原文入力:2012/01/16 22:40(2385字)
面会に行った妻 "私が代わりに全部するから…"
パク・テウ記者
望楼に上がった夫は監獄へ
新婚家庭・店を一瞬にして失い
希望のバスのおかげで勇気を得て
撤去民の涙を拭く新たな人生
←チョン・ヨンシン氏が去る14日、京畿道(キョンギド)安養市(アニャンシ)、虎渓洞(ホゲドン)の安養刑務所で夫のイ・チュンヨン氏に面会するため申込書を作成している。 安養/写真 パク・テウ記者 ehot@hani.co.kr
去る14日午後3時、京畿道、安養市、虎渓洞の安養刑務所6号接見室。透明アクリルの壁と鉄格子を間に挟んで、夫婦はマイクのスイッチが入れられる前に身振りで話し始めた。 妻のチョン・ヨンシン(40)氏はご飯を食べる動作をしながら 「ご飯食べた?」、走る動作をしながら 「運動はした?」と尋ねた。 囚人番号2944。青い囚人服を着た夫 イ・チュンヨン(41)氏の顔には明るい微笑が浮かんだ。 イ氏はチョン氏の問いにその都度頷いた。
チョン氏夫妻は6年に及ぶ熱愛の末に2008年に結婚した。 だが幸せな家庭を夢見た夫婦の素朴な望みは結婚8ヶ月で無惨に踏みにじられた。 夫婦の生活の基盤だったソウル、龍山区(ヨンサング)、龍山4区域開発計画が本格化したためだ。
龍山4区域にはチョン氏夫妻が2006年に開いた生ビール店‘レアホープ’と夫の実家、夫婦の新居があった。 イ・チュンヨン氏は完全な補償を受けられないまま外注撤去員の退去威嚇に苦しまなければならず、結局龍山4区域撤去民対策委員長になった。
ついに2009年1月19日、夫と舅のイ・サンニム氏は‘生きるために’レアホープがあった南一堂ビルの望楼に上がり座り込みを行った。 一日後に警察特攻隊が押しかけ、鎮圧過程で火災が起こり舅をはじめとする撤去民5人と警察官1人が命を失った。 夫をはじめとする撤去民8人は幸い命は助かったが、警察官を殺したという罪で監獄で4回目の冬を迎えている。
龍山惨事真相究明および再開発制度改善委員会(龍山対策委)は去る5日、龍山惨事関連拘束者も正月を迎え特別赦免をしてほしいと要求したが、10日に発表された赦免対象者名簿に彼らの名前は入っていなかった。
チョン氏は舅が亡くなり355日ぶりに行われた葬儀以後、ちっ居に入った。 きちんとした謝罪と補償もなしに交渉を妥結しなければならなかった鬱憤のためだった。 チョン氏は「最初は面会も週末には来ませんでした。 週末には幸せに見える人がとても多かったんですよ」と話した。修羅場と化したレアホープから唯一持ってこれた壁掛けテレビがチョン氏の友人になったが、彼女はまだテレビに火災場面が出てくるたびにその日の記憶のために恐怖に震えている。
チョン氏が悲しみと怒りを少しでも払いのけ、外に出ることになったのは希望のバスのおかげだった。 チョン氏はキム・ジンスク民主労総釜山本部指導委員の本<塩花木>を読んで、昨年行われた5回の希望のバスに全て参加し勇気を得たと語った。
「希望のバスに参加した数万人は、自分自身のことではないのに共にしたというのに、‘龍山’は自分のことでしょう。 家にばかりいてはいけないと決心しましたよ。」 彼女は昨年7月から龍山対策委常勤活動家として仕事をしている。 全国の撤去民に会い勇気を培い、‘龍山惨事’再発防止のための強制退去禁止法制定運動にも熱心だ。
龍山惨事‘踏みにじられた新婚の夢’
接見室のマイクのスイッチが入ると、窓の桟の向い側のイ氏は「天気予報によれば幸い追慕期間には寒くないって…」として翌日(15日)から行われる龍山惨事3周忌追悼行事の便りを心配していた。 チョン氏は「ウン。開発区域を回って夕方には周り盤(弘大(ホンデ)前)に行くのだ。 委員長がカルグクスを作ってくれるって」と答えた。
平凡な商売人だったイ氏は獄中生活をしながらも「済州(チェジュ)江汀村にも行きたいし、双龍(サンヨン)自動車の希望のテントにも行きたい」と話した。 また、先日面会に来たパク・ジョンチョル烈士の兄、パク・ジョンブ氏の便りを伝えて妻に「その方の犠牲と努力のおかげで世の中がそれでも変わったのに、それまで(そのことを知らなくて)世の中に無賃乗車していたようだと思った」とも語った。「まだ常識が通じない世の中だから、一層義務感を持って生きなければならない」という話も付け加えた。 妻は夫に「今は安らかにしていて。 私が代わりに全部するから」と言った。 誰かが見ていたためだろうか? 彼ら夫婦はよく言う言葉「サランヘ」という一言を口に出さなかった。 記者の勧誘にイ氏は「目を見ただけで分かる」として目も合わさずに「サランヘ」と言った。 チョン氏の口元にも微笑が浮かんだ。 12分間の短い面会が終わり自身の部屋に戻るイ氏にチョン氏は笑って手を振った。
ソウルに来る車の中で歌手ルシド フォールの龍山惨事を扱った歌‘平凡な人’が流れた。 チョン氏は「99%の平凡な人が大変な世の中」としながら「龍山が人々にこれ以上忘れられる前に拘束された人々、他の開発地域撤去民のために最善を尽くしたい」と話した。
チョン氏はソウルに到着するやいなや、翌日の追悼行事に使う菊花を買いにソウル駅へ忙しく向かった。 菊花はチョン氏夫妻の新婚生活のように3年にわたり開発が止まった龍山、南一堂ビル跡に飾られた。
安養/文・写真 パク・テウ記者 ehot@hani.co.kr
原文: https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/515053.html 訳J.S