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[コラム]憎悪で稼ぐ人々―ー政治と主流メディアの共生メカニズム

登録:2021-07-14 01:41 修正:2021-07-14 09:11
イ・ジンスン|財団法人ワグル理事長  

憎悪で権力を維持しようとする者たち、彼らは憎悪量産の主犯だ。インターネットに流れるフェイクニュースを引用して国政について質疑を行う政治家たち、その発言をろ過することなく報道する制度メディア。ファクトは重要ではない。裏で無許可で製造された憎悪を帯びたフェイクニュースは、制度圏の政治と主流メディアの共生メカニズムの中で、公的認証マークをつけた情報へと化ける。

 憎悪は強い。人を憐れみ、許し、包みこむ心は満ち潮のように徐々に押し寄せてくるが、誰かを憎悪し、疑い、排斥する感情は矢のように飛んでくる。憎悪は一方通行だ。聞く耳を持たず、見る目もない。憎悪は論理と実証を拒否し、不信を煽り、陰謀論で覆い隠す。憎悪はまた別の憎悪を生む。憎悪する者たちの主張への対抗は、別の憎悪の宿主となるにはうってつけだ。ゾンビと戦って噛まれたらゾンビになるように、憎悪に感染すれば自ら憎悪の加害者となりうる。激しい憎悪に立ち向かって「私には夢がある」という美しい平和の言葉で対抗したマーティン・ルーサー・キングは、だから偉大なのだ。

 大韓民国全体が「憎悪ウイルス」で苦しんでいる。根本的な原因は社会的に積もり積もった不安と絶望だろう。受け継ぐ資産がなければいくら「努力」しても人生はこれ以上よくならないだろうという絶望と怒り、一歩踏みはずせば自分の地位が奪われ、あるいは墜落するかも知れないという切迫さと不安が、圧力鍋の中の熱い水蒸気のように至る所に満ちている。憎悪は抑えつけられた不安を爆発させる起爆剤かつ排泄口となる。移住外国人、障害者、性的少数者などの社会的弱者を異端視することで心理的優越感を得る。一部の女性は男性を、男性は女性を憎悪の対象として八つ当たりするようになる。憎悪は社会構造的な問題を社会的弱者同士の対立に置き換える。誰もが加害者で、誰もが被害者である世の中は地獄だ。

 このような反倫理的憎悪が加速するのは、憎悪で稼ぐ人々がいるからだ。ソーシャルメディア環境において憎悪は中毒性が強く、伝播力が高いコンテンツだ。カン・ヨンソクが進行役を務めるユーチューブチャンネル「カロセロ(縦横)研究所」は、ユーチューブの投げ銭機能であるスーパーチャットで2019年に世界2位にランクインして3億6000万ウォン(約3460万円)を稼ぎ出し、2020年にはその2倍を超える7億6500万ウォン(約7360万円)を稼いだ。検証を受けていない暴言やフェイクニュース、無分別な差別と憎悪は、その強度がひどくなるほど収益がふくらむ。2019年に発表されたソウル大学のキム・ジス氏の論文「インターネット個人放送において憎悪発言はいかにしてビジネスとなるのか」によると、女性憎悪発言が登場すれば収益金は107%増加し、その発言の攻撃性が強いほど収益率も高くなる。憎悪中毒となった人たちはさらに強い憎悪を求めるようになり、心理的排泄のためにさらに多くの金を支払う。

 しかし、なぜ憎悪産業は制止されずに日ましに繁盛していくのか。憎悪で稼ぐ人々と利害関係を共有する者がいるからだ。憎悪で権力を維持しようとする者たち、彼らは憎悪量産の主犯だ。インターネットに流れるフェイクニュースを引用して国政について質疑を行う政治家たち、その発言をろ過することなく報道する制度メディア。ファクトは重要ではない。間違っていても構うもんか、というわけだ。裏で無許可で製造された憎悪を帯びたフェイクニュースは、制度圏の政治と主流メディアの共生メカニズムの中で、公的認証マークをつけた情報へと化ける。

 政治家が憎悪を愛用するのは、強力なファンダムと忠誠度を持った「味方」を作るのに有利だからだ。残念ながら、このつまらぬ争いは進歩と保守の区分も明確ではない。二大政党の強硬支持層が掲げるレトリックは驚くほど類似している。孤独な預言者のように悲壮で厳粛だ。彼らにとって政治とはゼロサムゲームだ。味方の過ちを認めることは、相手の勝利を助ける利敵行為となるため、絶対に妥協したり謝罪したりはしない。味方は常に正しく、相手は常に正義に反している。味方はいつも目覚めており、相手はいつも無知蒙昧だ。極限的な善悪構図において共和主義的平等と公共善は姿をくらます。

 二大政党の大統領選候補を選出する重大な時期にあって、韓国社会のメディアアジェンダはせいぜい「ズボン論争」、「盗作論争」にとどまっている。チョ・グクの子どもの入試不正疑惑に苦しんできた与党は、ユン・ソクヨルの妻の論文盗作疑惑の提起に余念がなく、野党の新代表は女性憎悪とジェンダー対立を煽る「女性家族部廃止論」で旧時代的回帰を先導する。足元に火がついている気候危機、不動産対策、不平等解消という難題を前にして、候補間、政党間の意味ある争点を見出すのは難しい。それぞれ「公正」を口にしてはいるが、憎悪と差別の暴走機関車を制御する最小限の防御装置である差別禁止法の制定を前面に掲げる候補は見当たらない。哲学のない政争と意味のない攻防の中で、ライバル候補に対する憎悪攻勢だけが熾烈となっている。「彼らが下劣なやり方を取っても、われわれは品位ある態度で行く」ということを、言葉ではなく身をもって示す政治家こそ、五十歩百歩の候補争いにあって光を放つだろう。有権者たちはまだそのようなリーダーを待っている。

//ハンギョレ新聞社

イ・ジンスン|財団法人ワグル理事長 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/1003308.html韓国語原文入力:2021-07-13 13:55
訳D.K

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