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[寄稿]強制動員ドキュメンタリーと「クールな」わが師

登録:2021-12-09 03:47 修正:2021-12-09 07:53
[記憶と未来]チョン・ビョンホ|漢陽大学文化人類学科名誉教授
ドキュメンタリー『長い眠り(So Long Asleep)』を撮影中のデビッド・プラス教授=ソン・ギチャン//ハンギョレ新聞社

 長年の師匠、デビッド・プラス教授の病状が思わしくないという話を聞いた。今年で91歳。40年前に大学院の指導教授として初めてお会いした時、ショーン・コネリーに似ていて「クールすぎて」、彼を前にすると、ただでさえ英語の下手な私はなおさら舌がもつれた。食料品店で働きながら学んでいたので、汚れた頭、魚臭い手を洗うこともできず、朝の授業に飛び込んでこっくりこっくり居眠りしたこともあった。そんな私を見守っていた先生は、時折それとなく励ましても下さった。私はそれほど理解のある教授にはなれなかったような気がして恥ずかしい。

 日本文化を研究した人類学者として、米国社会の日本人に対する蔑視と偏見を正すために努力していた先生を、私は一時「親日派」と誤解してもいた。しかし、韓国の青年である私を、日本現地で米国の大学生たちを教育するセンターの所長として推薦して日本の大学教授たちを驚かせたのは、まさにプラス教授だ。私は当時まだ日本語はもちろん、英語もうまくなかった。それは、国際化を唱えていた日本社会に対して、まず韓国人に対する偏見を捨てることを促すという意味の込められた人事だった。

 映像人類学分野を開拓した先生は、日本の海女たちの自然にやさしい経済活動を扱ったドキュメンタリーを制作した。妻のヒル教授と共に、タイ山岳地域のラフ族が焼き畑の民から農耕民へと変化する過程を、30年にわたって映像で記録した。夫婦は退職金でラフ族の青少年のための奨学財団を作った。その奨学金で中学高校に通い、留学までして大学教授になった人もいる。生涯を質素に生きてきた先生に、その大きな体でエコノミー席に座って太平洋を行き来するのは大変ではないかと尋ねたことがある。先生はにやりと笑いながら答えた。「我慢するんだよ」

 そんな先生が、日本の北海道で発掘した強制動員犠牲者の遺骨を2015年の秋夕(旧暦8月15日)に故郷の地に帰還させる韓日の市民団体の「70年ぶりの帰郷」計画を聞き、それに参加すると言った。85歳の高齢の人類学者が、自費で撮影チームを結成した。費用節約のため、カメラマンと手伝いの孫だけが同行し、演出、編集、字幕作業はすべて一人でされた。

2015年9月19日にソウル広場で行われた強制動員犠牲者の葬儀で、追悼の言葉を述べるプラス教授=ソン・ギチャン//ハンギョレ新聞社

 北海道の強制労働の現場からソウルまでの3000キロを10日間にわたって移動する帰還の旅に参加したプラス教授は、ソウル市庁前広場で開かれた葬儀で追悼の言葉を述べた。「白い遺骨箱を抱いた東アジアの人々のこの姿を、米国人と全世界は見て学んでいただきたい。…地球上のあらゆる人が正しい行いをする日を想像してみましょう。失われた遺骨の入った箱を、すべての人間の人生を納めてゆく神聖な象徴へと変えるために、あらゆる人々が喜んで努力する日を。ついに私たち皆が抱き合うその日は、真の世界平和の始まる日となるでしょう」

 彼が制作したドキュメンタリー『長い眠り(So Long Asleep)』は「70年ぶりの帰郷」のことを、加害者の側と被害者の側が過去の歴史的犠牲を共に発掘することで和解と平和の未来を切り開いてゆく草の根運動の先駆的事例として紹介している。アジア学会での試写会でスタンディング・オベーションを受けたこの作品は、帝国主義の侵略の犠牲者たちを発掘し記憶する全世界の市民運動の立派な教材であると評価された。

 「あなたの人生にプラスとなれば」と日本式の発音で自らの名を紹介して笑いを誘った先生は、昨年、私が退任すると、仕事もないのに忙しい名誉教授部隊への入隊を歓迎すると言って祝ってくださった。主治医には「1日24時間にあと4時間処方してくれれば、あらゆる症状が良くなると思う」と冗談を言った。そんな先生の体調が思わしくないというので心配していたところ、ちょうどカナダで特別講義をすることになったので、そのついでに訪ねた。むくんだ足に補助装置をつけた師匠は、激しい喜びを「クールに」抑え、農民詩人ウェンデル・ベリーの詩が書かれた一枚の紙を私に差し出した。

 「世の中に対する絶望が私の中で育つ時/私の人生と子どもたちの人生が将来どうなるかという恐怖で/とても小さな音でも目が覚める夜は/私は鴨が水の上で美しさを誇りながら休み、大きなゴイサギたちが住む所で横になります/私は野生の平和の中へと入ってゆきます/彼らは悲しみをあらかじめ考えて自らの生を苦しくすることはありません」

 真夜中に目を覚ましてもだえるような歳になった教え子と、一日一日を苦しみに耐えているわが師は、以心伝心で痛みを分かち合った。師匠はそのように美しく人生を謳歌し、そして毅然として耐える方法をも教えてくださった。

 数日滞在し、好きな韓国料理を再び味わっていただいた。先生の顔に明るさが戻った。私は別れを告げて家を出た。先生は重い足を引きずりながらついて来られた。あのクールな先生がささやいた。「お前を帰すのがつらいよ」

//ハンギョレ新聞社

チョン・ビョンホ|漢陽大学文化人類学科名誉教授 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/1022495.html韓国語原文入力:2021-12-08 17:00
訳D.K

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