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[土曜版]カバーストーリー パク・ウォンスンの課題‘正常都市’作り

原文入力:2012/07/06 20:53(2677字)

←李明博元市長の作品である清渓川(チョンゲチョン)

第2のセマウル運動しないためには…
カウパー(J.M.Cowper)は‘神は人間を作り、人間は都市を作った’と語った。 彼の言葉のように人間が都市を作ったことは神が人間を作った行為と比較される程に人類にとって画期的なことだった。 このように都市は人類最高の発明品であり、絶えず変化し成長する生きている空間だ。 ソウルも韓国戦争以後の圧縮成長と変化を経てきて世界都市に浮上した。 それでは世界都市ソウルで成功したと評価されうる市長はどんな市長であろうか? 恐らくソウルの時代的課題を理解して都市政策を推進した市長が成功したという評価を受けるだろう。 それではソウルとはどんな都市であり、どんな成長過程を経たのだろうか?

 韓国戦争で徹底的に破壊された都市であったソウルは、緊急に都市機能を回復するために建設された‘応急型都市’であった。 韓国戦争によりソウル市19万棟の一般住宅中 3万4742棟が完全消失または破壊され、半分程度消失したり破壊されたものが2万340棟に達した。 また、1960年代から1990年代まで1年間に現在の慶州市(キョンジュシ)に相当する人口数が増加して慢性的な住宅難を体験することになる。 一時、貧困地域に居住するソウル市民が13%まで肉迫したことはこのような慢性的な住宅難を極端に示す。 このような状況でソウルは長期的都市計画の見識も、冗長性もなしに圧縮成長の道を歩いた。

 圧縮成長の結果、ソウルは人口1000万の世界的な大都市に成長した。 圧縮成長の弊害も侮れない。 ソウルは‘正常都市’の道を歩むことができずに応急型都市として成長してしまった。 ソウルおよび首都圏への集中と過密で非首都圏との格差が深刻化され、ソウル自体も江南(カンナム)と江北(カンブク)に都市が二分化された。 また、アパート中心の個性のない単調な都市環境と景観を作り、社会的弱者に対する配慮が不足した都市になってしまった。

 応急都市であったソウルは2000年代を迎え再構造化の挑戦に直面することになる。 市民が正常都市機能を要求することになったのだ。 ソウル市民の欲求が量的成長から生活の質に転換を要求するターニングポイントだった。 この時から障害者など社会的弱者にとって暴力的な都市計画施設だった陸橋と高架道路が撤去され始め、緑地公園が増えるなど市民の生活の質と直接的に関連する都市計画が成り立ち始めた。

 2002年ソウル市長選挙は‘清渓川(チョンゲチョン)復元’という議題が核心イシューになった。 キム・ミンソク当時民主党候補は交通大乱を理由に清渓川復元に慎重でなければならないと主張した反面、李明博 ハンナラ党候補は‘清渓川復元’を推進すると明確に約束した。 結局、清渓川復元を推進すると明確に約束した李明博候補がソウル市長に当選した。 清渓川復元がソウル市の時代的課題をよく捕らえて市民の要求を反映した事業だったためだ。 李明博市長は清渓川復元という議題の後に隠れたソウルの時代的課題を理解したし、これを核心政策として推進して市民の呼応を得た。

 しかし李明博市長は江南-江北の均衡発展という論理を掲げ、ソウル市民の欲望の火に油を注ぐ開発政策をゴリ押しした。現在ソウルで最も解決が難しい都市問題である‘ニュータウン’事業の開始だった。 李明博市長は清渓川復元という時代的課題はよく捕らえたが、長期的な見識で推進しなければならない都市再生という課題をニュータウン式開発という欲望に負けて政治的に妥協してしまった。

‘清渓川復元’よく捕らえたが
ニュータウン事業をゴリ押しした李明博
‘シフト’政治功績を作ったが
デザインソウルで身を滅ぼしたオ・セフン

←オ・セフン前市長の作品である三光ふわふわ島

 李明博市長の後に続いたオ・セフン市長はソウルの時代的課題を理解していたか? オ市長の唯一の政治功績はシフト(長期貸し切り住宅)に象徴される公共賃貸住宅の供給だ。 長期貸し切り住宅シフトは、低所得層だけが居住する貧民の‘ゲットー’と認識された公共賃貸住宅のイメージを、庶民と中産層も居住する住居空間に変化させた。 ‘家は買うものではなく住むところ’というシフトのスローガンは住居文化の変化を要求した時代的課題をよく捕らえたと見られる。

 オ市長は任期中にニュータウン問題の出口戦略を出し解決の糸口を見つけ、市民の福祉要求に照応すべきであった。 しかしオ・セフン市長は‘デザイン ソウル’という政策を通じて光化門(クァンファムン)広場、デザイン通り、三光ふわふわ島などソウル市の事業を装飾型、造形型、鳥瞰図型で進めた。 無償給食でイシュー化された市民の福祉要求はポピュリズムと罵倒しながら無視した。

町内共同体事業、気をつけて
行政が姑になって細かいところまで介入すれば
住民たちの自発性を妨げる

 パク・ウォンスン市長は変化した社会・経済環境と都市空間を調和させる都市再生および再構造化(restructuring)課題を長期的な見識で解いていかなければならない。 彼の前に置かれた課題は侮れない。 オ市長の時から市民が時代的課題として要求したニュータウン・再開発問題を解決できる出口戦略を見つけなければならない。 ニュータウンの出口戦略は開発利益に従属した都市であるソウルを公共性が回復する正常都市に戻す重要な時代的課題だ。

 パク市長の就任以来、前任市長の開発政策(ニュータウン、漢江ルネサンス)で忘れられていた‘村’が浮上している。 パク市長のソウル市は村の再発見といえる村中心の市政である‘村共同体’事業を企画推進されている。 ソウル市の市政に‘村’という、市民の生活空間が中心に置かれたことは公共性の回復に向けたパラダイムの大転換と見ることができる。 しかし村共同体事業が‘第2のセマウル運動’にならないようにするには、村住民たちの創造的自発性が発現するよう行政は支援して住民が先頭に立つ方向にならなければならない。

イ・ジュウォン 分かち合いと未来 社会的企業局長・(株)ヒキガエルハウジング 代表理事

原文: https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/541429.html 訳J.S