国家情報院による対北朝鮮放送の中止決定に対する批判が強い。北朝鮮住民に外部情報を伝える手段を遮断したという主張から、北朝鮮への圧力の手段を自ら捨てたという懸念まで。しかし、このような批判が看過している南北関係の多層構造が存在する。
第一に、北朝鮮住民に実質的に役立つ情報提供のあり方を考えるべき時に来ている。過去には、対北朝鮮放送が北朝鮮住民に外部情報を伝えるのに一定の役割を果たしてきたことは確かだ。しかし、今は北朝鮮住民が情報に接する手段とルートは多様になり、道具そのものも変わった。北朝鮮は1990年代半ばから後半にかけての、いわゆる「苦難の行軍」を経て、「労働党(ロドンダン)より市場(チャンマダン)」という言葉が流行するほど、市場が当局の統制から外れるほど拡大した。2005年ごろからの急速な中国製ノートテル(映像プレーヤー)の普及は、北朝鮮内の情報拡散パラダイムと勢力図を変えた。
第二に、現時点で信頼を築く最良の方法は「小さな相応措置の繰り返し」だ。数十年間にわたって続いてきた伝統的な方式であるラジオ放送やテレビ放送は、北朝鮮の非核化や改革開放などの根本的な体制の変化を引き出すには限界があり、むしろ北朝鮮に挑発の口実を提供したりもしてきた。情報流入の観点からみると、むしろ南北平和の雰囲気において、開城(ケソン)工業団地のような協力の場が韓国を含む外部の情報を伝える機会になったという経験を思い返す必要がある。あえてかつての西ドイツ社民党の「接触を通じた変化」政策を見ずとも、交流が活性化すればするほど情報拡散と相互理解は深まるものだ。
一方で対北朝鮮放送の一時中止は、南北関係の突破口づくりのための戦略的柔軟性の発現ともみなせる。北朝鮮が極度に敏感に反応してきたことをしばらく中止することで、北朝鮮が対話の場に出てくる最小限の名目と環境を作るという高度な戦略的選択だとしたら、やってみる価値のある戦略だ。敵対国同士の危機管理のための意思疎通は明示的、言述的な立場表明だけでなく、非常に小さな敵対措置であろうと中止する姿勢を相互に示し、その意志を伝えることが重要なシグナルとなりうる。
韓国が先んじて対北朝鮮拡声器放送を中止したことを受け、北朝鮮も放送を中止し、北朝鮮の妨害電波も消えたという。北朝鮮が韓国の措置を注視しており、無言のコミュニケーションを取っているという事実そのものが重要だ。それが善意の循環につながるかどうか、忍耐強く見守る必要がある。
第三に、今や朝鮮半島和平プロセスの稼動に向けた新たなアプローチを試みるべき時に来ている。対北朝鮮放送は北朝鮮の誤った行動や挑発に対する報復手段として利用しうるのに、それを放棄するのは損だという主張もある。しかし、北朝鮮の挑発に対する報復手段としての対北朝鮮放送の実質的な効果は限定的だ。むしろ北朝鮮政権は、体制の結束を強化し、韓国に対する敵意をあおる宣伝手段として、対北朝鮮放送を逆利用してきた。
歴史上、経済制裁や圧力だけで体制が崩壊した例はない。政策手段を用いる際には、様々な手段を複合的に使ってこそ効果があるものだ。これからは、北朝鮮体制の崩壊を念頭に置いた単線的で一方的な圧力ではなく、精巧で、省庁間での調整を経た、洗練されたかたちの平和体制の構築策を論議すべきだ。朝鮮半島和平プロセスを進展させ引っ張っていくのは困難かつ複雑な過程であり、そのため政界やメディアの支持と国民の成熟した姿勢が求められると言えるだろう。
第四に、韓国内部の消耗的な論争は南北関係の発展に役立たない。一部の人は、対北朝鮮放送の中止は「大韓民国は統一を志向し、自由民主的な基本秩序に立脚した平和的統一政策を樹立し、それを推進する」とする憲法4条に違反しているのではないかと主張する。北朝鮮住民に外部情報を伝える手段としての役割が今はそれほど大きくなく、むしろ南北の対立と確執を激化させるだけなら、対北朝鮮放送をこの機に中止することこそ、憲法の精神により合致するかもしれない。
今や韓国も南北関係についてより深く考えるべき時だ。ドイツの「東方政策」が示すように、中傷し合うのではなく対話や交流で信頼を築くことこそ、長期的な統一基盤づくりにとってはるかに効果的だ。韓国政府も1972年の7・4南北共同声明、2004年の6・4南北将官級軍事会談合意、2018年の板門店(パンムンジョム)宣言に則って、相互の中傷の中止に合意し、履行してきた例があるではないか。過去の慣行ばかりに埋没すると、朝鮮半島への平和定着のための小さな一歩も踏み出せない。
対北朝鮮放送問題は国家安保にとって重要な部分ではあるが、より大きな枠組みからみると、私たちの願う朝鮮半島の平和に向けて冷徹な姿勢がいつにも増して必要になっている。
キム・ヨンヒョン|東国大学教授(北朝鮮学) (お問い合わせ japan@hani.co.kr )