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[寄稿]文大統領“素朴な7分演説”最高の頂点に達した

登録:2018-09-21 23:35 修正:2018-09-22 06:58
[13年ぶりに再訪した平壌ーヨム・ムウン氏寄稿]

「平壌市民は活気に満ちて明るくなり
文大統領、素朴な言葉で演説
平凡の中の威厳と歴史性」

白頭山に一緒に行ったイ・ジェヨン副会長
ペク・ナクチョン教授に丁重に近付いて
「大学1年の時、先生の講義を聴きました」と挨拶

18日、平壌の順安空港から平壌市内に向かう道路沿いの建物から市民たちが花を振って文在寅大統領を歓迎している=平壌写真共同取材団//ハンギョレ新聞社

 午前5時半に家を出た瞬間から2泊3日後の午後7時に城南(ソンナム)の空港に到着するまで、私の体で感じた最も具体的な経験は、各種のメディアを通じて伝えられるさまざまなニュースからの遮断だった。それは、私の目が見て、私の耳に聞こえるものだけを通じて世界を理解する、原初的段階への一時回帰であった。その点を勘案して読まれるよう願う。

 飛行時間は一時間もかからなかった。窓から見下ろせる大地はよく整備されているように見えたし、南の地のどこもがそうであるように黄いろく熟していく黄金の穂波の中で中秋節を準備していた。案内員に訊くと、北でも昨年は夏の猛暑と台風に苦しめられたが、それでも今年は稲作は豊作とのことだった。

 順安(スナン)空港での大統領歓迎行事は簡素だった。私は、飛行機のタラップに立って、その場面を遠くから眺めていたが、遠くに見える金正恩(キム・ジョンウン)委員長はテレビでしばしば見たように堂々としていて元気のよい姿だった。だが、私が注目したのは指導者ではなく“人民”だった。空港でも多くの人々が並んで歓呼を連発していたが、平壌中心部まで来る間に目撃した熱烈な歓迎は、私のような者にはどんな“合理的”解釈も煩わしいことのように感じられた。統一旗と花飾りの巨大な波の間を通る間、思わず私の目がしらに押し寄せる感動をこらえながら、私は同乗していた案内員にそっと尋ねた。「人々は何人くらい街に出てきたのでしょうか?」。だが、彼はつまらないことを訊くなとばかりに言い返した。「そんなこと分かりませんよ!」

 2005年7月、南北作家大会参加のためにきて泊まった高麗ホテルは、13年前より内部がきれいになっていた。私に配分された20階の部屋から見通した街の風景も、13年前よりはるかに明るく活気に満ちて見えた。その時は私たち作家が訪問の主役だったので、日程も作家中心に組まれた。一方、今回は南北の最高指導者が個人的友情を確かめ、これを基に朝鮮半島の運命に関して議論する会談についてきただけに、随行員のすべての日程は首脳会談の進行により調整されざるをえなかった。なので部屋に座って休んでいても、ベルが鳴ればロビーに集まり、休憩室で歓談を交わしていてもバスに乗るよう連絡がくれば走って行かなければならなかったが、そんな風に待っている時間がどれくらい長くなるのかは当然予想できなかった。私は民族語大辞典南北共同編纂事業会の理事長資格で来たので、宗教界や市民社会の代表たちと席を共にする機会が多かった。天主教のキム・ヒジュン大主教をはじめとする代表たちの日常生活を私が詳しく知る由もないが、そばで見ていた感じでは、その方々はこのように上から一方的に決められた日程に従うことを、さほど不便には感じていないようだった。

 そんな時に、私が頭に描いていた空想は、経済界の人々はこの時間をどのように過ごすのだろうかということだった。多くの方々が来たわけではないが、とにかく著名な大企業の会長・副会長がバスにぼうっと座って、または下命を待つ職員の補佐もなく時間を過ごすということは、彼らにはおそらくほとんど生まれて初めて、または数十年ぶりに初めて体験する慣れない体験だったろう。意地の悪い推測かも知れないが、この慣れない時間はいつも決定し指示することばかりに習熟してきた彼らにとって、貴重な自己反省の機会になったのではないだろうか。帰京した後、彼らが将来の南北経済協力事業で大きな役割を受け持つことが期待されるが、そうした役割をしっかり務めるためにも今日体験してみた“乙”(弱者)の体験は精力剤になるだろう。

