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[社説] 哀しい秋夕(チュソク)

登録:2014-09-06 11:00 修正:2014-09-09 13:58
写真 ハンギョレ キム・ジンス

 子供を失った父母たちの胸にも皓々と冴え渡る月はのぼる。息子や娘のために心を込めて祭壇を準備する時間だ。 今にもほほえみかけて来そうな中秋の月のように、あの小道を駆けて父母の胸に飛び込んで来そうな息子や娘たちは、もう永遠に帰ってこない。 家族皆が集まって仲良くお喋りしながら松餅(ソンピョン)を作ったあの日、家族の愛が一つになった楽しい名節の記憶も、もう永遠に胸に刻んでおかなければならない。 手を差し出しても決し触れられないものが愛だと、ありったけの力をふりしぼっても抱けないものが愛だと、誰が言ったのか。 子供を失った父母たちの胸の中に月が沈む。

 2014年大韓民国の秋夕は名節ではない。 秋夕は豊かな収穫を喜ぶ日だ。 夏の熱い日差しの中で流した汗と努力と成就を祝う日だ。 去年の夏以後、私たちの時間は生と死、絶望と希望が一つの塊にからまった時間だった。 そして私たちは誓った。 死を生に、絶望を希望に変えなければと。 そうして国をセウォル号惨事以前とは明確に異なる国にしようと誓った。 しかし何もできていない。 今、私たちの前に広がるのは、何もない荒涼たる原野だ。 肌寒く物寂しい秋風がより一層胸を凍えさせる今日だ。

 十五夜の月のように豊かな秋夕特有の徳談も、苦しんでいる人々に向かって暖かい手が差し伸べられることもない。 それどころか、とても口にはできないようなトゲの生えた言葉が乱舞しているだけだ。 この言葉はあいくちになって、子供を失い悲しんでいる人々の傷をかきさき胸の肉をえぐる。 このような非情の先頭には国を導く指導者がいる。 大統領は秋夕に際して、たとえうわべだけでも一度くらいは遺族たちに向かって暖かい言葉をかけそうなものだが、一切口を閉ざした。 その冷たさと薄情には霜柱が立ちそうだ。 政権与党の代表は「民意の殿堂である国会が、セウォル号にばかり没入していてはならない」と一喝した。

 セウォル号特別法は秋夕を控えて遺族たちに与えることができるせめてもの、そして唯一のプレゼントだった。 花のつぼみのような子供たちが死んだ理由が何だったのかを知れるだろうという希望、それくらは抱けてこそ子供たちの初めての祭壇を整えるこの悲しい名節に耐えられるのではないだろうか。 だが、そのような一筋の期待まで次第に消えつつある。 大統領府に対する調査の可能性を確実に閉ざすという大統領府と与党の意地は頑強そのものだ。

 ペンモク港の海辺ではまだ息子や娘の遺体すら見つけられない父母たちの号泣が、光化門の路上では三歩一拜をして警察に遮断された遺族たちのため息と涙が流れている。 悲しい秋夕、お月様も泣いている。

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/editorial/654333.html 韓国語原文入力:2014/09/04 20:46
訳J.S(1216字)