李承晩(イ・スンマン)、朴正煕(パク・チョンヒ)、全斗煥(チョン・ドゥファン)の独裁時代、検察は存在感が薄かった。警察、中央情報部、保安司令部より力がなかった。
政権内部の法律サービス機関のような存在だった。政権が犯した不法行為を合法的に装う役割も果たした。
1987年の市民革命で第6共和国が発足すると、検察にチャンスが到来した。盧泰愚(ノ・テウ)大統領は大邱(テグ)・慶尚北道出身の検事たちを抜擢した。チョン・ヘチャン秘書室長、ソ・ドングォン安企部長が誕生した。
検察は1989年の公安政局、1990年の「犯罪との戦争」を経て、他の権力機関を追い出し、前面に出た。強力部を新設して麻薬と暴力団を直接捜査した。市民の暮らしを脅かす犯罪を撲滅するという名分を掲げ、警察や行政府の領域まで侵犯した。検事室に物価安定阻害事犯通報センターを設けた。子どもを安心して学校に行かせる運動を展開した。
無理な捜査で物議をかもしたりもした。工業用の牛脂を食品に使ったという理由でラーメンを製造する大手食品会社らの代表たちを拘束し、恥をかいたこともあった。
金泳三(キム・ヨンサム)政権時代からは、前政権勢力を叩く先頭に立った。全斗煥、盧泰愚元大統領を拘束した。通貨危機を招いた政策当局者たちを捜査した。「政権の侍女」「政権の猟犬」という非難を浴びながら、汚れ仕事を甘んじて引き受けた。
しかし、この時から検察は政治権力との駆け引きを始めた。大統領の息子たちを拘束した。 「政権は有限、検察は無限」という乾杯の言葉があるほどだった。盧武鉉大統領との真っ向対決も厭わなかった。
李明博(イ・ミョンバク)、朴槿恵(パク・クネ)大統領時代は再び「政権の猟犬」に戻ったかのように思われたが、実は違っていた。李明博・朴槿恵大統領を捕まえたのは文在寅(ムン・ジェイン)大統領ではなかった。検察だった。
1987年以降繰り広げた権力争いで、最後の勝者は与党でもなく野党でもなかった。検察だった。怪物となった検察が政権を飲み込んだ。尹錫悦(ユン・ソクヨル)大統領の存在自体がその証拠だ。
尹錫悦政権の検察が西海(ソヘ)公務員殺害事件を捜査し、ソ・ウク前国防相、キム・ホンヒ前海洋警察庁長を拘束した。捜査の刃は、ソ・フン前国家安保室長、パク・チウォン前国家情報院長、文在寅前大統領に向けられるだろう。北朝鮮漁師送還事件に対する捜査も強く推し進めるだろう。
野党「共に民主党」のイ・ジェミョン代表と側近に対する捜査は、もう少し見守らなければ実体が分からない。金のやり取りが事実だとしても、イ代表が受け取ったのが大統領選挙資金なのかは不明だ。大統領選挙資金なら、イ代表が責任を取るべきだ。
西海公務員殺害事件と北朝鮮漁師送還事件の捜査は、かつて公安部の検事たちが行っていた捜査だ。イ代表と側近に対する捜査は、かつて特捜部の検事たちが担当していた捜査だ。公安と特捜は昔から政治検察の二本柱だった。
だからであろう。今、大韓民国は検事たちが治めているように見える。尹錫悦検事、ハン・ドンフン検事(法務部長官)、尹錫悦師団の検事たちが統治者だ。
このような構造では、検察が何をしても国民の信頼を得ることはできない。野党に対する捜査は野党弾圧だと批判されている。与党に対する捜査は焦点ぼかしや政界再編のための地ならしだと疑われるだろう。尹大統領夫人のキム・ゴンヒ女史や大統領室参謀らに対する捜査をまともに行うはずがない。刀を持った人が自分を斬ることは不可能だ。検察の統治現象は続くだろう。
一つ理解できない部分がある。刑事処罰が必要なら在宅起訴で十分だ。政府高官たちを今検察の職権乱用法理で拘束するならば、歴代政権の高官全員が拘束の対象だ。尹錫悦政権の長官はもとより、在任期間中は公訴時効が停止している尹錫悦大統領も避けて通れない。にもかかわらず、検察は推し進めている。なぜだろうか。
本能かもしれない。猟犬の本能は獲物の喉元に噛みついて息の根を止めることだ。野放しにするのは危険だ。首輪と口輪で統制しなければならない。今、検察は誰が統制しているのだろうか。誰もしていないようだ。結局、尹錫悦大統領がすべての責任を負わなければならない。
尹錫悦大統領は政治家だ。司正ではなく国政の最終責任者だ。国政は法律と予算に基づいて行うものだ。法律と予算は国会の権限だ。
25日、国会で尹錫悦大統領が来年度予算案の施政方針演説を行う。5月の臨時国会補正予算案に関する施政方針演説では「法律案、予算案だけでなく国政の主要事案に関して議会指導者と議員の皆さんと緊密に議論する」と述べたが、嘘だった。
今度は何を語るだろうか。今私たちに必要なのは検事の尹錫悦ではなく、政治家の尹錫悦、大統領の尹錫悦だ。