抑制と均衡は、三権分立の原理であると同時に、社会経済の健康性を保証する基本原理だ。抑制と均衡の装置がなければ、公権力と資本、土建勢力が談合して権限と資源を独占し、費用を社会に転嫁することを防げない。抑制と均衡の原理は、どのように制度化するのだろうか。資本主義の多様性はこの観点から眺めることができる。
一つ目に、強い労働の力が成長することで資本の支配的特権を手なずけ、抑制と均衡を取ることができる。ドイツやスウェーデンに代表される欧州の道だ。しかし、世界の多くの地では労働の力は極めて弱い。二つ目に、強い反独占を通じて開かれた市場経済を作る道がある。経済権力自体を分散させ機会を平等にし、敗者復活を容易にする。この分散資本主義は米国の道だ。三つ目に、強い国家の力、その規律力と調整力で資本の道を誘導し、特権を牽制する道がある。東アジアが典型的だ。このタイプにも、国家が資本を育成しても統制の手綱を握り続けるケース(中国)と、手綱を放してしまい大資本の言いなりになるケース(韓国)がある。
韓国の資本主義はどのように抑制と均衡の原理を制度化しているのか。強い労働か、それとも経済権力の分散か。さもなければ、強力な国家か。すでに、労働、土地・住宅、貨幣・金融が過激に商品化されており、社会経済の不平等と不公正が深刻になっている状況において、どのような力があり、巨大財閥と資産富裕層の放縦な自由に対して保護的な対抗力を構成し、抑制と均衡を取るようにするのか。これが、現在のろうそく革命後の韓国資本主義の大きくあいた穴に深刻な不安を感じ、私が提起する根本的な質問だ。
比較の見地から、資本主義に進む隣国の中国の道について、さらに話をしてみたい。よく、中国モデルを東アジアの開発国家の変種と見なすことがある。確かに一理あるが、半分は正しくない考え方だ。後発の追撃国家として対外開放が与える利益をどんな経験よりも幅広く活用したこと、国家主導の市場管理、すなわち企業投資の誘導と金融統制および条件付き支援を通じて官民協力体制を構築したこと、そして、労働者階級の政治的な跳躍が封じこまれたこと、それにともなう階級構造上の基本的な不均衡が起業するの適した肥沃な土壌を提供したことなどは類似している。しかし、中国では共産党と一体となった専制的国家が強大な権限を持ち、資本主義の動きを主導している。国有の割合が30%もある。それとともに、地方政府の自主性が非常に高く、地域間競争が激しいこと、下からの創業と革新活動が活発なこと、そして、外国人直接投資の比率が非常に高いことなども、中国の重要な特徴だ。
新中国モデルの基本的な枠組みは、1978年の改革開放路線の決定、そして、1992年のトウ小平の南巡講話を転換点に、約20年に渡る体制転換を経て作られた。この劇的な大転換の起源に、現在新たな分岐点に立つ中国の国家資本主義の光と影が、ほとんどすべて含まれている。体制転換の20年は、1980年代の敗者のいない改革と、1990年代の敗者を生む改革の二段階に区分される。
第1段階で中国は、ロシア的なショック療法とは異なり、漸進主義の実験の道を選択したが、これは中国が体制転換に成功した決定的な一歩だったことが判明した。中国の代表的な制度経済学者の呉敬レン教授は、漸進主義というより「有機的発展」戦略と把握する方が適切だという。この戦略で最も重要な課題は、民間部門が下から成長するための有利な条件を新たに作ることだ。私有化を促進することが最優先の課題では決してないという話だ。第1段階では全員が勝者だった。
1990年代の中国は、ついに敗者を生む第2段階、さらに正確に言うと、中国独自の資本主義的改革段階に進入した。会社法が導入された。国有企業が法人会社に転換され、構造調整が行われ、効率性が強制されるハードな予算制約に直面する。1993年以後、10年間で2800万人規模の労働者が整理解雇された。解雇された労働者は、3年間は生活資金を支援されたが、企業の株式を持つことはできなかった。住宅や医療などそれまでの単位体制から与えられた社会保障も喪失した。新しい都市労働市場に裸で投げだされたもっと巨大な労働者大衆の中には、市民権を剥奪された農民工がいた。彼らは低賃金で圧縮成長の奇跡の費用競争力を下支えしたが、戸籍の有無で差別化された都農二重構造のもとで、社会保障から排除された。
カール・ポランニーが指摘したように、土地と住宅の商品化は、労働力の商品化とともに共同体から資本主義に進む巨大な転換における重要な二大局面だ。土地が国有化された国であるにも関わらず住宅価格が上昇し、ローンの返済に悩まされ、住宅の奴隷になった「房奴」が現れるとはどういうことなのか、そして、超大型不動産開発業者の恒大集団が破産の危機に陥ったというのは、またどういうことなのか。問題の根源は「出譲制」という土地使用権の譲渡方式にあった(チョ・ソンチャン)。財政拡充の手段として、地方政府は土地の出譲金(使用料)を一回払いで受けとり、低価格で収用した土地を開発業者に譲渡した。これにより、使用期間に急騰した土地の価値、すなわち地価は開発業者が私有化した。さらに、土地出譲制が住宅の商品化と結びつき、住宅価格の上昇した地価は住宅所有者に帰属するという枠組みが作られた。
文化革命を経た国で、労働者は何の資産的持分も共同決定権も持てないまま市場に放り出されただけでなく、土地と住宅の商品化によって地価も私有化されるとは、実に当惑する逆説だ。外資を誘致し世界市場で比較優位を確保する戦略のためだったというのが有力な説明だが、それだけだろうか。
中国は、低賃金・低福祉の基本方針のもとで、投資・輸出・不動産開発が主導する高強度成長優先主義の道を歩んだ。中国式の強い国家・企業・金融統制の三角協力体制は、圧縮成長の奇跡と同じくらい圧縮不平等を生み、過剰投資と過少消費の間の深刻な不均衡現象をもたらした。党・国家の独裁体制は、成長・成功を主導しただけでなく、それに伴う構造的な矛盾を封鎖・抑圧する役割も果たした。
習近平政権は、長期間の不均衡発展の軌跡から抜け出そうとする新しい変化を示している。国内市場の拡大に重点を置き、国内と国際が相互に促進する新発展構図を提示した。また、共同富裕を前面に出し、深刻な不平等を縮小し、社会福祉を強化すること、巨大IT企業による独占および無分別な不動産開発を規制することも推進している。この変化が何を示すのか、中国の二重運動の様相がどうなるのかは、さらに見守らなければならない。しかし、習近平政権は、現在の時代精神が何であるのか、国家がすべきことが何であるのかを知っているようだ。
中国と米国の二強大国が、不平等と不公正の改革競争に乗りだした状態だ。一方で韓国政府は、ろうそく抗争が与えた機会を忘れ、国政壟断の主犯である財閥オーナーを国益の名のもとで釈放し、富裕者減税を断行するなど、後退しているのが残念でならない。韓国もまた転換のわなに陥った。大壮洞(テジャンドン)開発特恵疑惑と告発教唆疑惑事件が、新たなモメンタム(動力)になるのだろうか。
イ・ビョンチョン|江原大学名誉教授・知識人宣言ネットワーク共同代表 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )