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[寄稿]錦絵(にしきえ)が映し出す近代日本のアジア観

登録:2019-12-19 22:44 修正:2019-12-19 22:46

 「錦絵」をご存知だろうか? 錦絵は日本近世絵画を代表する浮世絵の一ジャンルだが、明治維新を前後して社会が大きく揺れ動き、清日、露日戦争などが続く中で、「報道性」のある安価で大衆的なメディアとして広く日本国民に普及したものだ。美術史的に興味深いとともに、歴史資料としても極めて貴重な資料と言える。私が館長を務める東京経済大学図書館に所蔵されている「桜井義之(さくらいよしゆき)文庫」に、錦絵およそ130点が含まれている。桜井氏は日帝時代、京城帝大の助手となり、のちに朝鮮総督府官房文書課で書誌作成や資料収集にあたった人物である。日本敗戦(朝鮮解放)とともに日本に帰国し、文献資料の収集を再開・継続した。「桜井文庫」はこの桜井氏の旧蔵書である。その錦絵コレクションは「世界的」とも称しうる貴重なものだ。朝鮮に関連するテーマは、「神功皇后・文禄・慶長の役」「征韓論争」「江華島事件」「壬午軍乱」「甲申政変」「金玉均暗殺」「甲午内政改革運動」「朝鮮王城」「日清戦争」(いずれも日本語表記のママ)の10項目である。

 東京経済大学では、日頃はあまり人目に触れないまま図書館の奥に眠っているこのコレクションを今回、部分的に公開展示し(11月16日〜12月7日)、関連学術シンポジウム(11月30日)を行った。錦絵は扱いの難しい資料である。それは見た目も美しく、日本の近代における美術文化の発展、ひいては現在のアニメ文化にまで至る脈絡を考察する上で欠かせない。また、錦絵の作家(絵師)の中には月岡芳年(つきおかよしとし)など、注目さるべき人物が含まれている。それと同時に、桜井文庫の錦絵はほとんどが『戦争画』であり、日本が近代において侵略・支配した近隣諸民族に対する敵対的かつ蔑視的な表象である。

 桜井義之氏は「朝鮮を主題とした錦絵が当時の日本の国民にどう反映したか、錦絵を通じて隣国朝鮮をいかにながめ、どのように意識したか」と問題意識を述べ、錦絵が明治期における対韓意識の考察に当たって、最も典型的な資料であると指摘している(「明治時代の錦絵にみる朝鮮問題」『作新学院女子短期大学紀要』4、1977年)。また滋賀県立大学名誉教授の歴史学者、姜徳相(カン・ドクサン)氏は、「日本の歴史は幕末・明治の天皇制国家の都合に合わせて作り変えられた」と問題提起し、「もう一つの歴史書き換え工房の産物」である錦絵はこの疑問への解答である、「朝鮮・中国侵略の実態は隠されてしまった」と指摘している(同編著『錦絵の中の朝鮮と中国-幕末・明治の日本人のまなざし』岩波書店、2007年)。錦絵は歴史的事実がどうであったかを示す資料というより、人々が(この場合当時の日本人大衆が)そこで描かれた「印象(イメージ)」をどのように内面化したか、それが後々の歴史にまでどのような影響を与えたか、といった問題を考察するための資料なのである。

 前記したシンポジウムで、東アジア古代史研究の権威、李成市早稲田大学教授は「錦絵に描かれた『三韓征伐』」という報告を行った。李教授はその報告で、日本古代神話にいう「神功皇后の三韓征伐」(神功皇后が朝鮮半島に遠征し、新羅、百済、高句麗を服属させたという神話)はまったくの虚構であるということを確認した上で、その虚構は近代日本において肥大して定着し、日本国民に内面化されたことを論じた。李教授によると、この神話が学問的に否定されたのはなんと日本敗戦14年後の1959年に発表された直木孝次郎氏の論文によってであり、それ以前の日本人は多くの知識人も含めて、この神話を事実そのものとしていたのである。このことは例えば、聖書の記述を事実そのものと強弁してパレスチナ人の支配を続けるイスラエル国家を想起させる。

大日本史略図会 第十五代 神功皇后=東京経済大学図書館提供//ハンギョレ新聞社 2.

 13世紀末の元(モンゴル)来襲以後、神功皇后神話は一段とバージョンアップした。神功皇后は三韓征伐の結果、異国(朝鮮半島)の王たちに日本国の「犬」となって日本を守護することを約束させ、弓で「新羅国の大王は日本の犬なり」と書き付けて帰国した、というのである。その想像上の場面を描いたのが【図1「大日本史略図」】である。神功皇后伝説は現在も神社神道と結びついて日本国民の中に深く根付いている。妊娠した身で三韓を征伐したとされる神功皇后は、今も一部の日本国民にとって安産の守り神として信仰されている。

 別の報告者・向後恵里子(こうごえりこ)氏は「日清戦争錦絵にみる身体の表象」と題する報告で、錦絵に現れる身体表象が、「日本人」については規律、文明、強さを表わし、朝鮮人・中国人については無規律、野蛮、軟弱などを表していると分析した。【図2】は電気という当時最新の兵器を駆使して攻撃する日本軍の姿を、遠近法を用いた斬新で「近代的」な構図で描いたものである。他の報告者(橋谷弘東京経済大学名誉教授、朴喜用ソウル私立大学教授、青木然(あおきぜん)たばこと塩の博物館学芸員)もそれぞれに意義深い報告を行ったが、残念ながらここに詳述する紙面はない。

平壌攻撃 電気 使用之図=東京経済大学図書館提供//ハンギョレ新聞社

 世界的に見ても、いわゆる「文明」の発展は他者に対する侵略・支配の過程と深く結びついている。帝国主義国家が他者に「野蛮」「未開」「後進」といった表象を貼り付けることによって自らを「文明」「開化」「先進」の位置に置き、侵略や支配を正当化しようとする際、美術、写真、映画など視覚メディアが果たした役割は大きい。こうした「イメージ」は大衆の無意識に浸透し、他者への優越感を醸成して、何世代もの長期にわたって影響を与え続ける。留意すべきことは、このようなイデオロギーがただ権力によって上から庶民に強制されただけではなく、庶民の側も歓喜してこれを受けいれたという事実である。当時、錦絵は大きな人気を博し、飛ぶように売れた。今回の展示とシンポジウムでは、近代日本において、視覚イメージとして大衆に浸透し内面化されてきた「他者像」を発見することを目指した。それは、そのような「鏡」に映して日本国民が近代の歪んだ「自己像」を発見し、その克服の方向を探る上で重要だと考えるからである。見事な芸術性と他者への蔑視の同居。このことは、あえて言えば「近代」そのものの両義性という難問を私たちに投げかけており、日本とアジア諸民族にとっての「近代」の意味をいま一度深く考えさせるものと言える。

 このコラムを書く直前、ソウルでのシンポジウム「韓日ニューライトの「歴史否定」を検証する」に報告者の一人として参加した。日本でいま大きなブームとなっている李栄薫著『反日種族主義』を批判的に検討するものである。その内容については別の機会に譲るが、現在の「ヘイト・スピーチ」(他者憎悪)などについて考えるためにも、上記した「近代」についてのより深い考察が必要だという私の思いだけを言い添えておく。

*なお、錦絵の画像は下記の東京経済大学図書館サイトの「貴重書アーカイブ」で閲覧することができる。

//ハンギョレ新聞社

徐京植(ソ・ギョンシク) 東京経済大学教授(お問い合わせ japan@hani.co.kr )

韓国語原文入力:2019-12-19 18:34
https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/921504.html

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