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「左派」はもはや「あなたが主張する権利」を守ってくれない【コラム】

[パク・カンスの虚言録] 
ボルテールと啓蒙主義(下)
2025年4月17日、米国マサチューセッツ州ハーバード大学のキャンパスで学生と教授がトランプ大統領の大学弾圧に抗議するデモを行っている。プラカードには「すべての人のための表現の自由」と記されている/AP・聯合ニュース

(「ボルテールと啓蒙主義(上)」の続き)

 「ボルテールと啓蒙主義(上)」で取り上げたように、「あなたが主張することには同意しないが、あなたが主張する権利が脅かされるのであれば、命をかけてともに戦う」という文言の主は、当初考えられていたのとは異なり、ボルテールではなかった。この文言は、後世の研究者が「ボルテールの精神」を描写しようとして考案したものだが、引用符を誤って付けてしまったため、ボルテールのものとして誤解されてしまった。しかし、発言者との結びつきは失われたとしても、文言の本質は変わっていない。「思想の自由を保障し、それを死守する以外に、愚かで不完全な人間を真理へと導く明かりはない」という知的な合意のうえで、上記の虚偽の語録と啓蒙主義者ボルテールは結びつく。この古典的な自由は、時と場所を選ばず常に論争を引き起こしてきたが、それは現在でも同じであり、偽りの格言が現在に至るまで生き残った秘訣もそこにある。

 憲法修正第1条に「表現の自由」を刻み込み、その土台の上に築かれた自由の国、米国を見てみよう。2022年、ニューヨーク・タイムズは「米国は表現の自由の問題に直面している」(America has a free speech problem)と題する社説を出した。独自に実施した世論調査の結果を列挙し、ニューヨーク・タイムズは、多くの米国人が自分の考えを表明することに対し、恐れと混乱を感じていると主張した。その調査によると、回答者の過半数(55%)が「過去1年間に報復や非難を懸念し、発言を自粛したことがある」と答え、半分近い人たち(46%)が「10年前より日常での政治的発言の自由が減った」と感じ、大多数(84%)が「後々の不利益を意識し、日常生活で口を閉ざすことは深刻な問題」だということに共感した。

 この社説は、報道指針を出して政府記者室からメディアを追い出し、連邦軍を動員して反政府デモを脅かす最近のトランプ大統領の米国に対するものではない。世論調査が実施された当時の米国の大統領はジョー・バイデンであり、政権与党は民主党であり、ニューヨーク・タイムズが懸念する「表現の自由の問題」とは、「左側」に起因するものだった。ニューヨーク・タイムズは説明する。「表現の自由を全面的に支持することは、かつてはリベラル派の理想だったが、こんにちでは多くの進歩派の人たちがこの原則を破っているようだ。これらの人たちは、自分と異なる意見を持つ人たちへの寛容を失い、自分たちが長きにわたり軽蔑してきた保守派の検閲主義にますます似てきている」。「私はレーニンよりもう少し左にいる者」だと自己紹介した90歳のある世論調査の回答者も同じ立場だ。「最近の若者たちによるいまの『キャンセル・カルチャー』(排除文化)や、いわゆる『ウォーク』(woke)というものが、米国社会に大きな害悪をもたらしている。それは憲法を損なう行為だ」

米国の高等教育専門誌「ザ・クロニクル・オブ・ハイヤー・エデュケーション」の2021年5月27日の記事。「崖っぷちにある学問の自由」と題して大学のキャンパス内での表現の自由の問題を扱っている=クロニクルのウェブサイトより//ハンギョレ新聞社

 これらの人たちの非難の対象になったキーワードは、韓国人にとっても見慣れないものではない。「キャンセル・カルチャー」とは、物議を醸した人物の言動を口実にして公論の場から退場させる、社会的告発と集団リンチの境界を行き来する執拗かつ集団的な行動主義の弊害を指す言葉で、「ウォーク」は、主に進歩的なテーマについて「目覚めている」人たちを形容する言葉で、韓国語の表現でいえば、「ケシミン(目覚めた市民)」におおむね該当すると言えるだろう。2010年代に入り、米国社会の懸念事項として浮上した一連の社会現象を大まかに要約すると、次のとおりだ。社会の先覚者である「ウォーク」たちが「ポリティカル・コレクトネス(政治的な正しさ)」を掲げ、他人の言葉と行動を矯正しようとした。その熱のこもった説教に従わなかったり、大義に反する言動が確認されたりした場合、すぐに非道徳的かつ破廉恥な者として糾弾し、過大な代償を支払わせる「キャンセル・カルチャー」が横行した。この戦術は、不当な既得権者や権力構造と戦うために生み出されたものだが、戦線を拡大し、敵と味方を識別する際の適切な境界を越えたことで、「左派の検閲主義」という汚名を着せられることになった。

 ミシェル・フーコー、ヘルベルト・マルクーゼ、ジュディス・バトラーといった知識人の影響を受けたこれらの運動は、大学のキャンパスを中心に勃興した。2010年代半ばから後半にかけて米国の大学街では、少しでも保守的な傾向のある著名人が特別講演者として発表されるたびに、大規模なデモが発生し、講演が中止となることが繰り返された。同時に学生たちは、政治的に正しくない古典作品についても学ばない権利や、トラウマを刺激するかもしれないヘイト(嫌悪)の素地がある一切の表現物から自分たちを隔離し、安全に保護される権利のようなものを真剣に主張した。この過程で多くの教授がさまざまな失敗を理由に、人種差別主義者や性差別主義者のらく印を押されて懲戒処分を受け、なかには、学生たちとの論争そのものをあきらめてしまった者さえ現れた。

