本文に移動

[寄稿]「80年代のIU」イ・ギョンミが俗世を去ったわけ

登録:2020-07-18 03:18 修正:2020-07-18 08:41
歌手イ・ギョンミと映画『スキャンダル』 
宮井洞とフォックスニュース、権力型性犯罪の絶え間ない歴史
歌手イ・ギョンミ//ハンギョレ新聞社

 イ・ギョンミという名を聞いたことがあるだろうか? 1980年代に今のIU(アイユー)のようなイメージで広く愛された歌手だ。その頃小学生だった筆者は、後になって彼女を知ったのだが、映像を探してみて「80年代のIU」というニックネームに合点がいった。資料はあまり多くないが、「まさか」というダンスナンバーは舞台の動画をたやすく見つけることができる。体系的なボーカルトレーニングや芸能プロダクションの練習生プログラムがなかった当時の状況を考えれば、しっかりとした声色と幅広い表現力は感嘆に値する。

 彼女は80年代最高の人気飲料「オランC」と化粧品「ピアリス」の広告モデルに抜擢され、デビューアルバムは1984年の「韓国放送(KBS)歌謡大賞」女性新人歌手賞にノミネートされた。イ・ソンヒと競って賞を逃したものの、当時のイ・ギョンミの人気と実力をうかがい知ることができる。このくらいになれば、人気歌手として頂点に駆け上がるストーリーが続くのが正常だが、彼女は突然行方をくらました。行方不明のニュースまで流れた末、彼女が発見されたのは安国洞(アングクドン)のある庵室だった。その後も芸能界で活動しては寺に避難することを何度も繰り返した。後日、バラエティ番組に出演してあの時代を回想していたが、内容は衝撃的だった。軍部政権に呼ばれて弄ばれ、耐えきれずに逃げだしたというのだ。

 ただ、イ・ギョンミだけでなく、それ以前から宮井洞(クンジョンドン)の安家(アンガ。情報機関などが秘密維持のために利用する一般家屋)は、軍部政権が女性を呼んで酌をさせ、性接待を強要した場所として有名だった。元記者で放送通信委員会副委員長を務めたキム・チュンシクの著書『南山の部長たち』によると、宮井洞の安家に連れてこられた女性は100人以上にのぼり、妊娠中絶までした人もいるという。民主化の日差しがなかった昔の大韓民国だっかから可能な話だろうか? とんでもない。

 最近公開された映画『スキャンダル(Bombshell)』は、わずか数年前に米国で、それも放送局の真っただ中で白昼にこのような性暴力が行われたことを示している。この映画は、2016年にフォックスニュース会長のロジャー・エイルズを相手取って女性アンカーがセクハラ訴訟を起こし、他の女性報道関係者も相次いで被害を証言し、遂にはロジャー会長を辞任に追い込んだ事件を扱う。フォックスニュースは単なる多くのニュースチャンネルの一つではない。世紀の言論財閥ルパート・マードックのメディア帝国の中でも、最も重要な城であり、米国で圧倒的な視聴率1位を誇る「恐竜メディア」だ。会長の権力はどれほど強大だったろうか。彼は封建領主のような権力を用い、長年にわたって女性職員を性の対象にして苦しめてきた。

歌手イ・ギョンミ//ハンギョレ新聞社

 女性たちが連帯を通じて遂にはロジャー・エイルズを追い出したということで、ハッピーエンドのように見えはするものの、映画も実際の歴史も苦々しい。まさにその頃にアメリカ合衆国大統領に当選したのは誰か。極度に歪んだ女性観を持っており、不倫は基本であり、性的暴行の加害者として数回名指しされているドナルド・トランプだ。トランプ大統領に性的暴行の被害に遭ったと公式に名乗り出た女性だけでも16人だと言うのだから、あとは推して知るべし。部屋から暴れ回るオオカミをようやく追い出したかと思いきや、門から虎が入って来たようなものだ。世の中はこのように非情だ。

 トランプ大統領就任後、米国で始まった「#me too(私も暴露する)」運動は韓国にも伝わった。それまで息を殺して泣いていた女性たちが勇気を出して声を出し、以前なら黙認されていたはずの権力者たちの偽善が明るみに出つつある。その昔、軍部政権の宮井洞の安家でもそうだったし、フォックスニュースの会長室でもそうだったし、つい最近まで韓国の市長や道知事の執務室でもそうだった。程度が違うだけで、本質は同じだ。権力者の男性が抵抗しにくい位置にいる女性を性的に苦しめた。その時も犯罪であり、今も犯罪だ。米国でも犯罪であり、韓国でも犯罪だ。まだまだ先は長そうだ。ロジャー・エイルズ会長がフォックスニュースを成長させた自分の功労をとうとうと語り事態を取り繕おうとしたように、韓国社会でも加害者の社会的地位や功績を語り犯罪の重さを軽くしようとする人が本当に多い。それでこのコラムを書いている。

 イ・ギョンミも権力者のセクハラに苦しみ、遂には30にもならない歳で俗世を去った。法も銃刀で踏みにじられたあの時代には、今のように連帯し、力になってくれる人さえいなかったのだから、頼れるところは宗教しかなかっただろう。普賢(ポヒョン)という法名で仏門に帰依した後も、彼女は歌う僧侶として活動を続けた。俗世の人生は諦めても、音楽に対する情熱は捨てられなかったのだ。それほど歌うことを望んでいた彼女が、女性性を去勢してまでも権力者の性暴力から逃れたくて、みどりの黒髪を切って法衣を着なければならなかった瞬間が目に浮かぶ。どれほど切羽詰まっていたことだろう。どんなに恐ろしく、悔しかったか。自分の頭の皮が寒々としてくる。

 彼女の曲『独りで暮らす女』の歌詞を引用し、この文を終わろうと思う。

 「私、こうして一人で生きてきたんだ。雨風に吹かれながら、ぶつかりながら、何も言わぬ川のように生きてきた。人は言う。時には誰でも寂しさを感じ、愛も必要だと。でも寂しさが深い病のように胸を濡らすこんな人生には、愛なんて他人事」。

 寂しい歌を俗世に残し、仏門では幸せな人生を送っているというのがせめてもの救いだ。

//ハンギョレ新聞社

イ・ジェイク|SBSラジオPD、「時事特攻隊」司会者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )

https://www.hani.co.kr/arti/culture/culture_general/954127.html韓国語原文入力:2020-07-17 17:46
訳D.K

関連記事