19日夜、平壌5.1競技場で開かれた『輝く祖国』を観覧に来た平壌市民が、文在寅大統領の演説に歓呼している=平壌写真共同取材団//ハンギョレ新聞社

 もう一つおもしろかった場面は、白頭山(ペクトゥサン)のあちこちで写真を撮る中で、サムスンのイ・ジェヨン副会長がペク・ナクチョン教授に近付いて謙虚に挨拶していたことだった。「先生、こんにちは。私は大学1年の時、先生の教養英語の講義を聴きました。先生は覚えていらっしゃらないでしょうが」。近くに立っていて偶然に耳にした私にとって、それはとても興味深い思い出話だった。ある意味、この二人は韓国社会の対極に立っているとも言えるが、そうした私的な縁を共有しているということが、韓国がどんな国なのかを示す一つの象徴でもあるからだ。

 首脳会談が順調に進進んでいるという伝言を誰かから聞いて、そして会談の結果に韓国の報道機関と米国の政界がどのように反応しているかを漠然と推論し、しかし私たち随行員は時には全員一緒に、時には政界・経済界の人々とは別のチームを組んで、それぞれ三、四ヶ所を訪問した。私が特に感銘を受けたのは、子どもと青少年に対する国家的配慮の積極性とち密さだった。万景台(マンギョンデ)少年宮殿の随所に掲示された「子どもを王と敬うわが国は素晴らしい」というスローガンもそうだが、教員大学であちこちの教室に案内されて参観した教育現場の姿も、私には相当な衝撃だった。もちろん短時間立ち寄っただけの外部者の皮相的観察に過ぎないので、南北の教育の深層的現実をまともに比較することはできないが、少なくとも表から見るには、国の未来が教育にかかっていることを実感している人々がここの教育現場を指導しているということは確かに見えた。教員大学の中に入るとすぐに、壁に赤い文字で大きく書かれたスローガンも「自分の地に足をつけて、目は世界を見よう」だった。南側に暮らしている私たちも、いや地球のどこに暮らしていようが、肝に銘じるべき原則ではないだろうか。バスで市内を走って見ると、このスローガンは他の建物の壁でも時々目についた。そのように見れば、ある意味で北朝鮮は日常生活の全過程で教育が成り立つ国であった。自由奔放に生きてきた人に、そして入試のストレスと学校暴力に勝てなかった自殺生徒の報道に日常的に接してきた人にとって、それは見慣れないながらも涙ぐましい教訓だった。

 最終日の午前、予定になかった白頭山(ペクトゥサン)登頂は、13年前にしたのと同じ方式だったので、私には感銘が薄かった。新しい経験は、ロープウェイで400メートル下に降りて行き、天池(チョンジ)の水に手をつけ、そして起き上がり四方に聳える尖った白頭山連峰を見つめ、息を吸って吐いたことだった。その深呼吸は、実のところ前夜5・1競技場で見たその言い表せないほど強大だった場面を、私なりに消化するための反すう作業だった。1万7490人の高級中学校の生徒たちが、一糸不乱に行うカードセクションも途方もないことだったが、広い運動場と空中で繰り広げられる数千名の大群衆の集団体操と芸術公演は、実に想像を超越したものだった。たとえば、1200人の芸術家が運動場にぎっしりと座って演奏する「伽耶琴大竝唱」には、開いた口が塞がらなかった。体操・舞踊・曲芸・演奏が結びついた公演が言い様もなく圧倒的だったが、それを見る私の胸中ではその集団性に対する抵抗の習性も同時に作動していることを自認しないわけにはいかなかった。あの途方もない公演を可能にするための社会的動員が、果たして政治的にも正当なことかという疑問を消せずにいた。

ヨム・ムウン文学評論家、民族語大辞典南北共同編纂事業会理事長//ハンギョレ新聞社

 しかし、公演が終わって金正恩委員長の紹介により文在寅(ムン・ジェイン)大統領の演説が始まると、一気にすべてが決定的な地点に達した。大統領の演説はさほど長くはなかった。彼の言葉は素朴で、もしかしたら平凡な言葉だった。彼の声は扇動的でなかったし、彼の身振りも演劇的でなかった。「私たちは五千年を一緒に暮らし、70年を別れて暮らした…今日この席で最近70年の敵対を完全に清算し、再び一つになるための平和の大きな一歩を踏み出そうと提案する」という彼のメッセージも目新しいものではなかった。しかし、わずか7分の彼の演説は、そのすべての平凡さが到達できる最高の頂上を純度高く結合した威厳と歴史性を見せていた。北朝鮮の指導層と政界の人々に向かってそのように話したのでなく、15万の平壌の学生や市民の前で肉声で実現したことだった。その直接性は、完全に新たな段階の成就だった。この瞬間は、朝鮮半島民族史に永遠に記録され「平和と繁栄」の推進力になるだろう。

ヨム・ムウン文学評論家、民族語大辞典南北共同編纂事業会理事長(お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/politics/defense/863157.html韓国語原文入力:2018-09-21 17:37
訳J.S