本文に移動

[コラム]中国人は腰を曲げる挨拶はしない

登録:2018-09-27 23:46 修正:2018-09-28 08:19
文在寅大統領が18日、平壌の順安空港に到着し、歓迎に出てきた平壌市民に頭を下げて挨拶している=平壌写真共同取材団//ハンギョレ新聞社

 ある韓国企業の中国内生産施設を参観して出てきた時のことだ。一行と共に車に乗ったところ、見送りに出てきた中国人の職員が車窓の外で手を振った。皆が向き合って挨拶している間に、韓国人参加者が不服そうにポツリと漏らした。「挨拶はせず、手を振るだけか」

 中国人は腰を曲げる挨拶はほとんどしない。からだ(躬)を曲げる(鞠)という意味の“鞠躬(きっきゅう)”という礼法は存在する。しかし、現代の中国では結婚式や祝賀行事、葬式、追悼式、公開謝罪などでなければ“鞠躬”は見かけない。日常生活では互いに腰を曲げるよりは挨拶の言葉と共に“クールに”手を振る。

 このような風景は、同じ文化圏の朝鮮半島や日本とは全く違う。西洋で会った黄色人種が、頭を下げて挨拶しなかったら、それは中国人だという笑い話もある。逆に、北京や上海で腰を曲げて挨拶する人は中国人ではないという仮定も成立する。韓国語や日本語とは異なり、敬語が少ない中国語の特徴まで結合すれば、上下を問わないような今日の中国は文化的格差がかなり大きいように思われる。

 中国で鞠躬が見られなくなったのは、20世紀に入って反帝国主義・反封建主義の声が高まったことと関連があると推定される。20世紀はじめにも写真や動画で腰を曲げて挨拶する中国人の姿が確認される。しかし、国民党政府が1949年に移った台湾でも鞠躬の風景は見かけない。すでにそれ以前に“消滅”したわけだ。歴史学者の章立凡は「民国(共和国)になったので、以前のように誰が誰にお辞儀をする必要はないという文化ができたようだ」として「西洋文化を見習うという意識も強かったのだろう」と話した。

 鞠躬に代わったのは、片手を他方の手で包んで見せる“拱手”と西洋から入った握手だ。この時期に生きた作家の林語堂(1895~1976)の『生活の発見』は、拱手と握手を比較して前者の“優秀性”を主張した。他人の手を握る握手をする時は、果たして自分の手は清潔か、どれほど強く握ればいいのか、どのように揺さぶるべきか、別の手はどうすればいいのかなど悩ましいが、自分の手を包み合わせる拱手は、こうした煩悩を減らせるということだ。中国伝統の挨拶方法である拱手の普遍化に対する期待なのかも知れない。

 林語堂の意に反して、今日の中国では握手が拱手を圧倒した。拱手は伝統服姿の挨拶、または要請するときの挨拶などで見られる。インターネット顔文字のように、象徴的には残っていたりもする。あるネチズンは「日本は既存の伝統の上に西洋の習慣を加え、握手と同時に腰を曲げるが、中国は西洋の慣習で伝統を完全に代替させて握手だけをする」と評した。伝統を激烈に追いだした文化大革命の影響もあっただろう。

キム・ウェヒョン北京特派員//ハンギョレ新聞社

 最近は中国でも鞠躬を復活させようという話が出ている。尊敬と尊重を表現する中国の伝統礼法という観点からだ。そんな中で今年3月の金正恩(キム・ジョンウン)北朝鮮国務委員長の中国訪問の際の鞠躬が話題になった。習近平主席の側近である蔡奇・北京市書記が金委員長に向かって90度の挨拶をする姿が北朝鮮の放送画面にあらわれた。昨年冬、北京郊外の低所得層を大挙追い出した張本人と名指しされる人物であり、「基層の問題を解決するには、実際に銃刀を持って血を見る覚悟をしなければならない」という発言の主だ。ネチズンの間で「権力者には屈身し、民には威嚇する官僚」という批判が出てきた。

 先週、平壌で文在寅(ムン・ジェイン)大統領が歓迎に出てきた市民に向かって腰を曲げて挨拶する場面が、中国のマスコミでも報道された。私たちが同胞、統一、平和などに思いを巡らせ感動している間に、中国人は何を考えていたのだろうか。中国の指導者にも期待できる姿だろうか。

キム・ウェヒョン北京特派員 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/863600.html韓国語原文入力:2018-09-27 19:31
訳J.S

関連記事