 同様の潮流は、ソーシャル・メディアを通じてネット左派の主流となり、多くの学者やメディア関係者、さらには名もない普通の一般人まで、誤った発言一つで攻撃対象となり、職を失ったり、名誉を失墜したりすることが頻発した。大学、メディア、企業は、論争の事実関係を把握して省略された文脈を解明し、原理原則に立って議論や反論を展開するのではなく、世論に屈服する処世術に終始したため、「ウォーク」の威力は並大抵のものではなかった。このリストには、寄稿執筆陣はもちろんベテラン記者まで解雇し、「ニュースルームの実力者は編集長や発行人ではなくツイッター」という皮肉を浴びせられた、あのニューヨーク・タイムズも含まれている。

米国の詩人アマンダ・ゴーマンが2021年1月20日、バイデン大統領の就任式で詩を朗読している/AFP・聯合ニュース

 大学と政界のエリート左派が行う一連の価値観をめぐる闘争は、時には滑稽で、しばしば疲れるものであり、概してわずらわしいものだった。その一例として、バイデン大統領の就任式で「わたしたちの登る丘」という詩を朗読したことで一躍スターとなった20代の黒人女性詩人アマンダ・ゴーマンの件は、これが国際的な症状であることを示している。彼女の著作の翻訳権が欧州各国に売られ、翻訳作業のさなかに、誰かがネット上に「ゴーマンの詩は黒人女性だけが翻訳すべきだ」と投稿したところ、この主張が拡散して支持を広げた。欧州各国の出版業界ではすでに翻訳が完了していた原稿を白紙に戻し、「黒人女性翻訳者」を捜し回って作業を再開する寸劇が繰り広げられた。ゴーマン自身が直接推薦した翻訳者も「白人」だという理由で降板せざるを得なかった。

 百科事典を書けるほど多くの事例が蓄積され、おりしもトランプ大統領が返り咲いたこともあり、一部ではこれまでの左派のふるまいをめぐり、反省と非難の声が強まっている。コメディアンのマーク・マロンは自身のスタンダップコメディのショーで、次のようなパンチライン(ジョークの落ち)を言い放ち、民主党と進歩派の問題を鋭く突いた。「進歩陣営は本当にこの『盛り下げ役』(buzzkill)問題を直視しなければならない。重要な問題だということは分かっている。しかし、われわれは結局のところ、普通の米国人をうんざりさせ、ファシズムに追い込んでしまった」。左派が誘発した道徳的疲労感が、極右ポピュリストによる政権掌握に一役買ったということだ。

 単なる辛辣なジョークで済ませられるほど、現実は甘くはない。社会学者のムサ・アル・ガルビは、2024年の米国大統領選挙のデータを分析し、民主党のカマラ・ハリス候補の落選の原因は、白人の人種差別主義者の結集ではなく、民主党の主なターゲットだった有色人種と女性の票を大量にトランプ大統領に引き渡してしまったことにあると指摘した。彼によると、人種や性別を問わず、一般的な大多数の有権者が共和党を選択したのは、「民主党を(経済、安全保障、教育などの政策よりも)論争を呼ぶ道徳政治に重点を置いた勢力だと認識したためだ。有権者が重要だと考えることと、民主党が重要だと考えていると『みなされていること』の間には、大きなへだたりがある」

イスラエルのネタニヤフ首相が2024年7月24日、米上下両院合同会議で演説している/EPA・聯合ニュース

 「ウォーク」式の道徳政治の限界は、このような政治的・実務的な失策にとどまらない。「アイデンティティ政治(アイデンティティ・ポリティクス)」は、根本的には孤立を避けられない方法論だとする批判も注目に値する。哲学者のスーザン・ニーマンは著書『Left Is Not Woke(左派はウォークにあらず)』(2023、未邦訳)で、一部のアイデンティティ政治と政治的正しさが標ぼうする極端主義的な傾向は、一種の「部族主義」に当たると主張した。たとえば、同じ差別撤廃闘争を行うにしても、その信念の土台を「すべての人間は平等でなければならない」という普遍的な大義に置くことと、「歴史的に根深い不平等を是正するためには、これまで不利益を被ってきたアイデンティティ集団のための新たな特権的秩序を構築しなければならない」という考えに置くのとでは、大きく異なる効果をもたらさざるを得ない。前者はアイデンティティ集団の外部者も普遍的な人権問題の当事者として取り込むことができるが、後者は、ややもすれば共感を得られず、拡張性を失う。

 たとえば、集団的な犠牲の経験を普遍的な人権に対する人類の反省に昇華できず、一つの民族共同体のための利権として専有した卑近な事例として、昨今のイスラエルのことを考えてみよう。シオニストにとってのホロコーストは、普遍的な文明の教訓ではなく、ユダヤ民族の聖戦のための免罪符のように利用される。このような部族主義の罠から政治的な正しさは自由ではないというのが、ニーマンの警告だ。それは結局のところ、道徳を独占しようとする独善と、討論を容認しない頑固さに満ちた、もう一つの孤立に他ならない。

パク・カンス記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/1226026.html韓国語原文入力:2025-11-16 21:19
訳M.S

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