物事にはすべて時というものがある。独立運動は解放前にしなければならない。反独裁闘争は独裁者が死ぬ前にやらなければならない。改憲はクーデターが起こる前に行わなければならない。
2022年に深刻な少数与党国会の状況で就任した尹錫悦(ユン・ソクヨル)大統領は、2024年4月10日の第22代総選挙での勝利を切実に望んだ。「与党が多数党にならないと公約した政策を支障なく実行できないし、そうなればほとんど植物大統領になってしまうだろう」と言っていた。一種の自己実現的予言だった。
結果は惨敗だった。「(長ネギが)875ウォンなら合理的」発言、「逃走大使」事件のせいだった。100%自己責任だった。ほぼ植物大統領になった。多くの人が政局収拾策として任期を短縮する改憲を提案した。大統領の任期を1年短くして2026年までにすると宣言し、与野党の合意で改憲を推進するというものだった。任期短縮改憲の中核となるものは政治の回復だった。大統領の権力を野党と分けたうえで、労働・年金・教育・医療の4大改革推進の動力を確保するというものだった。
総選挙直後は実際に改憲の最適期だった。尹錫悦大統領があの時、野党に任期短縮改憲を提案していたなら、イ・ジェミョン代表も受け入れていたことだろう。イ・ジェミョン代表は総選挙後に尹錫悦大統領と会談する際、改憲を提案することを検討していた。
もし尹錫悦大統領が改憲を提案していたなら、共に民主党はキム・ゴンヒ女史特検法、海兵隊員特検法を一方的に推し進めてはいなかっただろう。もし尹錫悦大統領が改憲を提案していたなら、民主党は監査院長や検事たちを弾劾訴追していなかっただろう。そして与野党の合意で改憲に成功していたなら、尹錫悦大統領は第7共和国を大きく切り開いた偉大な大統領として歴史に記録されていたことだろう。
だが、尹錫悦大統領は「改憲」ではなく「戒厳」を選択した。なぜか。総選挙での惨敗を現実として受け止めなかったからだ。不正選挙で野党が多数の議席を得たという不正選挙陰謀論を本当に信じていたからだ。
尹錫悦大統領にとって12・3非常戒厳は、不正選挙陰謀論の必然的帰結だった。国会を解散させ、別の立法機関を作ろうとした。チェ・サンモク副首相兼企画財政部長官に渡した文書、非常戒厳布告令1号がその証拠だ。
改憲ではなく戒厳を選択した尹錫悦大統領は、内乱を首謀した容疑で拘束された。万事必ず正しきに帰すだ。もはや憲法裁判所による罷免決定は確実だ。にもかかわらず、改憲を語る人々があちこちにいる。チョン・デチョル憲政会長は「大統領の弾劾審判の前に改憲し、第7共和国の新たな憲法体制で大統領選挙を行おう」と提案している。総選挙後、今に至るまで黙っていたのに、なぜ非常戒厳の後になって改憲を語るのか分からない。筋は通っているのか? 通っていない。現実的に可能なのか? 不可能だ。理由は2つある。
第一に、「尹錫悦発の内乱」が現在進行形であること。尹錫悦大統領は、高位公職者犯罪捜査処による捜査は拒否しつつ、憲法裁判所に出席して詭弁(きべん)を並べ立てている。極右勢力を結集させることを狙った扇動だ。尹錫悦大統領の行動は「トランプの真似」だ。極右勢力さえしっかり握っていれば、大統領職からの罷免も避けられるし、監獄からも解放されるだろうと考えているようだ。尹錫悦版『我が闘争』というわけだ。だからこそだ。今は改憲ではなく、内乱鎮圧に力を注ぐべき時だ。
第二に、与党「国民の力」が否定的であること。国民の力は改憲特委を設置することを決めたが、実際に改憲を推進する考えはあまりない。改憲は尹錫悦大統領の罷免と早期の大統領選挙の実施を前提とするものだが、党内外の尹錫悦大統領の支持者が受け入れない。
国民の力の指導部も「今この状況で我々が改憲を語ると、のんきなように見える。野党も積極的ではないのだから、直ちに改憲を論ずるのは難しい点がある」として、腰が引けている。
改憲そのものはすべきだ。今すぐにではない。いつ、どのようにすればよいのか。
尹錫悦大統領を罷免すれば、直ちに早期大統領選挙政局へと移行する。大統領候補たちが改憲を公約し、次期大統領の任期中に与野党の合意にもとづいて改憲すればよい。それが最も現実的だ。
イ・ジェミョン代表は2022年の大統領選挙で、与野党の合意によって大統領の任期を1年短縮し、大統領4年重任制に改憲するとの公約を掲げた。今回もそうすればよい。他の大統領候補も同じだ。次期大統領は自身の任期を削ってでも、第7共和国の扉を開く「改憲大統領」とならなければならない。それだけでも成功した大統領になれる。
ソン・ハニョン|先任記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )