巨大な不幸の裏には巨大な責任がある。人はよく誰の責任かを判断することに没頭するが、その責任は均等に分かち合ったとしても余ることも多い。イスラエルとパレスチナの紛争の根源的背景がそうだ。「ユダヤ人問題」は2000年前にまで遡る。その根がこんなにも深い確執はそれほど多くない。
10月7日のハマスの奇襲攻撃の直後、米国、英国、フランス、ドイツ、イタリアの首脳はイスラエルを支持する共同声明を発表した。そのリストは歴史的責任のある国と民族のカミングアウトだとの印象を与えた。彼らは積もり、絡み合い、ねじれにねじれた問題を作り出し、拡大するのに寄与した勢力か、その末裔(まつえい)たちだ。2千年の時が流れる間、彼らがどれほど執拗に巨大な悲劇を作り、今も続く惨劇の基盤を作り出したのか。概観してみよう。
1、イタリア。この国がルーツとするローマ帝国は1世紀に、もはや殺す相手が見出せないほどエルサレムを完全に破壊し、「ユダヤ人ディアスポラ(離散)」という神話の主要章を記した。
2、フランス。欧州へと移住したユダヤ人たちは各地で追放され、虐殺された。黒死病時代には井戸に毒を入れたというデマのせいで、いたるところで集団虐殺された。この虐殺はフランスではじまった。1394年、シャルル6世はすべてのユダヤ人を追放した。
3、英国。「約束の地」に帰ろうというシオニズム運動を支援した。特に、ユダヤ人がパレスチナに「民族的居住地」を作ることに賛同するとした1917年の「バルフォア宣言」が決定的だった。
4、ドイツ。反ユダヤ主義はナチスのホロコーストで頂点に達した。もはや欧州には住めないと判断したユダヤ人たちはパレスチナの地に押し寄せた。
5、米国。イスラエルの最も強力な後援者で、1948年のイスラエル建国を真っ先に承認した。イスラエルを軍事的に支援する一方、パレスチナ弾圧に対する国際的批判と抵抗に対して盾の役割を果たしてきた。
西欧がイスラエルの建国と存立を助けたのは、過去に犯した巨大な罪悪に対する補償だとも言えるだろう。だが否定的にみれば、これは「ユダヤ人問題の最終解決」方式だった。ヒトラーがユダヤ民族を絶滅させるというやり方を選んだとすれば、他の勢力は彼らを欧州の外に追い出す「人道主義的」解決策を選んだというわけだ。このようなアイデアは以前から提起されていた。東アフリカに送ろうという提案もあった。ソ連のスターリンはユダヤ人を沿海州に送り、ビロビジャン自治州を作った。
ユダヤ人は結局パレスチナの地を選び、代々暮らしてきたパレスチナ人は殺され、追い出された。そのような面で欧州は悲劇を中東に輸出したのであり、ユダヤ人は被害者から加害者へと変わった。欧州キリスト教徒の罪悪の代価をパレスチナのムスリムが支払わされている格好だ。その過程で、今回のようにイスラエル人も恐ろしい犠牲を被る。
この悲劇に歴史的・道義的責任を感じる国や文明であるなら、今のようなあり方はありえない。米国は、イスラエルにはガザ地区を攻撃しうる武器を与え、ガザのパレスチナ人にはパンを与えるという。何という奇怪な態度なのか。死ぬにしても食べてから死ねということか。とても難しい問題だが、双方の平和的共存のために改めて積極的に取り組むべき時だ。
イ・ボニョン|ワシントン特派員 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )