私は韓国に来て9年目となるセトミン(新しい地の民)、脱北人、脱北民、脱北者または北朝鮮離脱住民と呼ばれる人だ。私のように北朝鮮から来た人たちの名前の前に付く修飾語はいろいろだが、どれも間違いではない称号だ。しかし、それらの単語には微妙な違いがある。セトミンという言葉は北朝鮮出身というアイデンティティが消去されるようだ。ただ場所を移しただけの人のようだ。脱北人、脱北民、脱北者は、同じ単語の後ろにつく一文字の人、民、者のニュアンスが大きく違う。人は個人を、民は群集という感じを与える。者は北朝鮮では良くない呼称として「やつ」という意味をもつため、私たちにはあまり良い感じではない。
大韓民国で法的に使用する単語の“北朝鮮離脱住民”の離脱という単語は、逸脱という感じを抱かせる。結局どの呼称も、私たちのアイデンティティを完全に伝えることはできないという気がする。ときに呼名というものは、金春洙(キム・チュンス)の詩『花』のように、呼ぶことで主体となるよりも対象を規定してびくともできないよう閉じ込める道具のようだ。
数日前にはインターネットに掲載された「脱北者3千人の亡命宣言」というニュースタイトルに驚いた。共に民主党の文在寅(ムン・ジェイン)大統領選候補が大統領になれば、韓国内の脱北者3千人が命の危険を感じて海外に亡命するという内容だが、容易に納得が行かなかった。本当に彼らの主張のように、ある候補が大統領になれば脱北人たちが容赦なく死地に追い込まれるのか不安感が押しよせたが、すぐに「それもまた時間が過ぎればわかるだろう」と心をなだめた。
亡命を望む脱北人が3千人にもなるのか、彼らが皆自分の名誉とアイデンティティを表し、不当な圧力に抵抗するのか、本当に分からない。彼らの主張どおりならば、大韓民国というこの国は北朝鮮よりもっと恐ろしい国ではないか。しかしまた一方で不安なのは「私たちがうるさい人だと見られたらどうしよう」という自己検閲だ。脱北人として共同の責任を負わなければならないという集団主義的な連帯感のせいかも知れない。血の気の多い私の母は、すぐに彼らに抗議の電話をしたという。多数の脱北人たちにどう生きていけといってあのような爆弾宣言をしたのか、恨めしい心情を伝えたようだ。多数の脱北人たちは、命をかけてやってきた韓国の地で、今この瞬間にも一所懸命に働き、自分の夢をつかもうと努力する。自由の甘い味を満喫しながら幸せでいられることを望んでいる。
私は、北朝鮮で貧乏という現実的な問題と不安な未来のために南へ渡ってきたが、韓国社会は他の形でより多くの努力を要求した。韓国の友人たちのように、進路のためにさまざまな勉強をして、英語も学ばなければならなかった。もう韓国生活も9年目になるため、ソウルの複雑な道もよくわかってどこにでも行き、深緑色のパスポートを胸に抱いて他の国々を訪ね回るようになった。北朝鮮なまりは少なくなったが、依然として生きていくことは容易ではない。たまに友達と、北朝鮮でこんなに死に物狂いで暮らしたら国家革命を完遂しただろうねと冗談を言う。
南北が交流できない現実のため仕方のないことだが、韓国の人々は脱北人たちに対する理解が足りないと感じる時もたびたびある。人々が私に北朝鮮は核を撃つのかどうかと尋ねても答えられない。しかし、韓国の人々が知らない北朝鮮の現実についてはいくつか言える。南からお米が来ればお米の価格が下がり、貧しい人たちもお米を買って食べることができた。その米袋で服を作って着て、傘も作って使っていた。雨の日は、近所の子どもたちが背に「大韓民国」の4文字が大きく書かれた袋のレインコートを着て、道ばたで遊んでいた姿がありありと浮かぶ。
脱北人たちがこれ以上政治的に対象化されないよう願う。将来、私の子どもに脱北人たちの定着に関する哀歓を伝説のように語り聞かせ、その特別さは祝福だったと話せることを願う。たとえ私たちが分断や理念に揺さぶられて頭が痛くても、一つ一つ自我を見つけ傷の上に素朴な花を咲かせてきたと語れる日を期待する。この選挙が終われば、ここ数日にわたり起こった脱北者議論を人々が覚えているかすら分からない。
私は韓国に来て2度目の投票をした。弾劾に続き脱北人まで議論になる混乱した時局の中で、分断社会に平和と良い変化が来ることを願う。投票は韓国人なら誰しも行うものだが、私にとっては「韓国人」になって指導者を選ぶ、生涯特別で大事な事件の一つだった。