本文に移動

[寄稿] 朴槿恵時代のイデオロギー

登録:2015-11-25 00:59 修正:2015-11-29 00:14
国定教科書で目隠しされる国民 //ハンギョレ新聞社

 朴槿恵(パク・クネ)は国連まで行ってセマウル運動のような維新時期の経済・イデオロギー的官製運動を称賛した。 だが「朴槿恵時代」の極右が育てようとしている人間像や推進しようとしている理念は、維新時期と似てはいるものの異なる点が明確に見えたりもする。

 今日、大韓民国の支配層は“民族”の代わりに“資本”を中心に思考して、ひたすら自分だけの生存と成功のためにのみ寝てもさめても奮闘し自身の時間までも幼時から投資価値のあることだけに使える経済動物型人間を新しい模範人格として掲げている。

 この世の全てのものは皆変わる。 韓国での左右イデオロギーの含意を含めてだ。 例えば、1980年代の左派民族主義者が“統一”を要求したとすれば、階級主義者の主要要求は“財閥解体”だった。 この頃ではそのような要求を歴史の本以外のどこで見ることができるか? “統一”の場所を“統一指向的対北朝鮮政策”が占め、財閥に対してはせいぜい“労働者の経営参加”を要求する左派知識人をたまに見かける程度だ。 浮遊した大韓民国でそれだけ左派が馴致され穏健になったということだ。 左派と同様に極右派も変わった。 ただし、極右派は“穏健になった”というよりは、個々人を国家と資本に隷属させる方式を時代的状況に合わせて変えたと言える。

 維新時代は周辺部型の類似ファシズム時代だった。ファシズムは内面化されている積極的動員論理であるために、維新時代が要求した模範的人間像も“滅私奉公”だった。 祖国近代化の戦士は、一方では“滅共”を目的として戦い、また他方では多くの純良な国民と総和団結し“建設”にまい進しなければならなかった。 「君も私も早く起きてセマウル(新しい村)を作ろう」という産業化戦士を忙しく動かすエネルギーは、“豊かに暮らせる”世の中に対する期待だけでなく、日本軍国主義のイデオロギーをそっくり継承した強力な種族的民族主義でもあった。

 「白頭山(ペクトゥサン)の青い精気/この地を守護し/漢拏山(ハルラサン)の高い気性/民族を守って来た/ムクゲの花咲く悠久のわが歴史/熱心に生きて来た賢明なわが民族」(健全歌謡『わが祖国』)

 このような民族主義は、統合、差別化、そして排除の論理を同時に含んでいた。 “アカ”は“わが民族”から事実上除外され、ひとり拷問室で死んでいったり、連座制の適用対象になって生涯を監視と差別の中で半ば“非国民”生活を送らなければならなかったし、女性は“国民”ではあったが明確に二等国民に過ぎなかった。 軍が「ひっ捕えろ金日成、打ちのめそう共産党、打ち破ろう北朝鮮軍、成し遂げよう維新課題!!!」のようなスローガンを叫びまくり、しっかり精神武装した、そしてある程度の学歴を有する大韓の健全な男児なら、一旦入社した会社で大きな事故でもない限り、勤労し続けるのが“普通”でもあった。 民族主義や軍事主義とともに、“会社は家族”イデオロギーも朴正煕政権が帝国主義時期の日本からそのまま継承していた。

 この上なく親孝行だからか、あるいは保守層結集のための戦略の一環なのか、朴槿恵は国連まで行ってセマウル運動のような維新時期の経済・イデオロギー的官製運動を称賛した。 ところが朴槿恵政権の政策や企業家の話、保守マスコミの論調などを総合してみれば、“朴槿恵時代”の極右が育てようとしている人間像や推進しようとしている理念は維新時期と似ていながらも異なる点が明確に見えもする。先ずその差異は何か?

 第一に、維新時代も今も大韓民国の非公式的国是は社会進化論的“競争”論理だ。ところが、その時は“競争”の単位が国家や企業だったのに対し、“朴槿恵時代”の競争単位は原子化されて孤立した個人だ。 国家がその時も今も個人に対して責任を負わないことは同じだが、企業には今“会社は家族”ではなく使い捨ての“人材”だけが必要な時代になり、一人一人が互いに競争する“小さな1人企業”のように生きなければならない。 維新時代の韓国人が、大韓ニュースで知らされる国家輸出実績に皆一斉に歓声を上げなければならなかった集合的主体だとすれば、今日の大韓民国の子供たちは塾に行って次のような勧告文を見ている。

 「新学期が始まったので/君は友情というもっともらしい名分で/友達と付き合う/時間が多くなる/そのたびに/君が計画した勉強は/毎日毎日後ろ送りにされるでしょう/ところでどうするのだろう?/入学試験日は後送りはできないのに」

