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[徐京植コラム] 「終わらない戦争」—仁川ディアスポラ映画祭にて

登録:2023-05-26 11:41 修正:2023-05-27 10:10
今年の映画祭で印象深かった映画を1篇紹介しておこう。「ミャンマー・ダイアリーズ」である。匿名の映画人グループによる、ミャンマー民主化闘争の現住所を伝える作品だ。軍部の無慈悲な暴力によって押し潰される人々のやりきれない怒りと悲しみをよく伝えている。これは、韓国の昨日の姿であり、また、ひょっとすると明日の姿でもある。「フスターヴァチ」の号令がまた響こうとしている。
//ハンギョレ新聞社

 気分のいい晴天に恵まれた午後、仁川港がよく見えるホテルの明るい部屋で、この原稿を書いている。現在、第11回ディアスポラ映画祭が開会中で、毎年この季節には仁川を訪れ数日滞在することが常となっている。今年は、私自身が健康上の問題を抱えることになり、日本を出る直前まで大いに迷ったが、映画祭では懐かしい人々に再会して、少し元気を取り戻した。これも映画という集団芸術行為の効能と言えるかもしれない。

 この映画祭は「ディアスポラ」というテーマに特化されたものであるだけに、社会的議論のテーマとなる地味で難しいテーマを追った作品が多い。監督をはじめ製作者たちも、多くは無名と言える若い人たちが中心である。驚くことではないかもしれないが、そういう映画祭であるにもかかわらず一般市民の観客が多く参加し、その数も毎年増加している。私には、これは一つの奇跡のように思える。すべてのことが金銭や効率に換算されて評価される時代に、こういう映画祭が生き残っていること、しかも、そのテーマが「ディアスポラ」という「周縁化」された存在、いわば「カネにならない存在」であることが、奇跡とも呼べるほど貴重であると思うのだ。

 ここでは、あまり上映機会に恵まれない「小さな作品」、「無名の作品」も一般市民によって鑑賞され、かなり成熟した批評眼にさらされる。さらに私の目には、若い運営スタッフ達が、まるで学園祭を自ら運営するかのように、生き生きと活動している姿が眩しいほどだ。近年の日本では見ることの難しい風景である。多くの文化的企画に行政が過剰に介入するため、若者達がいつの間にか萎縮して自己検閲のような姿勢を身につけてしまったからである。大袈裟な言い方に聞こえるかもしれないが、毎年5月に仁川を訪れると、そこに生き残っている「ユートピア」の断片に再会することができると、私は感じる。戦争が続いているこの時代、南北分断の前線であり、同時に、中国、ロシア、日本に取り囲まれた小さなスキマのような小さな空間に、それだからこそ貴重な「ユートピア」が残されている。なんとかしてこの「ユートピア」を生きながらえさせたい、心からそう思う。

 今回の映画祭では、私はイタリア映画「ひまわり」を推薦し、上映に続けて「終わらない戦争」というタイトルで講演した。

 「ひまわり」は1970年公開、出演はソフィア・ローレン、マルチェロ・マストロヤンニ、リュドミラ・サベーリエワほか。軽いプレイボーイ役のよく似合うマストロヤンニが悲劇に翻弄される兵士役を演じ、その恋人に当時の世界的人気女優ソフィア・ローレンを起用、ソ連映画「戦争と平和」で観客を魅了したソ連を代表する美人女優サベーリエワが素朴なウクライナの農婦を演じたことでも注目を集めた。この映画が企画制作された1960年代末は東西対立が険しかった時代であり、西側の撮影チームがソ連で撮影制作することには多くのな困難が伴った。ストーリーは典型的なメロドラマだが、そこには東西「雪解け」と世界平和への切実な祈りが込められている。この映画は、第二次世界大戦終戦後70年余、公開後およそ半世紀を経た今日、ウクライナでの戦争が継続する中で、再び注目を集めている。そのことは、戦争が終わっていないこと、悲劇は継続中であることを私たちに教えている。

