原文入力:2012/03/30 22:18(1834字)
それは手帳の1ページにくっきり記されていた。 WH. ホワイトハウス、すなわち白亜館を示す二文字であった。1972年6月ウォーターゲート ビルディングにあった民主党全国委員会事務室に盗聴器を設置した暴漢の手帳から発見されたこの二文字の上にはハワード ハントという名前が、横には202-456-2282という電話番号が記されていた。 <ワシントン ポスト>記者ボブ・ウッドワードは受話器を取り手帳に書かれていた数字を回した。 電話はニクソン大統領の補佐官チャールズ コルスンの秘書を経てハントに連結された。
電話を受けたハントは断末魔の悲鳴をあげた。"しまった!" それからあわてて受話器を放り投げた。‘ドシン’という音が電話線を通じてウッドワードまで聞こえるほどだった。 ハントは4ヶ月後ウォーターゲート ビルディングに侵入した暴漢らと共に不法侵入および盗聴容疑で起訴された。 法廷で判事は彼にこのように尋ねた。 「あなたに誰がどんな目的で盗聴をさせたのか? 金は誰が出したのか?」 ハントは独自の行動だったという言葉だけを繰り返した。 しかしそれから2年後、リチャード・ニクソン大統領は自らホワイトハウスを去る。
WHはニクソン大統領を刺したあいくちであった。 ホワイトハウスはニクソン大統領の関与疑惑を鎮火するために総力を注いだ。 ホワイトハウス公報秘書ロン ジーグラーはウォーターゲート ビルディングへの侵入を‘3流強盗劇’と片付けて、ホワイトハウスが論評する必要さえないことだと言い切った。 ニクソン大統領は中央情報局(CIA)に連邦捜査局(FBI)の調査の妨害までを指示していた。
30日に公開された国務総理室の民間人査察文書にもあいくちが記されていた。 文書のあちこちにはBH、すなわち青瓦台=大統領府を示す二文字が鮮明に記されている。‘下命’と対になったこの文字は大統領府が査察を指示したのではないかとの疑いを呼び起こす。 それだけに民間人査察波紋は韓国版ウォーターゲートに飛び火しうる爆発力を持っている。 与党からですら 「大統領が釈明しないわけにはいかない状況になった」という話が出るほどだ。 野党は公開的に大統領下野を議論して出た。
ニクソン大統領の法律顧問ジョン・ディーンは窮地に追い込まれた。 ホワイトハウスのウォーターゲート関与説がふくらんだ直後、ニクソン大統領とこの問題を相談した彼は、上院聴聞会に呼ばれて行き真実を追及される。 4日間続いた尋問で彼は結局ニクソン大統領を告発した。「ホワイトハウスの関与説を鎮火するためにどんな措置が取られたのかは大統領がよく知っているという印象を受けました。 私はいつまで隠蔽が可能か自信がないと話しました。」 聴聞会の首席顧問が 「証言を翻意しませんか?」と尋ねると彼は諦めたように淡々と話した。 「はい。」
ニクソン大統領は批判的な言論を心から嫌ったし、それを国益という名前で包装した。 ニクソン大統領にインタビューした娯楽番組進行者フロストの話を扱った映画<フロストVSニクソン>を見れば、ニクソン大統領は言論を「選挙を通じて選出されもせず、代表権もないくせに、もう一つの権力として振る舞う」と不快に思い"恥さらし" と呼んだ。 「大統領が国家安保のために何かを承認したならば、それは誰かに不法という烙印を恐れずに業務を遂行させられるという意味だ」と豪語したりもした。
WHという二文字から始まったウォーターゲートはしばしば不道徳な権力の終末と真実の勝利を象徴する。 民主党に対する不法査察と盗聴、ホワイトハウスと情報機関の隠蔽工作で綴られた権力の嘘は、言論の追及と特別検事の起訴、議会の弾劾案可決につながり、結局ニクソン大統領の下野で帰結された。 特別検事を解任しながらも持ちこたえ「私は詐欺師でない」と抗弁したニクソン大統領は任期中にホワイトハウスを去った米国史上初であり唯一の大統領という汚名を歴史に残した。BHの終わりはどこであろうか?
ユ・ガンムン経済国際エディター moon@hani.co.kr
原文: https://www.hani.co.kr/arti/international/international_general/526114.html 訳J.S