2011年3月11日の「東日本大震災」発生時、私は東京の特派員をしていた。津波で2万人の犠牲者が発生し、福島第一原発事故で16万人あまりが故郷を追われた大災害で、私はその周辺部にいた。特派員たちは事故を起こした原発の近くにまで取材で何度も足を運んだ。私たちは短期間での被ばく量が多いと予想される、たやすく入手しえない「サンプル集団」だった。私たちはその年、ソウル原子力病院で、体から放射線が出ているか、染色体の変異がどれだけ生じているかの資料をすべて提供することとし、無料で検診を受けた。
放射能に汚染された地帯に住んでいたのだから、放射線について学ばないはずがない。不安を完全に払拭するためには汚染地帯から離れなければならないが、それには多くのコストがかかる。一部の危険は受け入れたうえで、合理的な範囲でコストを支払う選択をしようと思えば、判断の根拠が必要だ。私は原発の近くに取材に行く際には厚い服を着たり、屋外にとどまるのは必要な時のみとしたり、日程を最短化したりして被ばく量を減らした。食べる物は、基準値以下の放射性物質が検出されたものも数値をすべて公開している生活協同組合で、不検出の食材をできる限り選んで購入した。幸いなことに、原子力病院の検査で私に大した異常は見つからなかった。しかし、その後3年近く子どもたちと東京にとどまったことを非難する人もいた。
放射線は、原子核が不安定な元素が安定していく過程で放たれる。細胞を傷つける。原始の地球は放射線のせいで生命体は住めなかった。放射能を研究し、ポロニウムとラジウムを発見したピエール・キュリーとマリー・キュリーは、どちらも放射線被ばくが直接・間接的な原因となって死んだ。不幸にも人類は人工的に核分裂を起こす核爆弾を発明し、原始の地球を再現する道を開いた。原子力発電も完全な閉じ込めに失敗すれば、核爆弾と何ら違いはない。2011年の福島第一原発1~3号機の事故こそ、まさにその例だ。科学の名において「原発は絶対に安全だ」と主張していた人々が今も何の責任も感じていないことに、私は虫ずが走る。
国際放射線防護委員会(ICRP)が1977年の勧告で述べている放射線防護の基本原則は、「合理的に達成可能な限り被ばく量を減らせ(ALARA)」だ。放射能管理の基準値は安全を保障するものでは決してない。避けられないなら「その程度の被ばくリスクは受け入れよう」ということであり、捨てるしかないのならその程度は受け入れようという「排出許容値」に過ぎない。軍医として広島で被爆し、その後の人生で6000人あまりの被爆者を治療してきた日本の医師、肥田舜太郎さん(1917~2017)に2013年9月に会った。激しい疲労を感じ、無気力に陥る「ぶらぶら病」にかかる被爆者を多く見た彼は、「放射能に汚染された食べ物によって起きる内部被ばくは、量が少なくても人体に及ぼす悪影響は大きい」と強調した。
福島第一原発の汚染水を海に捨てる日本政府の行為は、海にとって非常に有害だ。決して道徳的に正当化され得ない。もちろん海は非常に大きいため、捨てられるトリチウム(三重水素)は韓国沿岸の水産物にとって放射能の数値上は大きな脅威とはならない可能性が非常に高い。であったとしても、長期間にわたって汚染水を海に捨て続ければ悪影響があるのではないかと人々が懸念するのは当然だ。政府はまさにその不安に共感することから始めるべきだ。しかし、そうではなかった。国民の力の議員たちは刺身モッパン(食べる様子を映した動画、およびその放映)を行い、キム・ヨンソン議員は水槽の水を飲むショーを繰り広げた。不安がる人々を、不完全で魂のない「科学」の名で嘲笑した格好だ。
先日、福島県の南の内陸にある栃木県のウェブサイトで、水産物と農産物の放射能検査の結果を見てみた。一部のアユとヤマメから、木で栽培したシイタケから、セシウムが1キロ当たり20ベクレル前後検出されていた。川で獲れたアユやヤマメからセシウムが検出されるのは、原発事故初期に大気中に放出された放射性物質が地面に落ち、水に流されて川に流れ込み、食物連鎖を通じて上位の捕食者の体内に蓄積されたからだ。放射能が基準値以下だから「安全」だとして日本政府は流通を認めているが、韓国人の中にそれを「安心」して食べる人が何人いるのかは疑問だ。
基準値以下だから「安全」だと言う政府与党の高位高官たちに勧める。そんなにも自信があるのなら、いっそのこと福島第一原発の汚染水の試飲会を開催し、一列に並び、1人ずつ一気飲みして国民を「安心」させてみてほしい。そうする自信はおありだろうか。
チョン・ナムグ|論説委員 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )