本文に移動

[社説]“防疫”と”集会の自由”、バランスの取れた合理的な代案を

登録:2020-10-10 06:49 修正:2020-10-10 09:42
「ハングルの日」の今月9日、ソウル光化門道路で突発的な集会・デモなどを遮断するための警察バスが並んでいる/聯合ニュース

 開天節(3日)に続いてハングルの日(9日)にも、ソウル光化門(クァンファムン)周辺を中心に、車両デモや記者会見が相次ぎ、違法集会を食い止めるための警察の車壁や検問も再現された。この過程で、開天節集会の時とは異なり、集会参加者たちが暴力的な姿を見せず、警察の対応も緩和されたのは幸いだ。しかし、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の防疫と集会の自由、国民の安全と基本権が対立する様相が再び現れたのは残念なことだ。2つの価値が平行線を辿らないよう、社会的に合意できる解決策を講じなければならない。

 過去の権威主義政権のシンボルである警察の車の壁(バスなどによるバリケード)が文在寅(ムン・ジェイン)政権で再び登場するのを見る心境には複雑なものがある。もちろん、最も大きな責任は集会主体側にある。光復節集会を強行した極右団体の無謀さが、COVID-19の第2次拡散の口火になったことは否定できない事実だ。その影響で零細自営業者や臨時・日雇い労働者など脆弱階層の生計は再び崖っぷちに立たされた。反省しても足りない状況で、違法集会を繰り返す勢力やこれをかばう保守野党とメディアの行動は、民主主義に対する侮辱と変わらない。世論調査で警察の車の壁に対する賛成が反対より多く出るのはそのためだろう。

 コロナ禍での大規模集会は単に不便さの問題ではなく、国民の生命と安全がかかった重大なことだ。これを管理することも、これまで経験したことのないチャレンジと言える。光復節集会の衝撃が繰り返されることだけは防がなければならないという政府の悩みも十分理解できる。しかし、容易い選択は“過剰”を招くものだ。車の壁のような封鎖中心の対応が2011年に憲法裁判所が指摘した「最後の手段」の条件をどれだけ満たしているのかも、詳しく検討すべき問題だ。

 コロナ禍を短期間で克服できないなら、民主主義の規範と調和できる新しい集会の対応策を講じなければならない。今のやり方が繰り返されると、警察の恣意的な公権力行使が慣行化する恐れもある。正義党や参与連帯、民弁などの進歩側でこれを警戒する声が上がっているのも、そのためだ。創意的で柔軟な「K-防疫」で国際社会の称賛を受けた韓国社会が、代案を探せない理由はない。防疫と集会の自由を対立するものと考えない態度が、その出発点になるだろう。警察と防疫当局、専門家と市民社会が、防疫と基本権のバランスを取ると共に、集会現場の状況にも適した創意的な解決策を作り出すことを望む。

(お問い合わせ japan@hani.co.kr)
https://www.hani.co.kr/arti/opinion/editorial/965184.html韓国語原文入力:2020-10-10 02:33
訳H.J

関連記事