 監督はネオリアリスモの巨匠ヴィットリオ・デ・シーカである。日本で育った私の世代の人間にはあまりに有名な作品なので、今回の映画祭に推薦するのも大いに迷ったが、一つには、現在この映画の同じ場面でもあるウクライナで戦争が継続中であること、過去と現在のウクライナでの戦争は一続きのものと見ることができること、そして、ウクライナという土地は私たちにとっての「満州」や「朝鮮半島」に比喩することができ、決して他人事ではないこと、などを考えてみるためにあえて推薦した。

 推薦してみてわかったことだが、この映画は私が予想していたほど、韓国の人々には知られていなかった。そこにいろいろな理由があるだろうが、一つはこの映画の完成が1970年、すなわち冷戦の最中、朴正煕(パク・チョンヒ)軍政時代であったため、国内では日本よりかなり遅れて公開されたという事情があったのだろう。この映画は、スターリン死後のソ連「雪解け」の時代に、初めてソ連国内で撮影された西側の映画だ。そこに映し出された、おそらくキーウ(キエフ)らしい都市の映像、その街を行き交うソ連住民達の姿も、当時の雰囲気をよく伝えている。この映画は戦争によって運命を翻弄され、引き裂かれることになった夫婦の悲劇がよく描かれており、その夫婦は幾多の困難を経てようやく再会するが、すでにあまりに長い時間が経ったために、元に戻ることができないまま別れることになる。このような悲劇はもちろんイタリアだけにではなく、朝鮮半島を含むあらゆる場所にあり、その傷跡は今も疼いている。何よりデ・シーカ監督らしいのは、同時代のハリウッド映画とは異なり、決して安易なハッピーエンドに終わらないことだ。なんとも哀切で味わい深い。

 「ひまわり」に続けて、私は、アウシュヴィッツ生存者プリーモ・レーヴィ原作の『休戦』を映画化した「遙かなる帰郷」に言及した。これは辛うじてアウシュヴィッツから解放されたレーヴィが、その後8カ月にわたる苦難の末に、故郷イタリアのトリノの生家に帰還する映画だが、これもハッピーエンドではない。自宅に帰りついてからも、「恐怖でいっぱいの夢」に苦しみ続けるのだ。「私は家族や友人と食卓についていたり、仕事をしていたり、緑の野原にいる。…だが私は深いところでかすかだが不安を感じている。迫りくる脅威をはっきりと感じ取っている。…私はまたラーゲル(収容所)にいて、ラーゲル以外は何ものも真実ではないのだ。それ以外のものは短い休暇、錯覚、夢でしかない。」その夢は、アウシュヴィッツ収容所で毎朝聞かされた点呼の声「フスターヴァチ」(ポーランド語で「起床!」)で破られるのだ。

 この叙事詩は、私たちが「終戦」とか「平和」と呼びたいものは、束の間の「休戦」に過ぎない、という苦い真実を語っている。私たちも今、「フスターヴァチ」の号令に怯えながら、終わらない戦争の時代を生きているのだ。朝鮮戦争は今も「休戦中」である。レーヴィはその後40年余りを「平和のための証言者」として生きたが、1987年、自宅で自殺した。

 今年の映画祭で印象深かった映画を1篇紹介しておこう。「ミャンマー・ダイアリーズ」である。The Myanmar Film Collectiveという、匿名の映画人グループによる、ミャンマー民主化闘争の現住所を伝える作品だ。軍部の無慈悲な暴力によって押し潰される人々のやりきれない怒りと悲しみをよく伝えている。これは、韓国の昨日の姿であり、また、ひょっとすると明日の姿でもある。「フスターヴァチ」の号令がまた響こうとしている。上映後にトークのために登壇したこの映画の関係者たちは、かつての韓国民主化闘争の涙まみれの日々を、また、その輝きを私に思い出させた。若い世代の観客は、どのように見ただろうか。戦争はいつまでも終わらず、民衆の苦しみにも終わりがない、したがって闘争にも終わりがないという事実を私は改めて思い知った。

//ハンギョレ新聞社

徐京植(ソ・ギョンシク)|東京経済大学名誉教授 (お問い合わせ japan@hani.co.kr)

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/1093379.html韓国語記事入力:2023-05-26 02:38

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