」として同僚らを安心させていた。
彼はなぜロウソクのあかりを灯したのだろうか? メン氏の返事は断固として明快だった。「第一に、ロウソクのあかりが正しかったからです。二番目は、幼い学生たちが盾に突かれてケガする姿をただ見ていることはできなかったのです。」
ロウソクのあかりが絶頂に駆け上がった5月の最後の夜、彼はロウソクのあかりを持ち明け方まで光化門周辺を離れることが出来なかった。彼の初めてのろうそく集会参加であった。その後にも彼は数回ロウソクのあかりを掲げた。
「集会に出てみたのは今年が初めてです。私の年が45にもなるのに6月抗争の時も、‘ヒョスン・ミソン’追慕集会の時もそのまま少し離れた場所で見守る方でした。小心な性格で行動に出られなかったのです。時には‘私は俳優だから静かに身を守ろう’という考えもしましたね。卑怯な人間でした。」
そのような彼が変わり始めたのは、警察の暴力的な鎮圧で女子高生たちがケガする姿をテレビで見たときからだった。「その日はとうていこらえることはできなかったんですよ。学生たちがそのようにケガをしながらも戦っていると思うと仕事が手につきませんでしたよ。胸が痛かったです。少し離れた場所で眺める、大人としてこれ以上こらえることはできなかったんですね。」
ドラマ「私の名前はキム・サムスン」で娘を心配するお父さんの演技で名前を知られたメン氏は、現実でもこの地の娘らを心配する‘サムスニお父さん’の姿そのままであった。ロウソクのあかりに加わった他のお父さんたちがそうしたように、彼も子供たちが心配で結局、街に出たということだった。
“こういうことで社会運動することになるとは思わなかった”
今や彼は俳優であり‘ロウソクのあかり’となった。社会問題に押し黙っていた市民たちがロウソクのあかりを契機に‘ロウソクのあかり市民’に変化して行くように、彼も似た道を辿っていた。彼は最近も‘YTN死守集会’に個人的にロウソクのあかりを持って行ったし、ペク・キワン先生の統一問題研究所を守る運動もしている。ロウソクのあかりが静かになった後も、江東(カンドン)地域の小さいろうそく集会に熱心に出かけた。その上、最近では‘反ネズミ遠征隊’()カフェに加入して、堂々と加入挨拶まで残した。反ネズミ遠征隊は選挙法違反で裁判を受けているカン・キガプ民主労働党議員を守ろうとの趣旨で集まったネチズンたちの集いだ。芸能人としては珍しく公開的に‘ロウソクのあかり活動’をしているわけだ。「そうですね、 私がまだ有名でないからそうしたんでしょうかね。心のままに行動することに恐れはありません。」
メン氏は自ら「私が変わってきているようだ」と診断した。「イ・ミョンバク大統領が私を変わるようにしたようです。こういうことで私が社会運動することになるとは思わいませんでした。」彼はゲラゲラ笑って自身の変化を認めた。運動の‘う’の字も知らなかった彼が少しずつ変わっていることについて、彼は「大統領に有り難く思わなければならないようだ」と付け加えた。
社会的弱者を見守ることに昔から関心があった
だが、当初から彼が平凡な俳優であったということではないようだった。社会的弱者らを見守ることを怠らなかった。若い時には、ソウル,吉音洞(キルムドン)と金湖洞(クムホドン)の勉強室で低所得層家庭の子供たちを3年間教えたこともある。
「分け合って生きていきたいけれど、貧しい演劇俳優にお金があるわけがないでしょう。それで身を粉にすることでできることはないか考えてすることになったのです。」
今、彼は10年にわたってソウル市立恩平(ウンピョン)病院とソウル,峨山(アサン)病院で精神疾患を病んでいる患者さんたちのための治癒プログラムに参加してボランティアをしている。彼は「撮影日程がなければ間違いなく病院に走って行く」と語った。
「サイコドラマを通じた患者さん精神治療の手伝いをしています。 患者さんたちが私のおかげで少しずつでも良くなる姿を見るとうれしくて、私も何か治癒を受けているような感じがして続けています。」
現実的な悩みの中でネチズンたちの激励に‘希望’
そうは言っても彼に心配がないのだろうか。今やポータル検索の窓に‘メン・ポンハク’と打てば‘サムスニお父さん’と‘警察召還’の二種類の関連検索語が同時に出てくる。多様な配役を消化しなければならない俳優にとって‘ロウソクのあかり’のイメージがかぶせられるのは色々な面で負担になることだ。有名な演劇俳優でありながら、まだテレビドラマでは端役に止まっているのが彼の現在の姿だ。現実的な質問を投げかけてみた。
-ロウソクのあかり芸能人として広く知られることになったが、今後の渉外に不利益を受けることはないでしょうか?
=“心配しないと言えば嘘でしょう。だけど大丈夫でしょう。良心ある監督たちが使うでしょう。罰金も出さなければならないのに….”
-警察を恨みはしないですか?
=“戦警に対する悪い感情はないです。集会に出て行けば私を一生懸命に保護してくれましたよ。ただし、警察がロウソクのあかりが静かになったと言って今になって召還して調査するのは残念です。”
それでも彼には希望の方がより大きく見えた。ネチズンたちの激励と支持があふれている。彼に大きい力だ。「この頃全く知らなかった人々がファンカフェに入ってきて申し訳ないと書いてくれたりして有難いですね。以前には経験できなかったことです。その方たちのおかげで私も有難くて力が出ます。」
“現在が幸せでこそ未来も幸福…集会出席,後悔していません”
彼に後悔はないのか尋ねた。
「全くないです。自分の生き様の哲学は、”現在が幸せでこそ未来が幸せだ’なんです。私の未来のために正しいと考えることをじっと我慢していたら、その瞬間私は不幸でしょう。それでは未来も不幸になるという意味です。ろうそく集会に参加したのは私の現在と未来をどっちも幸せにするためでした。堂々と調査されて来ますよ。」
メン氏は相変らず安らかに笑っていた。ビール一杯を小気味良く引き寄せた。そして同僚俳優らと対話を続けた。
「今回また大運河事業を4大河川整備だと話だけ変えて推進するそうだね。ロウソクのあかりをまた灯さなければならないな。」
文・写真ホ・ジェヒョン記者catalunia@hani.co.kr
→俳優メン・ポンハク(45)氏は?
劇団アンサンブル所属の演劇俳優兼タレント。高等学校2学年の時‘四つ目王の伝説’の主役を演じて演劇界に足を踏み入れた。29才の時ソウルに上京し本格的な大学路(テハンノ)活動を始めた。主要作品としては映画‘ザ・ゲーム’,‘王の男’’マラトン’等とドラマ‘私の名前はキム・サムスン’,‘野人時代’,’千秋太后’,‘クライム’,演劇‘観客冒とく’,’夜商反乱’等がある。独立映画にも多く出演した。
原文入力:2008-12-17午後04:15:09