軍人や軍属などが罪を犯せば1、2審は無条件に軍事裁判にかけられ、最後に最高裁へ行く。他国の軍人も当然軍事裁判にかけられると考えがちだが、平時に軍事裁判所を開設している国は思ったより多くない。フランスなどの多くの欧州諸国は軍事裁判所がない。軍事的緊張の高い台湾、トルコも数年前、軍事裁判所を廃止した。
米国は、世界の紛争地域のいたるところに米軍を送っている。その地域の米軍人が罪を犯した時、本国に連れてきて一般の法廷に立たせるのは面倒だ。米国は紛争現地で迅速に裁判を行うために軍事裁判制度を維持している。
韓国軍は、平時には国内の駐屯地で生活する。韓国軍は、米軍と環境は大きく異なるにもかかわらず軍事裁判制度を運用する。韓国軍の司法制度は、解放後の米軍政時代から米軍の影響を多く受けているのだ。軍司法制度という言葉からして、そもそもは米国の「統一軍事法典(Uniform Code of Military Justice)」で言うところの「Military Justice」を翻訳したものだという。1948年8月4日に公布された国防警備法は、形式と内容において当時の米陸軍刑法などの米軍の司法制度を受け継いだものだ。この法には軍事裁判を担う軍法会議が登場する。
国防警備法上の軍法会議は裁判を1回だけ行う単審制だった。単審制の運用は3審制を保障する憲法と衝突するため、違憲との批判が起きた。1962年に3審制などを規定した軍法会議法が作られた。1970年代の民主化運動、10・26事件、1980年の金大中内乱陰謀事件などの大きな時局事件は軍法会議で扱われた。当時の記憶があまりにも強烈なため、軍法会議がまだあると思っている人もかなりいる。
1987年の6月抗争後の第9次憲法改正に合わせて、同年12月に軍法会議法は軍事裁判所法に変わった。文民政権発足後の1994年、民主化の熱望が高まったことから、軍事裁判所法も大幅に改正された。それまでは裁判官ではなく一般将校の指揮官(管轄官)が交付していた拘束令状は、軍判事が発行することになった。1審の軍事裁判所の法廷は、軍判事1人と一般将校(審判官)2~4人で構成されていたものが、軍判事2人と一般将校1人に変わった。これをめぐり当時の軍内部では、軍の現実を反映できていないという不満の声があがった。
今年、空軍と海軍で性暴力の被害を受けた副士官が自殺して以降、軍司法制度を改革すべきだという声が高まっている。市民社会団体と官民軍合同委員会は「平時の軍事裁判所の廃止」を要求・勧告している。今月24日、国会法制司法委員会は、2審を文民裁判所に移管するとともに、性犯罪などは1審から文民捜査機関が捜査し、文民裁判所が裁判を行うことを骨子とする軍事裁判所法改正案を議決した。一部の事件を文民裁判所に送ったものの、1審の軍事裁判所は生き残った。
この70年あまりの軍司法制度の歴史を振り返って見ると、軍の特殊性が強調されていたものが、一般の刑事裁判に似たようなものへと、ゆっくりと変わってきたことが分かる。しかし、この変化は軍内部の自発的な努力ではなく、韓国社会の民主化の熱気、無念の死を迎えた被害者に軍が背中を押された結果だった。米国を独立に導いたトーマス・ジェファーソンは「民主主義という木は血を吸って育つ」と述べた。軍司法制度も血を吸って育ってきたのだ。