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"花を踏みにじった日本、申し訳ない心を持つのは当然"

原文入力:2012/02/13 22:11(1628字)

八十歳の日本人、慰安婦少女像にひざまずく

←1970年代ソウル、清渓川(チョンゲチョン)一帯の貧しい村で貧民救済と布教活動を行った日本人 野村基之牧師が13日午前、ソウル、鍾路区(チョンノグ)、中学洞(チュンハクトン)日本大使館前の慰安婦少女像で日本軍慰安婦問題の悔悟と日本政府の謝罪を促し、礼拝とフルート演奏を終えた後にひざまずき涙を流している。 キム・テヒョン記者 xogud555@hani.co.kr

'清渓川貧民運動' 野村牧師‘鳳仙花’を演奏し、バラの花を献花
日本大使館への抗議訪問は不発

 染みが浮かんだ八十歳の老人の手がフルートの上に用心深く乗せられた。 指を動かし、歌曲‘鳳仙花’の悲しい韻律がソウル、鍾路区の駐韓日本大使館前に鳴り響いた。‘ウルミッテソン ポンソンファヤ(垣根の下に咲いた鳳仙花)ネモヤンギ チョリャンハダ(君の形がわびしい…)’老人が準備したフルート演奏と一輪のバラは日本軍‘慰安婦’被害少女のためのものだった。

 13日午前、少女の姿を形象化した‘平和碑’前に立った老人は、演奏を終えてひざまずいた。 そして涙を流した。彼は日本人社会運動家 野村基之(81・山梨県ベタニヤ教会)牧師だ。 「鳳仙花の歌詞の中の秋風は日本の侵略を意味し、落ちた花は‘慰安婦’被害者ですよね。5才の頃、日本人たちが朝鮮人を苛めるのを見て心が痛みました。その申し訳ない心を持って演奏したいと思いました。」

 彼は約40年前にも幼い息子・娘を連れて日帝が虐殺を犯した京畿道(キョンギド)華城(ファソン)、堤岩里(チェアムリ)教会と独立活動家が獄苦にあえいだ西大門(ソデムン)刑務所を訪ねた。 野村牧師と韓国の縁は尋常ではない。韓国戦争が勃発する前に日本、東京に留学に来た韓国人の友人を知ってから韓国は彼にとって近い国になった。1968年、宣教師として韓国の地に第1歩を踏み、ソウル、清渓川の貧民街の惨状を目撃した。 野村牧師は1980年代中盤まで韓国と日本を50余回にわたり往復し清渓川で布教と貧民救済活動を行った。‘貧民運動の父’故チェ・ジョング前議員と共にしたことだった。‘平和碑’献花に先立ち、彼は12日慶南(キョンナム)、統営(トンヨン)で開かれたチェ前議員13周忌追悼式に参加した。 昨年も日帰りで韓国に立ち寄った。清渓川で布教活動をして縁を結んだおばさんが亡くなり、後に残った病院の借金800万ウォンを渡すためであった。

 野村牧師は日本政府が‘慰安婦’問題の始末をつけなければならないと語った。1965年、韓-日協定を結んだが両国共にこの問題を覆いかくし適当にやりすごしたということだ。「‘慰安婦’被害は明らかな事実ではないですか。 申し訳ない心を持つのは私の良心としては当然のことです。」彼はこの日、駐韓日本大使館を訪問しようとしたが取材陣が集まり志を達せなかった。日本の一市民として‘慰安婦’問題に対する日本政府の立場を聞き、韓国人が納得できる措置を取ってほしいという話をしようとした。「2つの民族がなくなりはしないでしょう。 争うより仲良く過ごすのが良くないのかと、お願いしたかったのです。」

 野村牧師の携帯電話の液晶画面には空を飛ぶ飛行機の写真がある。彼の家の窓を開けば空に見える日本成田空港と仁川空港を行き来する飛行機だ。彼はきちんとした韓国語で話を続けた。「飛行機を見るたびに韓国の友人を思います。」 15日に日本に戻る彼は平和を愛する人々と共に‘慰安婦’問題解決を望む意を日本社会に伝えると語った。

パク・ヒョンジョン記者 saram@hani.co.kr

原文: https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/518887.html 訳J.S