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‘民主化運動大物’キム・グンテ民主党常任顧問他界


キム・グンテ民主党常任顧問.
原文修正:2011/12/30 09:26(1277字)
イ・ジョンウ記者

民主統合党のキム・グンテ常任顧問が30日午前5時31分頃死亡した。 享年64才。
キム顧問は遺族と民主党イ・インヨン前最高委員が見守る中で息をひきとった。葬儀場はソウル鍾路区(チョンノグ)、蓮建洞(ヨンゴンドン)のソウル大病院葬儀場に整えら、出棺時間と埋葬地はこの日午前に決定される予定。

キム顧問は11月末にソウル大病院に脳静脈血栓症で入院して治療を受けていた。2日前から肺と腎臓、肝臓などの臓器の機能が落ちながら重態に陥った。集中治療室に入ったキム顧問は前夜、機械で強制的に呼吸を維持させるほど容体が悪かった。
‘民主化運動の大物’といわれるキム顧問は1947年2月14日京畿(キョンギ)富川(プチョン)で生まれた。 1965年ソウル大学校経済学科に入学して学生運動に打ち込み、1971年の‘ソウル大生内乱陰謀事件’で2年間の指名手配されるなど20余年、政治事件の中心で活動して手配と投獄を繰り返した。
1985年民主化運動青年連合(民青連)を結成したという理由で拘束されて拷問担当のイ・クンアンから南営洞(ナミョンドン)の対共分室で電気拷問を受けた。電気拷問を受けた事実が全世界に知らされ、ロバート・ケネディ人権賞を受けた。電気拷問による後遺症で2006年頃からパーキンソン病を病んできたがおおやけにせず治療を受けていた。政治家に健康悪化は致命的弱点であるためだった。
最近再び健康が悪化して彼が理事長である韓半島財団が8日に異例的に簡単な報道資料を出した。先月25日に精密診断の結果、脳静脈で血栓が発見されて入院し、治療中に突然出血して急に悪化した。当時キム顧問は最愛の娘さんのビョンミンさん(29)の結婚式を控えていて惜しまれた。
1995年に政界入りしたキム顧問は1996年ソウル道峰(トボン)甲区で第15代国会議員に当選した。以後第17代まで連続3期務めた。盧武鉉政府の保健福祉部長官を歴任し、2006年に開かれたウリ党の議長も務めた。2008年第18代選挙ではシン・ジホ ハンナラ党議員と競って落選し、その後は政治の表舞台には出ず、野党圏の統合に尽力した。

デジタルニュース部digitalnews@hani.co.kr
原文: https://www.hani.co.kr/arti/politics/politics_general/512606.html 訳T.W