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[寄稿]人種とは何か

登録:2021-06-03 03:32 修正:2021-06-03 10:48
キム・ミンヒョン|ウォーリック大学数学科教授
3月20日、米アトランタの州議会議事堂前に集まった市民たちが、アジア系に対するヘイトクライムをやめるよう抗議デモを行っている。人種差別と対立は先進国であればあるほど深刻な社会問題になっている=アトランタ/EPA・聯合ニュース

 「世界人口に占める純白人の割合は非常に小さい。…欧州でもスペイン人、イタリア人、フランス人、ロシア人、そしてスウェーデン人は一般に黒っぽい色をしている。ドイツ人も大体黒っぽいが、その中でザクセン族だけが英国人とともに地球上で白人の主流をなしている」。米国の思想家ベンジャミン・フランクリンが1751年に書いたエッセイ『人類の増加、国家、移民などに関する考察』の一節である。

 2007年に英国に移住して以来、私の人種についての意識は、米国に住んでいた頃とはかなり変わり始めた。当時、まだ幼かった子どもたちとロンドン市内の公園で遊んでいた時、周囲の人々を観察すると、米国では当たり前だった黒人、白人、黄色人種のような分類法には当てはまらない人が多かったからだ。身体的特徴の連続的な分布が身をもって感じられたのだ。肌の色なら、白人や黒人と言えるだけの両極の間に、とても多様な色を見ることができた。私の推定では、ユーラシア大陸とアフリカ大陸の人口がかなり均等に混ざりあっていたからだと思う。ロンドンには白人、黒人、東洋人も多いが、中東人、南アジア人、欧州でも中部、地中海、バルカン半島、そして旧ソ連領域の各地の人々が集まって暮らしている。

 20世紀以降、科学者たちは生物の分類について2つの相互補完的な視点からアプローチするようになった。遺伝的要素を考慮した「遺伝子型」による分類と、生物体の発生と成長過程で現れる外部的特徴を用いた「表現型」的分類がそれだ。もちろん、私たちが日常的に認識する現象は生物の表現型だ。生物学的分類によれば人間はみな同種であるが、どのような視点からであれ、その中の「人種」という区分がどの程度の意味を持つのかが問われる。

 英語の「race(人種)」という単語は16世紀頃から多少不明瞭に使われてきたが、17~19世紀に大英帝国が拡大したことで、一種の生物学的概念として徐々に定着していったという。その頃、米州の先住民やアフリカ人と欧州人との違いを科学的な分類として考える慣習が生じた。当然の話だが、このような概念は政治的版図と社会的偏見の影響の中で形成されたため、時代的雰囲気によって特定の母集団が白人に分類されたり、されなかったりしたケースがいくつかある。フランクリンも「欧州人」の中でもドイツ人のように劣っていると感じられる人々を白人の序列から外したかったのだ。

 人種なるものが実際に存在するのかと問う時に一つ気をつけるべきなのは、この問いの正確な解釈だ。表現型であれ遺伝子型であれ、様々なかたちがあるということ自体を人種の違いと誤解することがしばしばある。たとえば、韓国人とイギリス人はかなり違うという常識的な観察を、人種の分類として考えているのである。しかし、厳密に突き詰めた人種は、統計的な「群集」を通じてのみ理解しうる数学的概念だ。言い換えれば、多様な人類の集合をすべて集めた時、あらゆる部分集合の間に「自然な境界線」が存在するかがカギとなる。ソウルを江北(カンブク)と江南(カンナム)に分けて考えるのは自然の境界を根拠とした区分だが、ソウルと京畿道は異なる地域でありつつも、両者の境界は歴史と便宜と任意性の複合的な効果として形成されたはずだ。江北と江南の区分も、江原道を含めた国全体の視点からは、もちろんその意味がなくなる。人種という概念を正確に論じるためには、人間の形態に関する測定可能なデータを集め、いくつの群集があるのかを調べなければならない。

 ヒトのDNAの構成要素を完全に並べる「ヒトゲノム計画」は1990年に開始され、2003年に終結した。その後は、「遺伝子型」の観点から様々な人間たちのデータにもとづく比較が可能となった。人口遺伝学にもとづいて突き詰めた人種という存在の有無は熱い討論へとつながり、現段階では人種なるものはないという方向で科学界の意見がまとまりつつある。すなわち、様々な遺伝因子や測定可能な外部的特徴の分布は、群集の形成を不可能にする大きな「人類の塊」を形成するという意見が主流なのだ。もちろん人種の意義を強く主張する学者もまだいる。しかし、彼らもやはり欧州のみを含む枠組みを作るのは不可能であることを認めているため、「統計的白人」という分類の中に北アフリカ人、中東人、北インド人などを含める。

 移民に関する問題が頻繁に論じられる世の中で、「人種」という概念は依然として社会的対立の重要な要素として作用している。例えば、イスラエルとパレスチナとの紛争の複雑な背景にも、一方は一種の欧州人としてのアイデンティティが強いという事実が重く作用する。文明と歴史の流れの中で、地中海周辺の文化圏を欧州とアジアとアフリカに分けることはもちろん不可能だ。人種の区別はそれよりも曖昧だということを広く知らしめる必要がある。

//ハンギョレ新聞社

キム・ミンヒョン|ウォーリック大学数学科教授 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/997726.html韓国語原文入力:2021-06-02 15:58
訳D.K

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