 “友達”さえも競争者として認識しなければならない社会では、“国民”は二次的であり、競争的主体としての個人は一次的だ。1970年代には外貨の搬出は犯罪だったが、今日では投資移民でもして“先進国”で老後を過ごすことが極楽往生や天国行のように見なされる。 政府は(事実、盧武鉉(ノ・ムヒョン)時期から引き続き)海外住居用不動産の購買を目的に外貨搬出を許容すると同時に、海外就労斡旋を青年失業対策と広報し、韓国を“ヘル(地獄)朝鮮”と呼ぶ若者たちも移民以外に他の解決策を発見できずにいる。 政府と“ヘル朝鮮”に絶望した若者たちの指向はそれぞれ違っても、移民という極めて“個人的な”解決法を推奨するなど、個人競争のイデオロギーを当然視する次元では両者が妙に共通している。 結局“祖国近代化”から出発した韓国の極右イデオロギーは各自生き残り・適者生存理念に変形されながら若年層の間で基盤の獲得を図っている。

 第二に、民族主義は相当部分が不要になり廃棄された。 大韓民国が模範的新自由主義国になっている状況では当然のことだ。 外国人投資家が国家を相手に提訴できる時代の現実を“白頭山の精気”を持って合理化できようか? 民族主義の廃棄のもう一つの原因は、現支配層の願いが“民族”とは関係ないという事実をどうにかして大衆に正当化しなければならないという点だ。朴正煕自身を含めて大韓民国の官僚機構上部の人的構成は概して総督府と日本軍を継承した。 例えば初期の韓国軍の状況を見れば、1945年以前の軍事経歴者で韓国軍の将軍にまで昇進した人のうち270人が日本軍と満州軍の出身であり、わずか32人のみが光復軍の出身だった。 官僚機構だけか? 1938年に創業した今日のサムスンの前身である三星商会は、太平洋戦争時期に日本軍の軍納入業者ではなかったか? 朴正煕時期に政権が報勲処を通じて貧困層になっていたかつての独立運動家の一部に支援をして、左派でない一部の民族主義指向の独立運動指導者に勲章を追叙するなど、表向きの民族主義的“色彩”を適切に誇示して、韓国支配層の植民地的起源に対する批判世論を一定程度しずめることができたのは、報道機関と出版が統制されている状況で“親日派問題”に対する話を自由に出来なかったためだ。 ところが韓国“主流”の生きているアイコンである白善ヨプ(<ペク・ソンヨプ>ヨプは火偏に華)将軍が抗日運動家を“討伐”した間島(カンド)特設隊出身という事実を誰もが簡単に知ることが出来て討論できる今日に至っては、大韓民国の支配層として歴史を見る基本視座自体を本質的に変える必要が生じた。 朴槿恵の歴史教科書国定化はまさにこの作業を意味する。 新しい歴史教科書は“植民地近代化論”を基本に書かれ、朝鮮人が日本軍に入隊して将校になったことが、日本軍と取引して利潤を追求したことが“我が国の発展のための愛国”という風に叙述されれば、“親日派”はまさしく“愛国者”となって、大韓民国支配層の起源が完ぺきに正当化されるだろう。

パク・ノジャ・ノルウェーオスロ大教授(韓国学) //ハンギョレ新聞社

 上で見たように、朴槿恵に代表される今日の大韓民国支配層は、かつての“民族”の代わりに“資本”を中心に思考して、ひたすら自分だけの生存と成功のためだけに寝ても覚めても奮闘し、自身の時間までも幼時から全て“お金”に換算して投資価値のあることにだけ使える経済動物型人間を新しい模範人格として掲げる。 維新時期との差異も明確に見えるが、この“新型韓国人”も国家権力への服従が最高の徳性にならなければならないという点から継承性もまた明確に感じられる。 “民族”は廃棄されるが、“大韓民国の繁栄”を守るという軍での服務を“真の男”になるための必須不可欠の通過儀礼として扱う軍事主義的思考には変わりがなく、“アカ”に対する維新時期のファシスト的排除も今ますます復活している。 大韓民国の支配者たちは、経済本位の個人生存論理と軍事主義、そして従順主義の複合体が彼らの富と権力の永遠の支えになると信じているようだ。 ところが、もう遠からず襲ってくる経済危機の嵐が、多数の生存の最後の希望を奪い、十万人ではなく百万人が広場に集まることになれば、彼らの誤算がどれほど大きかったのか、彼ら自身が知ることになるだろう…。

パク・ノジャ ノルウェーオスロ大教授・韓国学(お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/718867.html 韓国語原文入力:2015-11-24 19:00
訳J.S(3797字)

関連記事