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[寄稿]大邱の人・全泰壱、キリスト教青年・全泰壱

登録:2019-11-13 04:05 修正:2019-11-13 08:06
//ハンギョレ新聞社

 11月13日は全泰壱(チョン・テイル)がソウルの平和市場で自分の体に石油をかけて火をつけ、世の光となった日だ。それ以来この光は消えたことがない。しかし、その永遠の光の意味が何なのかはまだ十分知られていない。それもそのはず、彼が生きている間は、世の中はまったく彼のことを知らなかったからだ。暗闇を照らす光が再びこの世にやってきたのに、世は彼を再び拒否した。こうして彼はあらゆる神聖な存在の運命を背負うことになったのだから、彼は今も絶えずこの世界から迫害され追放されることによって、再びこの世界の真っただ中に戻ってくるのである。

 いったい彼は誰なのか。表に出ていることだけを見ると、小学校の卒業証書さえもらえなかった青年の生活の大半は、乞食とホームレスの暮らしだった。彼が残した手記と日記によると、彼は「陰から陰へと渡り歩きながら育ってきた」人だった。そんな彼の生活は"荒れた、痛ましい"生活、"裕福な環境から拒否された生活"だった。貧困と絶望以外何もない家から弟を連れて家出し、どこにも泊まるところが見つからず家に戻ったものの、父親の鞭から逃れるため今度は末の妹を背負って家出し、その妹を最後まで面倒見きれずに養護施設に預けてしまう16歳の少年の無力で悲惨な生活から、我々は世を照らす光にふさわしいいかなる威厳も見いだせない。それはただの惨めで空腹な人生に過ぎない。「俺はどうしていつも腹を空かせ、心はいつも苦しんでいなければならないのか?」どれほど追い詰められていれば、焼身自殺を図り息を引き取る時、最後に残した言葉が「腹がへった」になりうるのか。

 しかし、彼の空腹は肉体の空腹だけではなかった。それは肉体の飢え以上に、義に飢え渇望する者の飢えであり、苦しみであった。その純粋な魂が堕落した世の中で経験しなければならなかった絶望的な苦しみを思う時、私も反逆の濡れ衣を着せられて刑場の露と消えたボエティウスのように問いたくなる。神が存在するなら、どうして罪のない幼い少年をこんなにも悲惨な苦痛の中に陥れることができるのか? しかし神が存在しないならば、その貧しい少年の心の中に奇跡のように根付いた、その無限の愛の種は、果たしてどこから来たのか? その計り知れない存在の神秘を私は知らない。理由が何であれ、神は自分の息子を永遠に消えない世の光たらしめるため、17年のあいだ彼を苦痛と絶望の溶鉱炉の中で浄化した。そして時が来て、天の父は地にある息子を東大門平和市場へと導いた。齢17の秋のことだった。

 そうしてやって来た平和市場で彼が見たのは、自分より年下の少女たちが被っている苦しみだった。当時、平和市場は「2万人を超える従業員の90%以上が平均年齢18歳の女性」だった。ほとんどが男性である裁断師を除けば、ミシン師やミシン補助、そして下働きたちがすべて女性だったためだ。さらに「2万人あまりのうち40%を占める下働き工員たちは平均年齢15歳の子供たち」だった。そんな幼い少女たちが1日にジャージャー麺一杯が食えるかどうかの「90ウォンないし100ウォンの日給で1日16時間の作業を」強要されていた。このような現実を前にして彼はこう決心する。「一人の人間が人間としての人間的なすべてを剥奪され、剥奪しているこの恐ろしい時代に、私は絶対にいかなる不義とも妥協しない。同時にどんな不義も看過せずに注目し、是正しようと努力する」。それにもかかわらず、彼は誰も憎んだり憎悪したりしなかった。「銃刀になるよりは愛を」!  これが彼の信条だった。なぜなら「愛とはあらゆる有形無形の(存在の中で)最高のもの」だから。

 しかし、その決心で彼の運命も決まった。不義なる世界で、絶対にいかなる不義とも妥協しないと決心した魂に、迫害と追放以外のいかなる運命が許されるだろうか。まじめに労働し、下働きからすぐにミシン師となった彼は、従業員たちの中で最も大きな権力を持っていた裁断師になって幼い少女たちを保護するという一念から、月給が半分以下に落ちるのを甘受して裁断師補助として再就職した。そんな状況のなかでも彼は家に帰る交通費で腹を空かせた少女たちにたい焼きを買ってやった後、清渓川(チョンゲチョン)から道峰山(トボンサン)麓まで数時間を歩いて家に帰ることもあった。通行禁止になると、彌阿里(ミアリ)交番に泊まった。とても真似できない途方もない愛だった。

 そして、その愛が彼の名を神聖にした。全泰一(チョン・テイル):全体と大きく一つである者。しかし、この慎み深いキリスト教青年は、全体と一つである者は、「神」のみであることを悟り、自分の名の最後の字である「一」を「合わせる」の意味の「壱」に自ら改めた。天の父は、最初からそれ自体がひとつであり、かつ全体である。しかし、地上の息子は分裂した現実の中で、ただ愛のみで一つを成すのだ。

 しかし、その愛ゆえに彼は憎しみと暴力が支配する世の中から少しずつ追われた。最初は女工たちに優しすぎるという理由で通っていた職場を解雇された。再就職先では、考えなしに搾取されて暮らす同僚労働者たちを目覚めさせた罪でまた解雇された。こうしてどこにも行き場がなくなり、彼は三角山(サムガクサン)祈祷院の教会工事の作業員として働きだした。そして昼は働き、夜は勤労基準法を学習し、最後に祈った。「今日は土曜日、8月第二土曜日、私の心に決断を下したこの日、罪のない生命体たちが立ち枯れつつあるこの時、一滴の露となるためにもがくので、神様、哀れみと慈悲を施したまえ」。そして山をおりて数カ月後、罪なき命のために彼が再び傾けたすべての努力が挫折した後に、彼は自分の体にガソリンをかけ、消えることのない永遠の炎となった。

 そのように自分の全存在をかけて他人の苦しみに応えることで、彼は私たちが地上で成し遂げるべき天国への道を切り開いてみせた。そしてその後、韓国の現代史は彼が切り開いてみせた道に沿って歩いてきた歴史だった。しかし、予言者は故郷では尊敬されないというイエスの言葉を証明するかのように、彼が灯した光を努めて遠ざけてきたのが大邱(テグ)であった。朴正煕(パク・チョンヒ)の幽霊のせいだった。だが朴正煕ではなく全泰壱こそが、父も母も実家が大邱の「生粋の大邱人」だ。1948年、大邱は南山洞(ナムサンドン)で生まれた彼が最も幸せだったのは、15になった年に大邱でチョンオク高等公民学校に通っていた時代だった。だがその故郷で、彼は死しても見捨てられているのだ。

 予測できぬ歴史の神秘よ、そんな大邱で今春「社団法人チョン・テイルの友」が設立され、チョンオク高等公民学校時代にチョン・テイルが借りて住んでいた家を買い取って記念館にしようという運動が始まった。死んでいだ大邱が復活したのだ! 大邱から我々に到来した光がこれまで我々の前途を照らしてきたように、大邱で復活したその光が世をより暖かく照らしてくれることを、私は信じて疑わない。(後援口座:大邱銀行、504-10-351220-9、社団法人全泰壱の友)

キム・サンボン 全南大学哲学科教授

(お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/916767.html韓国語原文入力:2019-11-12 18:15
訳D.K

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