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[社説]“エリート中心のスポーツ”を変えない限り、いかなる対策も効果ない

登録:2019-01-17 06:33 修正:2019-01-17 07:29
イ・ギフン大韓体育会長が今月、スポーツ界の暴力・性暴力根絶に向けた実行対策を発表している=ペク・ソア記者//ハンギョレ新聞社

 文化体育観光部が16日、スポーツ界での性暴力問題について、民間専門家が主導する調査特別委員会を構成し、不正業務を専門的に担当するスポーツ倫理センターを設立するなどの対策を打ち出した。前日、大韓体育会が性暴力の厳重処罰や人権相談センターの設置など、全面刷新を約束したことに続く後続措置だ。しかし、このような対策が根強い暴力の悪循環を断ち切ることができるかどうかについては、懐疑的な意見が多い。

 ここ数日間発表された対策は、大半が過去に提示された対策の二番煎じだ。1970~80年代の女子バスケットボール界のスーパースター、パク・チャンスク韓国女子バスケットボール連盟競技運営本部長がハンギョレと行ったインタビューによると、2007年にウリィ銀行女子バスケットボールチームで、監督が選手に性的暴行を加えようとした事件が起きた際、当局は加害者の永久除名や通報センターの設置、選手接触のガイドラインを提示するなど、現在と類似した対策を急いで発表したが、現実は変わっていない。

 国民の怒りを買った衝撃的な事件が公開されたにもかかわらず、スポーツ界で責任を取るという人がいない点も改善の意志を疑わせる。むろん、責任者への問責だけが事件の解決策とは言えない。むしろ、個人をスケープゴートにして、組職は免罪符を受ける状況を警戒しなければならない。しかし、管理責任がある大韓体育会会長が、スポーツ界と市民団体の激しい辞任圧力にもかかわらず、それを無視し続けるのは、国民に信頼を与える姿勢とは程遠い。

 スポーツ界は今回の事態を国家主導の“エリート中心のスポーツ”を正す契機にしなければならない。多くの国民が、五輪のような国際大会で代表選手の良い成績を応援し、彼らが勝ち取った1等成績表に誇りを感じてきたのは事実だ。しかし、このようなエリート中心のスポーツの成績至上主義が、選手の人権は無視されても良いと思われる雰囲気を作り、良い成績をあげた指導者に対する軽い処罰を正当化してきた。

 文体部は同日、“エリート中心のスポーツ”の「全面的見直し」を約束した。そのような見直しの約束が、これまで数多く出たにもかかわらず、なぜ守れなかったのかを冷静に振り返らなければならない。文体部だけでなく、必要ならば政府と共に民間専門家や保護者、選手が膝を突き合わせて話し合う機構を構成してでも、これを機に成績至上主義に歪曲したスポーツ体系を必ず変えなければならない

(お問い合わせ japan@hani.co.kr)
https://www.hani.co.kr/arti/opinion/editorial/878658.html韓国語原文入力:2019-01-16 19:23
訳H.J

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