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学習誌教師たち 4年間 こだまなき絶叫

原文入力:2012/01/29 23:04(1902字)
キム・ジフン記者

[現場] 才能教育解雇者 路上闘争1500日
"俺と寝よう" 外注警備チンピラのセクハラで心にアザ

←才能教育解雇者たちがテント座り込み1500日目を迎え、去る28日夜‘才能教育を占領せよ!’という集会が開かれたソウル、鍾路区(チョンノグ)、恵化洞(ヘファドン)の才能教育本社前で参加者が整理解雇の撤回と非正規職のいない世の中を要求している。 リュ・ウジョン記者 wjryu@hani.co.kr

 座込み場を取り囲んだ戦闘警察のように退こうとしない零下5.5℃の寒さが続いた29日、ソウル、鍾路区、恵化洞の才能教育本社前。全国学習誌産業労働組合才能教育支部ヨ・ミンヒ(39・女)組合員は足踏みをしながら徹夜座り込み参加者たちにコーヒーを入れて笑顔を見せた。

 大学で数学を専攻したヨ氏は1998年‘自分のことは自分でしよう~’というCMソングが気に入って才能教育に入ったと語った。 2007年12月21日、才能教育学習誌教師労組が団体協約交渉を拒否する会社の前でテント座り込みを始めた日、ヨ氏は70人余りの外注警備チンピラに殴られ、全治4週間の怪我を負い休職した。1500日。組合専任者としての長い長い闘争はそのようにして始まった。

 長期にわたる闘争期間中、ヨ氏が最も耐え難かったのは20~30代の男性外注ガードマンの尾行とセクハラだった。外注警備が「お前、先週きれいな服着てプレゼントの箱を持ってどこかへ行ったな」と言ってニタリと笑った時は背筋が寒くなった。 2010年夏、会社がテントを撤去し、乗合車に寝て座り込みを行った時には30分間隔で外注ガードマンらが「何してるんだ、俺と寝よう」と言って車を揺さぶりもした。ある外注ガードマンはヨ氏が会社の労務管理チーム職員に抗議し泣き叫ぶ内容を録音し、自分の携帯電話の着信音として使ってマネをした。 ヨ氏は「外注ガードマンを見れば心臓がドキドキするほど恐ろしいが、ちっとも恐くないフリをしなければならなくて、性的羞恥心をあたえる言葉を聞いても他の組合員に言うことが恥ずかしくて一人で耐えなければならないことが最も辛かった」と語った。

 2008年には会社側がヨ氏の通帳を仮差押さえし、今だに預・積金は引き出すこともできない。 ヨ氏は数学の課外教師をしながら生活費を作っている。未婚の彼女は一人暮らしで家族は去る4年間、彼女が解雇されテント座り込みをしているという事実さえ知らない。

 ヨ氏は去る13日、共に戦い癌で亡くなったイ・ジヒョン(45)氏と最も親しい仲だった。彼女は「癌の診断を受けて入院する前にジヒョン氏と済州島(チェジュド)旅行に行き、オルレ道(訳注:済洲島の強風を避けるために玄武岩を積んだ路地)を歩いて‘今度来た時、全部歩こう’と言ったのに…」としてついに涙を見せた。

 ヨ氏は何よりも闘争が長期化し甲状腺昂進症・子宮筋腫・敗血症など一つずつ病気が増えている組合員が心配だと話した。

 去る1500日間、外注ガードマンのセクハラと拘置所生活、野宿に耐えてきたヨ氏。その力はどこから出てくるのだろうか。 彼女は「1999年に学習誌教師労組ができた後、偽会員会費の代納がなくなった」として「休暇の費用を受け取り、当期純利益の分配を受けることを当然の権利として取り戻せた時、幸せそうな同僚の笑顔を忘れられない」と語った。 労組がなくなった才能教育にはこういう当然の権利が消えて久しい。

 ヨ氏は「元職復帰と団体協約締結以外に教師たちの権利を取り戻す方法はないと思うので闘争を止めることはできない」と話した。 4年間、路上で寒さと暑さで自らを鍛え、このような思いは一層明確で強固になった。

 才能教育解雇者たち一貫して闘争を継続できるもう一つの理由は、連帯する市民がいるためだ。 去る28日、韓進重工業解雇者と釜山市民28人が希望のバスに乗って闘争1500日を迎えて開かれた‘才能教育を占領せよ’闘争に合流した。 1000人余り(警察推算400人)の市民と活動家らは一緒に鍾路区、普信閣(ポシンガク)から才能教育本社まで行進した。

 一部の希望のバス参加者など100人余りは才能教育本社前で29日朝まで文化乱場を行い夜を明かした。

キム・ジフン記者 watchdog@hani.co.kr

原文: https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/516505.html 訳J.S