交差点を包帯のようにとり巻く地方選挙の候補者たちの横断幕を眺めながら、1番(共に民主党)と2番(国民の力)の記号のみを隠すことを想像してみた。2人の巨大政党候補の所属は全く見分けがつかなかった。ちょうど、原則通りにブラインドテストを行えば、面接官は面接を受ける人の学歴などの背景資源が分からないように。10音節前後で終わるスローガンは開発至上主義の真髄だと言えるし、1番と2番がそれをめぐって対決しているようだった。しかし、両政党が事あるごとに「賢明だ」と称賛する有権者たちは、よく知っている。どちらが開発においてより有能なのかを。
家主がいきなり自分が暮らすから出て行ってくれと言うので、その日は引っ越す家を見に行ったところだった。第1期新都市の中で最も安い町だというのに、わずか1年半の間に伝貰(チョンセ。契約時に高額の保証金を貸主に預ける代わりに、月々の家賃は発生しない不動産賃貸方式)の保証金は青天井の勢いで上がっていた。これまで給与を一銭も使わずに貯めていたとしても、とても足りない。不思議なことに、内見した6、7軒の中で、家主が住んでいる1軒以外は全て空き家だった。不動産屋に尋ねると「家主が再契約請求権を避けるために自分が住むからと言って賃借人を追い出して、新しく賃借人を探している家々」だとこっそり教えてくれた。
同じ日に出会った2つの場面で、地方選挙の結果が分かるような気がした。そして数日後、全国に乱れ飛んだ開発公約を合わせれば大韓民国が100個あっても残らないようだった選挙が終わった。開票結果は予想の範囲内だった。開発においてわずかに有能な方が事実上全国を席巻した。開発の目的は住宅価格の上昇であり、彼らの言う通り有権者は賢明だった。住宅価格の上昇を望む人の中で、今回の選挙を自分の不動産資産の管理人を選ぶ程度のものと思っていなかった人が、果たして何人いるだろうか。
もちろん、このような結果を共に民主党の開発主義競争のせいにするのには無理がある。開発公約はすべての選挙で定石だった。しかし、民主党がここまで裸になって駆けずり回ったことはなかった。開票が終わりもしないうちに民主党は「国民の皆さんの厳しい叱責を謙虚に受け止める」と述べた。私はあの脈絡のない「謙虚さ」が怖い。「賃貸借3法」を作って複数住宅所有者が小細工をせざるを得ないようにしたことに謙虚になるというのか、「金浦(キンポ)空港移転」よりも巨大な開発公約を掲げられなかったことに謙虚になるというのか。
略奪的な地代追求がすべてを圧倒する現実の前では、謙虚になることさえ容易ではない。今後しばらくは選挙結果をめぐってあらゆる政治工学的な事後分析があふれるだろうが、「飯を食えば腹がふくれる」のような浅い分析程度にしかならないだろうと考える。現実にとらわれず、もう少し未来志向的な公約で勝負したとしても、結果が変わったとは保障できない事情もそこにある。たとえ民主党が勝利していたとしても、弱者の暮らしが良くなるという保障もない。慣れ親しんだ即自的な解決策は使い果たした。
5年間の政権をまず振り返るべきだ。韓国社会がこのような有様になるまでつっ走っているのに、民主党は何の制動力も行使しなかった。何度かの偶然の選挙での勝利に酔い、二大政党の既得権同盟の砦を築くことばかりにしがみつき、政治の地形を右傾化させるのに絶えず貢献した。今回の選挙は民主党だけが敗れたわけではない。正義党をはじめ二大政党体制の外部政党は枯れ果てた。草の根民主主義は根が腐り、生活政治の土台も崩れた。崩壊した政治生態系は開発主義の独壇場となった。誰が犯人なのか。
そもそも代議制民主主義は、エリートが支配する寡頭制的形態へと逸脱する可能性をなんらかは含んでいる。政治家になるためには高い壁を越えなければならないからだ。その壁が高ければ高いほど、多数の有権者は少数の特権勢力の宿主へと転落する。カッコウのヒナが自分のヒナたちを巣の外に落としてしまったことも知らず、懸命に虫を食べさせるヒタキの親鳥のように。今、私たちの代議制民主主義は「托卵民主主義」と呼ぶべき有様となっている。哲学者テオドール・アドルノが語った「客観的権力」のイデオロギーが深く内面化されている状態でもある。
客観的権力の枠の中では、闘うほど客観的権力の価値ばかりが強固になる。民主党がその内部を改めて省察することができなければ、カッコウのヒナを育てる親鳥の境遇から脱することはできないだろう。逆説的に、希望の端緒は開発公約の熱気に反比例した史上最低の投票率にある。「投票拒否」の意志を読み取らなければならない。その上で、この5年間無視し続けてきた弱者の切実な要請を再確認してほしい。
アン・ヨンチュン|論説委員 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )