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[寄稿]悲しみも権力の顔色を窺う…セウォル号10年ドキュメンタリーを止めたKBS

登録:2024-02-27 10:39 修正:2024-02-27 14:39
イ・ジェヨン | 放送作家
22日午前、「4・16セウォル号惨事家族協議会」と4・16連帯など関係者たちがソウル汝矣島のKBS本館前で記者会見を行い、「セウォル号10年ドキュメンタリー」放映延期決定を批判し放映を求めている=キム・ジョンヒョ記者//ハンギョレ新聞社

 時間は本当に早いと感じます。韓国放送(KBS)「ドキュメンタリーインサイト」で、セウォル号惨事から10年目のドキュメンタリー「風になって生き抜く」(仮題)を準備している、という話を周りの人たちにした時、ほとんどの人が同じような反応でした。「もう10年もたったんだね…」。その後に省略された多くの言葉、どう続ければいいのか分からない言葉の中には、おそらくこんな言葉も含まれていたことでしょう。「子どもたちが生きていたら、もう30代近い年齢になるんだね」

 私もそうでした。10年ほど前、私は市民たちが集まって作ったドキュメンタリー映画「アップサイドダウン」で脚本・構成を担当しました。セウォル号に乗っていた高校生のソンビン、ゴウン、セホ、ダヨンがどんな子どもたちだったのか、父親たちの口から語る内容でした。彼らは大惨事の犠牲者の一人ではなく、一つの宇宙だったことを残そうとしました。また、セウォル号惨事は個人がおこなった悪行ではなく、船体の増築を金の論理だけで測った、無理な貨物積載を知っていながらも通した、責任の取れない状況で子どもたちにじっとしているように告げた、まともに確認もせず全員救助されたという誤報を出した、目の前で子どもたちを失わなければならなかった、私たち全員の失策だと思いました。

 10年が経ちました。プロデューサー(PD)のイ・インゴン氏からセウォル号10年のドキュメンタリーをつくろうという話を聞いた時、正直に言って、喜んでやりますとは言えませんでした。つらいあの事件を再び振り返りたくはなかったし、資料画面と悲しい音楽ばかりでつなぐ映像を作りたくもありませんでした。10年目を追悼したという名目を作るだけではないかと心配にもなりました。毎日あらゆる事件が起こる大韓民国で、いつまでお涙頂戴ものを売るんだという一部の人々の非難が間違っているとも考えませんでした。人は利己的なものですから。解消されていない悲しみを繰り返せと強要することはできませんでした。

 考えが変わったのは、PDから渡された本を読んだ後でした。セウォル号の生存者のユ・ガヨンさんが書いた『風になって生き抜く』には、今日を生き抜く人間の生命力が込められていました。どこにでもいる20代なかばの若者たちと同じように、悩み、挫折し、ふさぎ込みながらも、再び頑張ろうともがく、平凡な物語が書かれていました。この話がセウォル号惨事から10年目を迎える私たちに、一種の慰めになると考えました。トラウマを経験した人たちが分かち合う価値があると。セウォル号10年のドキュメンタリーは、そのようにして始まりました。

 放送を先延ばしにしなければならないかもしれないという話を聞いた時、だからこそ疑問が生じたのです。尹錫悦(ユン・ソクヨル)大統領はセウォル号惨事から8年目を迎えた一昨年、SNSを通じて犠牲者を悼み、遺族に深い哀悼の意を伝えています。9年目を迎えた昨年には、当時のハン・ドンフン法務部長官が遺族に対する国家の賠償責任を確定した判決に対して上告を放棄し「国家責任が明確に確認された以上、はやく被害回復を確定するのが正しい」と言いました。セウォル号惨事は政治的立場を問わず、だれもが記憶すべき傷であることを明示したものだと理解しました。ところが10年目を控えた今、とつぜん総選挙を理由に放送を先送りしろとは。

 KBSのドキュメンタリーインサイトは、フリーの放送作家である私にも誇りを感じさせる番組でした。「ソンヨ 1・2部」、「息子を失ったということについて」などを制作する過程で、10秒のインタビューひとことを付け加えるのに、誰かを傷つけはしないか、誤解を呼び起こさないかを討論し、互いを説得しました。粘り強く議論する過程で信頼が築かれました。メディアが氾濫する時代、長い間一つのテーマを深く掘り下げ、慎重に結論を導き出そうとする努力が誇らしく、大切でした。

 セウォル号10年のドキュメンタリーもそのように制作できると信じていました。しかし、一方的な通知で制作中断の事態を迎えました。遺族たちは10年前と同じように、放送局の前で雪と雨に濡れながらろうそくデモをしています。このことが長く記憶されることを、私は願います。若い命が海で失われた事故があったと、むごい事故だったにもかかわらず悲しむのも顔色を伺わなければならなかったと、10年たった後も理解できない理由で口を塞がれたと、記録されるよう願います。作家は書いてこそ作家と言えます。放送を通じて語っていた私は、放送を失うことになった今、せめてこのような形で書き残します。

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/because/1129942.html韓国語原文入力:2024-02-26 22:57
訳C.M

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