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[寄稿]台湾初「慰安婦」記念館開館の意味

登録:2016-12-18 21:18 修正:2016-12-19 07:05
台湾の女性人権団体「婦女救援基金会」(婦援会)は、世界の人権の日の今月10日、台北市中心部の大稻埕地域で、慰安婦記念館である「アマ(おばあさん)の家-平和・女性人権館」の開館式を開いた=台湾「自由時報」キャプチャー//ハンギョレ新聞社

 10日、台湾では初めて「アマ記念館」(Ama Museum)の開館式が開かれた。「アマ」とは台湾で「おばあさん」を親しみを込めて呼ぶ言葉だ。この日の行事のクライマックスは韓国「慰安婦」生存者であるイ・ヨンスさん(89)と馬英九・台湾前総統の再会であった。イ・ヨンスさんは16歳の若さで日本軍によって台湾に連れていかれ神風戦闘機の操縦士がいる新竹海軍航空隊基地の「慰安所」に配置された。

 イ・ヨンスさんは馬前総統の執権期間に会ったことがあるが、二人はこの日昔からの友人のように互いに抱きしめた。イ・ヨンスさんは幼い少女として加えられたおぞましい経験にもかかわらず、台湾の新竹を韓国の大邱(テグ)に続く「第二の故郷」と思っていると話した。イ・ヨンスさんは強制的に相手をさせられた多くの日本軍操縦士が自殺特功任務に発つ前日に最後の夜をイ・ヨンスさんとともに過ごすことになった逆説についても話した。

 馬前総統は「慰安婦」という単語は不適切なので、引用符号を付けなければならないと話した。イ・ヨンスさん以外の被害者が耐えなければならなかった状況に対する正しい言葉は「軍隊性奴隷」であるためだ。彼はまた「慰安婦」問題は国際人権と女性の権利問題を象徴する問題であり、国際社会のみならず日本政府もそのとおりに認識しなければならないと強調した。

 彼はまた、保守的なアジア社会で女性が性的な問題に言及すること、特に性的な虐待にあった時にこれを話すことが厳しいタブーになっている点に注目した。馬前総統は、台湾や他の国で第2次世界大戦が終わって半世紀を超えたのに、被害者が名乗り出ないのもそうした理由からだと指摘した。彼は韓国の「慰安婦」被害者が、1992年に公開的に彼女たちに加えられた被害を勇気をもって話したことを特にほめたたえた。

 台湾「婦女救援基金会」の康淑華所長は、台湾で初めて「慰安婦」記念館がオープンした12月10日は国連人権の日だとし、こうした点を考慮して開館式の日を選択したと明らかにした。婦女救援基金会の黄淑英理事長は、記念館の開館を通じて提起する問題の普遍性、武装衝突時の女性暴行などを強調した。黄理事長は「慰安婦」が現在の世界とも関連がある連続的な問題だと明らかにした。基金会の推定によれば、台湾の「慰安婦」被害者は「14歳から30歳までの2000人以上」に達する。これは台湾の土着女性と漢族を含む数だ。基金会は1992年に生存者が電話できる相談電話を設置し、58人の被害者が確認された。現在、生存者は3人だけだ。

 この日の開館式には国際代表団が大挙参加した。日本の代表団が最も大きな規模で参加した。米国代表団は2007年の日本軍「慰安婦」下院決議案の採択を主導したマイク・ホンダ下院議員のお祝いのメッセージを持ってきた。韓国代表団は開館式で「慰安婦」被害者らと関連して、台湾が日本との公式的な解決のために努力を続けていることを評価した。だが、日本は今もこうした努力を拒否している。また、韓国代表団は台湾の活動家に昨年韓日政府が締結した「慰安婦」合意はあまりに欠点が多く、未来の台湾と日本の間の「慰安婦」合意のモデルにしてはならないと助言した。

デニス・ハルピン/ジョーンズホプキンス大国際関係大学院研究員・前米下院外交委専門委員//ハンギョレ新聞社

 台湾で初めて「慰安婦」記念館が開館されたのは、58人の被害者が確認されたこの地で基金会が正義を実現するために過去20年にわたり努力を続けてきた結果だ。「アマ記念館」はまた「慰安婦」問題が単純に韓日両国の問題ではなく、本質的に国際的な問題だということを示している。さらに現在の中東やアフリカ、ミャンマーなど世界中で発生している武力衝突の中で起きている性的虐待を考慮すれば、女性に対する暴力の問題は現在とも関連性を持っていると言える。

デニス・ハルピン/ジョーンズホプキンス大国際関係大学院研究員・前米下院外交委専門委員(お問い合わせ japan@hani.co.kr)
https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/775102.html 韓国語原文入力:2016-12-18 19:06
訳J.S(1750字)

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